女神のもたらすもの(1)
「ブルーノ・デッシは見つかるわけが無いんだ。すでに死んでいる。殺されて、死体は隠されている。花婿殺害の容疑者として、警察が追いかけている間は、時間稼ぎができるし真犯人から目をそらすこともできるから。カリーナ嬢は、彼が殺された経緯から真犯人の狙いまで、すべてを知っていた。だが、屋敷の中では言動が監視されていて、警察に真相を話す機会がなかった。まさかロダンまで悪党一味とは知らなかったから、この場に連れてきたんだろうが」
個室に残って、椅子に腰掛けたアルベルトは虚空を見据えて言った。
テーブルを囲んでいるのは他に、ファナとガリレオ。カリーナはすでに、その場に姿を見せたガリレオの部下が連れて店を出ていた。
ガリレオはアルベルトを急かすことはない。ファナもその態度にならって、静かに耳を傾けていた。
普段よりもゆっくりと、アルベルトは話を続ける。
「ブルーノを寝室まで手引きしたのは、屋敷の人間だ。指示を出したのはカリーナ嬢の父親。狙いは資産家である花婿の財産。結婚前からずいぶん貢がせていたようだが、結婚さえ成立してしまえば『妻』としてさらに財産を手に入れることができる。花婿は用済み。そこで、私怨があり、もっとも疑いを向けられやすいブルーノを唆し、殺させる……。だがブルーノは、花婿を殺害すらしていない。手引きした人間に新婚夫婦の寝室に通されたところで、花婿ともども殺されている」
(まるでカリーナさんの記憶を「見たかのように」話している……。これが、触れたひとの心を読む「能力」ということ?)
深く、沈んでいくかのように暗い声。アルベルトは目を閉ざした。
腕を組んで聞いていたガリレオが、そこでようやく口を開いた。
「屋敷の人間に聞くと、ブルーノの目撃証言が出る。動機もある。『カリーナ嬢を奪った花婿を殺し、カリーナ嬢を手に入れる』という。初夜に花婿を殺して一度姿を消し、警戒が緩んだ頃に再度の襲撃をしてカリーナ嬢を誘拐……。カリーナ嬢の話していた仮説は警察も考えていた。筋が通って無理がない。ただ一点不可解だったのは、誰よりも犯人に近づいたはずのカリーナ嬢が『犯行そのものは見ていない』と言い張ったことだ。嘘。嘘をつく理由は何なのか? 尋ねても警察には話す気はないと。自宅以外の場所で、神官相手なら話すと言うので、今日はあの庭師の少年の手を借りて、屋敷に軟禁状態だったカリーナ嬢を連れ出してきてもらったわけだが……」
「庭師が一番の危険人物だった、と」
ガリレオの説明を引き継ぎ、アルベルトが結論を口にする。苦い表情で、ガリレオが頷いた。
店の周りには、警察組織の人間が配備されていた。
厳重なその包囲をかいくぐり、ロダンは逃げ切った――追跡中という報告が上がっている。警察はそのまま追いかけているようだが、ガリレオはここでアルベルトの話を聞いてから戻るとのことだった。
二人の会話の邪魔にならないように息を潜めていたファナは、沈黙になったところでようやく口を挟む。
「なぜ殺す必要があったのですか。資産家の花婿との結婚。生かしておいた方が平和で……、つまり、たくさん稼いでくれますよね?」
答えたのは、アルベルト。
「おそらく、再婚を見越している。ここで一度目の結婚を潰して、ほとぼりが冷めた頃、もう一度カリーナ嬢を別の資産家に嫁がせる気だったんだ、父親は。そのために、『初夜を迎える前に花婿は殺され、花嫁は純潔を保った』という状況を作ろうとした」
「そこまでする理由ってなんですか?」
「莫大な金が必要だったらしい。カリーナ嬢はその内実までは把握していない。推測だが、父親は何かとんでもない事業に手を出し、資金を必要としていた。……誰かが手っ取り早く金を稼ぐ方法として、カリーナ嬢の結婚を利用することを父親にすすめた。案外、ブルーノ・ロッシの没落もカリーナ嬢に貢いだせいかもしれない」
黙っていたガリレオが、ため息をつく。悪魔だな、と小さな呟き。
「殺害の指示は父親から出ていたとして、花婿とブルーノを殺した真犯人はまだ逃げているわけだ。一連の犯行は『誰かが』父親に教唆した……。個人とは考えにくいから、事業絡みでなんらかの組織が関わっていると考えるべきだろう。庭師のロダンはその組織の手先。屋敷の動向を探るために入り込んでいて、今日は『屋敷の人間に不審感を抱いているお嬢様の手助け』をするふりをして、こちらに接触してきた。カリーナ嬢は庭師も信頼まではしていなかったからこそ、神官のアルベルトを前にしても彼のいる場で『真実』を口にすることはなかった。アルベルトはそれを見抜いたわけだが、俺の動きが迂闊だったな。こちらの手の内を知られたかもしれない」
ちらりと視線を向けたアルベルトが、「それはあまり気にするな」とすかさず言った。ガリレオは淡く微笑んでいたが、目の光は弱く、落ち込んでいた。
しかし数度の瞬きとともにその弱気を払って、立ち上がる。
「よくわかった。カリーナ嬢はこちらで保護できたわけだし、おそらく今後同様の証言をしてくれることが期待できる。我々が探すべきは、ブルーノの遺体であり……、二人の男を殺害した真犯人。そして父親に何かを吹き込んでいる人物。ありがとう、アルベルトのおかげでかなり見通しが良くなった」
「仕事をするつもりで来ているから、それは当然だ。忙しいなら早く行け」
「うん。そうする。アルベルトは食事をしていくならしていって。帰り道は部下を護衛につけておく。念の為。それじゃあ、またね」
最後はファナに向けて。ガリレオは、出会ったときと同じように隙のない笑みを浮かべていた。「はい」とだけファナは返事をする。ガリレオは頷いて踵を返し、風のように部屋を出ていった。
ドアが閉まるまで見送る。アルベルトと二人きり。
ファナが顔を向けると、ちょうど見つめてきていたアルベルトと視線が絡んだ。
「これが俺の『能力』で、ときどきこうしてガリレオを通じて、市内の事件に介入することがある。普段はもっとさりげない方法で対象と接触するんだが……。今回は、初めからカリーナ嬢が俺に触れてきたので、そのまま探っていた。それほど強い能力ではないので、肌に直接触れる必要があるんだ」
真摯なまなざしで、どこか言い訳めいた説明をされる。ファナは「大丈夫です、わかります」と笑顔で応じた。もっと自然に笑いたかったが、頬が引きつったままだった。しかも、失言をした。
「そんな不思議な能力のことなんて全然思いつきもしないので、今日のアルベルトさま、女性に積極的だなぁ、なんて思うところでした」
アルベルトがすうっと目を細めて、ファナを睨みつけた。端整な容貌なだけに、冷ややかさが際立つ。機嫌を損ねた気配が濃厚で、ファナは「う」と変な声を上げた。そのファナをじっと見据えて、アルベルトが低音で告げた。
「べつに、触れられるのも、触れるのも必要があるから我慢しているだけで、好きでやっているわけじゃない。能力を使うとかなりの疲労感もある。平たく言うと、いまの俺はだいぶ消耗している。そんな俺に追い打ちをかけるようなことを言うファナは、ずいぶんといけない子だね。少し俺に『わからせ』られてみようか」
強張った笑顔のまま息を呑んで、ファナは椅子の上で体を縮こまらせた。アルベルトの目は、まったく笑っていない。
(わからせ……、ええと……何を、ですか?)