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そのに

 俺はそこそこ辛抱強い方だ。


 柔道の試合で鎖骨を折られた時も、健康的な肌に綺麗な模様が入った男性の方々に絡まれたときも、バイト先で年金生活者に理不尽な文句を言われた時も、特典が欲しいがためにアイドルの握手会に並んだ時も、俺は弁慶の如く怒りや、苛立ちや痛みを耐えしのいだ。


 全ては明日の人生のために。後悔の無い様に。


 だけどもね、いくら何でもね。約束の時刻に来ないのは絶対おかしいよね。


 近くで聞こえる緊急車両のサイレンにつられて、左腕の腕時計に目を向ける。

 お気に入りのデジタル腕時計の液晶画面は、既に一時間が経過している事を知らせていた。さて、どうしたものか。


 まさか、彼女が約束を忘れたのか?否、そんなはずは無い。

 駅の入口を間違えたのか?否、ここで合っている。

 もしかして、デートの日程を間違えたのか?否、信頼性の高いクォーツの電波ソーラーの腕時計が、しっかりと正確な日時を表示している。心配になってスマホの液晶も確認するが、同じ日付と時刻を表示している。


 そもそも駅を間違えたのか?まさか。

 服装が地味すぎて分からないのか?もしかすると理由はこれか。服装には自信が無い。


 そういえば、先程からサイレンが鳴り響いているな。もしかして何かに巻き込まれたのか?事件ですか?事故ですか?火事ですか?救急ですか?


 一体全体、どうしちゃったんですか!?


 俺の未来のパートナー!女の中の女ァ!


 sakuraちゃん、出てこいやぁー!


 そう願ったと同時に、ボールが跳ねるような通知音が鳴った。










『写真よりとても怖いです。なにされるかわからないので。ごめんなさい。』


 メッセージが、来た。


 我が世の冬が来た。今、来た。


 高品質の4G回線で、来た。


 えっ、急に別れが訪れるとか、そんなことある?あるんだ。へぇー。

 そもそも、この駅にsakuraさんが居たんだ。へぇー。

 「写真よりも怖い」って文が添えられてるって事は、俺の生の姿を見ている事になるよな。ふーん。


 貴様、見ているな!


 俺は、咄嗟に駅の構内を見回す。電車の到着のアナウンスと共に人が増え始め、構内は先程よりも混雑していた。

 スーツ姿のリーマン。身の丈程の楽器ケースを背負った学生。汗臭そうな巨大なエナメルバッグを抱える男子高校生。初々しく手を繋ぐカップル。呆れながらも笑顔を絶やさない男性駅員と干物のような老人。


 そして改札口の奥に見えた、パーマのかかったブラウンのロングヘアの女性。白いスカートにデニムの上着を羽織った女性が見えた。


 その姿は、よもや我が恋人候補であるsakuraではないか?


 慌てて姿を追いかける。もはや脱兎の如く。いや、気分はラグビーの試合の如く、人で溢れる通路を縫うように駆けた。大男が駆け抜ける様は、周囲の人々には新鮮に見えたらしく、「ドラマの撮影?」という声も、どこからか聞こえてきた。

 見失う事なく、残り2メートルまで追いかけたが、彼女と俺の間に改札がある事を、すっかり忘れていた。プログラムに忠実な自動改札機は、課せられた任務を果たすべく、渾身のトルクで脚を払った。

 呑気なエラー音とは裏腹に、フラップに足元をすくわれた俺は、一日に何百人もが踏みしめた床とキスをする事になった。


 うずくまって悶絶する俺を見かねて、窓口から出てきた駅員に介抱されながら改札口から戻ってきた俺は、声帯を震わせて叫びたい欲求を、鍛え上げられた全身の筋肉で抑えつつ、駅員に謝罪の意を述べると踵を返して駅の出口へと向かう。

 そして、矢継ぎ早に取り出した5.5インチの液晶画面を睨みつけながら、彼女にメッセージを送ろうと”した”。


 だが、出来なかった。彼女からのメッセージの下に、小さく「sakuraさんが退室しました」と。嫌な予感に駆られてプロフィール欄を覗いたが、「現在閲覧出来ません」との表示。


 この瞬間、“キングコング”は理解した。


 要するに失恋。圧倒的惨敗。桜は散った。春は終わりを告げ、夏と秋をすっ飛ばして厳冬が来た。キングコングはエンパイアステートビルから落ちて死んだ。

 髑髏島で部外者なんか気にせず、ひたすらスクワットとベンチプレスをしてれば、こんなにも傷つくことは絶対になかったろうに。今更ながら、「恋は盲目」の意味を完全に理解した。そんな気がする。

