表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

りふ

作者: ライス中村


鈴の音が鳴っていた。

僕は死んだのだろうか。


廃油のように重い灰色の、雲に覆われた空に煙が立ち昇っていて、たぶんそれが僕を火葬した煙だ。


鈴の音。


ここは神域だ。古びている。

三年前に赤く塗り直されたばかりの鳥居を、くぐった先に建物がある。

本殿はまだ改修されていないままで、入口との不均衡さに、クラクラと酔いそうになる。


この視野は……宙だ。眼が浮かんでいる、ということはやはり、僕は、僕の肉体から放たれているのだろう。



鈴の音は少しずつこちらへと近づいてくる。


そういえば、鈴を鳴らす者のことはなんと呼べばいいだろう。

奏者、というと少しずれているような気がする。しかしそれ以外に、適当な呼び名は無いような気がする。


思考には妥協が必要だ。


奏者(これ以降、奏者とは鈴を鳴らす者を指す)は、僕の幼馴染の男だった。神主らしい服装をしている。確か…正服、だったか?を身に纏っていた。


「アイヤララ、ソトソトソトナリゥ」


そうか、だから君は。


「ダー、ラー、ミトクサロィフォグザルィ」


人殺しをしたのは弟だったのか、道理で、切り傷が痛まないと思ったよ。死んだとも気づきにくいわけだ。


衣擦れの音がさらさらと、乾いて耳に届く。いつの間にか奏者は境内に到着し、自ら用意した塩で、身体を清めるようなフリをしていた。


葬式など、しなくともよいのに。

遺言に書いておくべきだったか。

ここまで早い時期に命を落とすとは我ながら想定外だったから、そもそも遺言状などは準備していなかった。が、それでも。


ふと、音楽が聞きたいと思った。なるべく下品なのがいい。和音もリズムもなってないような、薬物中毒者が5分で書き上げたようなやつがいい。


僕にはそうして、2つの目標が出来た。僕を殺した奴への復讐と、レコード屋での買い物(もとい窃盗)だ。


機械的に、赤茶けた古風な文句をモゴモゴ述べている奏者。邪魔だ。

奏者の影になっているせいで、せっかく神棚にある鏡は、僕には見えない。


別の鏡はないだろうか。


と、考えていると、ふいに、強力な磁力のようなものが働いて、僕は、東の方向に引っ張られた。

まだ宙に浮かんだままなので、さながら自分は、西から吹く暴風にあおられた、風船のようだ。


フーッと、フーッと僕は東へ飛ばされる。神社は山にあって、また、木が茂る南の斜面にあった。だから、相対的には、僕が北を向いているとすると、丁度右に進んでいることになる。


実際は、視界が暴風にやられて定まらなかった。なので、この説明は事後の理解によるものだ。


移動が止まったのは、山から東にある、大きな湖に到達したときだった。


同時に僕は理解した。あの磁力は、もう一人の僕だ。


いつのまにか、穏やかな晴天がおとずれていた。


水面は、やってくる光を全て反射しているようだった。拒絶ではない。湖は、あたたかな慈愛と冷静さをもってそうしている。


恐る恐る、クロールの要領で腕を動かすと、案外すんなりと、僕は自身の体を操縦することができた。


湖の真ん中の方を目指して腕をかき、そしてたどり着いた。


なんと大きな鏡だろう。魚すら、僕に気を遣って跳ねようとしない。


僕は、亡くなってからしばらく経った僕(その姿、身なり)と、久方振りに対面した。



竜。


僕は竜に変身していた。エメラルドのような緑を伴った堅い鱗が、びっちりと体表に並んでいる。金色の長い綱のような髭が、顔の側面から十数本、後ろに向かってたなびいている。牙は金属に似ていた。


腕だけは、人間の様相のままだ。ただし、それはムカデのように、蛇のような体躯の脇から何本も生えていた。


千手観音が悪魔に唆され、暗黒の道へと堕ちたりしたら、おそらく、こんな姿になるのではないだろうか。



(行かねばならないな…)


変化に少し驚いたとはいえ、この新たな身体に見惚れているままでは、ダメだ。

それではナルキッソスと同じだ。



僕は、今度は尻尾を振って(一度そうと理解してしまうと、元来のヒトとしての自分の体にはなかったはずの部位も、思ったままに動かせる)この場所を離れ、次の目的地へと向かった。



目的地?ここがどこかも分からないのに?


そういった心配が僕にもあったが、しかし「僕」(磁力だ)は僕の腕を引いてくれたので、なんということはなかった。


方角は、もはや意味を為さないだろう。



まるで光になったような気分だ。景色の流れるのが速すぎて、時間さえも置き去りにしてしまいそうだ。








ビルが、一棟、二棟、…数えるのも馬鹿馬鹿しいか。


僕は都会に到着した。


排ガスの匂いがする。脳を真っ黒に溶かす匂いは、都会の毒であり、かつまた同時に特権でもあった。


誰も僕を見ていない。これも都会だ。皆、意識を、どこかつまらない組織に隷属させている。なので、許可されたもの以外を見つけることができない。


だから窃盗もすんなり済んだ。


こんな手順だった。


身体をしぼませる。

偶然目にとまった、青い看板が特徴的なレコード屋の自動ドアを過ぎる。


適当に一枚、戸棚(都会に似合わない木製だった、僕はすこし落胆した)からレコードを抜き取り、懐に隠して、何事も無かったかのように店を去る。


呆気なさすぎて欠伸が出た。


その失礼さを誤魔化すために、高度10000mまで上昇して、全ての建物を見下す位置に辿り着けるというのをみせつけた。そうやって、自らの優位性を街に示してから、「僕」は都会のことを忘れて、次の目的地(もはや説明は不要であろうが、僕は目的地を知らない)へと向かった。


