ガレリア(2)
「迷える子羊のガリレオです。優しくしてね」
唇の前に、黒の革手袋をはめた手で指を一本立てて、ガリレオは明るい声で言った。
途端、ハッ、とアルベルトが皮肉っぽく笑って応じた。
「昨今の竜は、子羊でもなれるのか。さぞや可愛い集団だろうな」
「ひとは誰でも迷える子羊なんだよ、アルベルト。聖職者ならそのへんの機微に聡くならないと」
「ガリレオ相手に繊細さを発揮してどうする。そういうのは減るんだ、出し惜しみくらいするさ」
打てば響くとはこのこと。話し始めたら止まらぬ二人らしく、口を挟めないまま見守るファナの前でぽんぽんと言葉の応酬を繰り広げる。
ガリレオは爽やかな笑みを浮かべたまま。一方のアルベルトは、普段神殿内では決して見せないような悪童めいた態度で。
「本当にその性格相変わらずだね。そこの可愛い神官さん、アルベルトは神殿でいつもこうなの?」
突如話を振られて、ファナはガリレオを見つめ返す。
「神殿では……、とても厳格で他の神官の模範となるような。後輩たちの憧れの存在です」
「それ、言わされてない? 大丈夫?」
翠眼が星の瞬きのように煌めいて、ファナをのぞきこんでくる。
愉快そうな笑みが精悍な容貌を鮮やかに彩り、まともに目を合わせてしまったファナは幻惑されたように言葉を奪われた。ガリレオはくすっと声を立てて目を伏せ、一歩身を引く。その位置から、穏やかな声で話しかけてきた。
「アルベルトとは同郷で幼馴染だ。昔からよく知っている。こうしてときどき食事をすることもある。君の話も聞いているよ。目に入れても痛くないほど可愛がっているとか」
「可愛がっているというか……。アルベルト様は、物心ついた頃から私の世話係といいますか。お世話になっている方です。とても恩があって」
「おっと。それ以上は言わなくていいよ。そこの悪い男にいいようにつけこまれる。気をつけな」
(何に気をつけるの? アルベルト様に?)
ふう、とファナの背後でアルベルトが吐息した。
「からかわないでもらおうか。ファナはそういう冗談に耐性が無い」
「そこが良い、ってこと?」
「聞くな。答えは決まりきっている」
「……いやぁ、だめでしょアルベルト。可愛い子を神殿に隔離して、俗世の汚れから遠ざけたつもりになっているの? そんな場合じゃない。神殿はそういう綺麗なだけの組織じゃないはずだ。アルベルトが教える気がないなら、俺が手ほどきしてあげようか。いろいろと」
ガリレオに片目を瞑られ、ファナは石化した。目をそらすことも瞬きすることもできない。
この二人の会話を聞いていると、妙に背筋がぞくぞくする。
(出会ってはいけない天敵同士、猛禽と猛獣の決戦の真ん中に取り残された小動物になったような。怖い……。そんな弱気なことじゃいけないのに。気を強く持たないと)
きゅっと拳を握りしめる。
ガリレオは笑みをもらして「行こう」と促してきた。
ファナがアルベルトを振り返ると、無言で頷かれる。そのまま三人で歩き始めた。
夜のガレリア――
普段出歩いたことがないせいで、見慣れたはずの景色が新鮮。
通りに灯りを零した軒先の看板。並んだ植木鉢の向こう、オープンテラスカフェから聞こえるカトラリーや皿の触れ合う音。さざめく話し声。漂うコーヒーの匂い。
そういったすべてに五感を刺激されながら歩いているうちに、ファナは妙に視線を感じることに気づいた。それとなく周囲に目を向けると、何人かとばっちり目が合った。
(気の所為……じゃないよね?)
その理由はすぐに思い当たる。
一緒に歩いている長身の青年二人。
ともに黒衣を身に着けながら、かたや白銀の髪の神官。かたや赤毛の竜騎兵。
(目立つ……。たぶんこの二人は目立つ)
おそらく一人でも目立つのに、二人並べば制服から職業も自ずと知れるわけで、なぜその組み合わせでという興味もひくに違いない。
ファナ自身も、この時点でよくわかっていない。
同郷で幼馴染ということだが、物心ついた頃から孤児で神殿育ちのファナには、それがどういう意味を持つのかも、漠然として掴めない。ただ、里帰りなどすることのないアルベルトにも、どこかに故郷があるのだと実感しただけだ。
そして、ファナの知らない神殿外での付き合いがある。
「今日はそこの店だ。会わせたい相手がいる。もう来ているかな」
歩調を速めて数歩先に進んだガリレオが、肩越しに振り返り、細い路地を示して言った。