 でも過ぎたことは仕方ないよな。とてつもなく悔しいけど。

 ちなみに人間は、情報の大半を視覚から仕入れているそうだ。どんなに美味い料理も、どんなに素晴らしい製品も、見た目が評価されなければ失敗という烙印を押される。それは人間も同じだと言うのか。


 なんだろう、やっぱり悔しい。


 俺は、緩み始めた涙腺を顔面の筋肉全てで締め付けながら、アプリをアンインストールした。

 近くにいた未就学児と目が合うと、俺の代わりに大声で泣いてくれた。ありがとう。




 さて、暇になった。悔しいが、地球上で一番暇になった自覚がある。家に帰って、バーベルシャフトでも磨こう。そうだ、天気も良いから布団を干そう。ついでに部屋を片付けよう。


 そう思いつつ、一時間前にウキウキワクワクしながら歩みを進めていた駅の入口にトボトボと戻ると、まだあの子がいた。

 グレーのパーカーを深く被り、気怠そうに駅の外壁に寄りかかりながらスマートフォンを弄っている。今度は間違えようがない。バックパッカーの子だ。もう間違える要因もない。その要因は先ほど消えた。


 声を掛けようと思ったが、ここで自分自身が女性に恐怖していることに気が付いた。話しかける勇気が無い。先ほどの悲惨な”事件”故なのか。

 よし決めた。言わせてもらうぞ。もう恋なんてしない。二度とだ。絶対だ。ここは素通りだ。家でバーベルが待っているのでな。あと布団も。

 達者でな、小娘。あと寝る前に歯を磨けよ、小娘。


「あっ。大丈夫でしたか?」


 前言撤回。バックパッカーの子の声に、俺は歩みを止めて身体を向けた。相変わらずの童顔。でも先程とは印象が違って見える。これも失恋という辛い経験を乗り越えた為なのだろうか。彼女の表情が、少し不安げに見える。


「いやぁ、ダメでした。」


 俺は、絞り出すように先程の質問に返答した。こんな回答で正解なのか、自分でもわからないが。


「そうでしたか…。」


 彼女の童顔が、萎れた華の様に見えた。

 そんな顔をされれば、少し心配になるではないか。思わず、「何かあったのですか」と問いかけてしまった。


「えーっと、その。私も待ち合わせしてたんですけど――」


 彼女が言葉を紡ごうとした時、駅前の大通りを1台の車両積載車が通りかかった。

 荷台には、小さく丸めたコピー用紙の様な赤い鉄くずが載っていたが、目を凝らすとタイヤやブレーキレバーが見えた。原型をとどめていないが、オートバイだろう。

 先程まで鳴っていたサイレンは、これが原因だったのだろうか。運転手が亡くなっていなければ良いが、この大破した車両を見ると、良からぬ方向に考えが傾いてしまう。

 あっ、マズイ。彼女との会話中であった。

 慌てて彼女の返答を聞こうと面を戻すと、その彼女は目を見開いた状態で固まっていた。絶句の表情とでも言うべきか、予想外の事態に直面した様な顔であった。


「あのぉ、大丈夫ですか?」


 運ばれていく積載車を、目だけでなく身体の向きも変えて追った彼女に問いかけると、何事も無かった様に表情を戻した。しかし、目だけは動揺を隠せていない。少し視線が泳いでいる。


「い、いやぁー、バイクってあんなに潰れちゃうんだなーって!」


 彼女は少しだけ笑った。引きつった笑顔だ。

 引きつりながらも、可愛さ弾ける笑顔を浮かべて何とかおどけて見せているが、悪役の様な台詞回しだぞ。罪もない一般市民をオモチャの様に扱うタイプの悪役の台詞だぞ。それは。

 彼女の引きつった笑顔と悪役台詞につられて、俺も引きつった笑顔で受け流す。

 お互いに、ぎこちない笑顔で笑い合っていたが、先に口角を元に戻したのは彼女の方だった。


「あー、えっと。お互い、ダメでしたね。」


 彼女が呟いた言葉が少し引っかかったが、そんな事よりも俺にはやるべき事がある。

 家に帰ったらバーベルのシャフト磨きに、洗濯と食器洗い。いや、食器洗いは食器洗い乾燥機を導入したから、任せればいいのか。あっ、布団干すのを忘れていたな。やらねば。あと部屋の断捨離も進めて――。


「もし、よかったら…。2人で反省会、開きませんか?」


 今でも思い返す度に悔しさが込み上げてくるが、食事に全く誘われる雰囲気でも無かったし、そんな希望すら微塵も持っていなかったので、返事が5秒程遅れた。


「ふえっ?」


 本当に悔しい。5秒も時間があったのに、情けない程に間抜けな返答しか出来なかった。

 こんな自分を恥じるばかりだ。

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