レコードに収録されていたのは落語で、聴く気は失せた。やっぱり実際に目で見てでないと、窃盗はうまく行かない。



景色を取り残して、ヒュン、と空の道(「道」というのは、自分が通った場所が、後付けで得る称号のようなものだ。たとえ線で区分けされていなくても、誰かに通行されたスペースは全て道なのである)を進む途中で、面白いものを見つけた。




お菓子の城だ。

おそらく、茶色いバタークッキーでおおかたの骨組みが作られていて、ホワイトチョコで、壁が塗られている。

庭園にはカラフルな飴細工が並ぶ。特に、水色の噴水の出来が見事だった。



王様が作らせたのか。


優秀な蟻達がその脆弱さに気付き、城の角の方から少しずつ登りはじめていた。黒い災難、とは彼らのことを表現した言葉だ。


ガジガジ、とかすかにかじる音声が聞こえる。



人生とはあの城のようなものに違いない。当人の知らないところで蝕まれて、崩れるのは一瞬だ。


僕はぺっと城に唾を吐きかけた。竜の唾は、紫色で、ナメクジのようにネトネトしていた。






………静かに。


今僕は、小さな子供が14人住んでいる、見窄らしいトタン製の秘密基地への侵入を試みている。

みんな、お揃いのピンクの寝巻きを着ている。ボタンをかけられるのか。偉いなあ。親は死んでいるのか。




…ああ!君がうるさくするから、ばれてしまったではないか!


子供がみんな、地下の核シェルターへと逃げ込んだ。鋼鉄に覆われた、哀しい囲いの中へと。



どうしようか。

そうだ。僕は料理がしたい気分だったんだ。


晴天にもそろそろ飽きた。


僕はこう怒鳴った。


『ーーーーーーーーーーーー』


それが、落雷を呼び寄せた。



落雷は、核シェルターを容易にすり抜けて、子供たちへ届いた。


そうそう、今まで、雷はてっきり黄色なのかと思っていたが、どうやら、実は銀色だ。僕に誤った事を教えた世界の全てを訴えたい。



落雷は14人の子供たちの心臓を貫き、それから、彼らの表面を黒焦げにした。



つまりは、14粒からなる料理ができた。

酒のつまみくらいにはなるかもしれない。



叫び声の聞こえない死というのは幸せだ。子供たちも天国で僕に感謝しているだろう。


白くてコミカルな雷雲が、空にマダラ模様で現れていた。


これは復讐で、子供たちは自業自得なのだ。

悪いことをしたのを、悪いことで返されただけだ。









帰ろうか。


と、ここで「僕」は痴呆になってしまった。

僕は迷子だ。


僕は、どこに帰ればいいかわからない。

(鱗を剥がして一枚プレゼントしてやるから、誰か道案内してくれよ)

そういった念を発してみたが、駄目だった。


ここはどこだ。本当に分からない。

七つの色が見えるので、もしかすると、虹の胎内だろうか。


かろうじてプカプカ浮かんではいるが、形容するなら「トボトボ」というのが一番似合うであろう、そんな移動をして、僕は溜息をつきそうになっていた。




俯いて、プカプカ、トボトボと。



次第に、七色のうち六色分は、薄まって無くなっていく。それと同時に、先ほどまでには無かった、ある一色分が増えた。そうして僕は、緑と茶色が広がる草原に至った。



どこまで行っても草原だ。

無音の草原だ。



プカプカ、トボトボと。



…ドン。

ぶつかった。

衝撃と痛みに耐えかねて、再び顔を上げた時、そこにあったのは、巨大な黒いピアノだった。


この僕の竜の大きな体が、目の前のピアノにとっては、小指大にしかならない。



最後に…。

ミの音をならそう。鈴の音に最も近い音を。



白鍵に狙いを定め、体当たりすると、ポロン。




あっ、蝿が背後で落下した。



そうか、この蝿の命は僕が奪ったのだな。

そうして、夜が訪れた。


オイオイ泣いた。涙は、闇と上手に混ざり合って、酸になる。


涙と闇の混合により生じた酸は、草原をゆっくりと満たしていく。

スケール感は違えど、プールに水が貯まるのと同じだ。

草原の空気が追いやられて、そこに、代わりに酸が満ちる。


僕の身体も、ピト、と酸に触れた。

ようやっと、僕は尻尾の先からとろけはじめる。



酸は波を呼び起こした。


波は、僕の身体を一気に飲み込んでくれた。


全身の、先端という先端がとろけだす。







とろけながら、ロンドンに思いを馳せた。

いつか、ロンドン。溶けた僕は夢。


「僕」だけが先に消えたために、少しばかり釣り合いがメチャクチャな時間もあったが、これで、やっと僕は溶けきって、均衡を取り戻せた。





楽しさ。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