ガレリア(1)
この街には、かつての賢王の名を冠した屋根付き市場がある。
街の中央広場に面しているアスティ神殿の、目と鼻の先。
石畳に、ガス灯の淡い光が落ちる夜の時間帯。ファナは、アルベルトともに神殿の裏口で落ち合い、細道を通って神殿正面の通りを目指した。
――今晩だ。ガレリアのいつもの店で待っている。すっぽかすなよ、アルベルト
聴罪室に現れた正体不明の相手の誘い。アルベルトは心当たりがあるらしく、てきぱきと自分とファナの外出許可を申請し、あっさりと承認され、夜の街へと繰り出すことになった。
二人とも漆黒のスータン姿のまま。誰が見ても神殿の神官だとわかるが、アルベルトに言わせると「俺のこの顔はそれなりに売れているから、私服でもわかるひとはわかる。それならお忍びで遊んでいると思われるより、『神殿に恥じるところのない用事』で外出していると思われた方が良い」とのことだった。
たしかに、アルベルトの容姿は人目を引く。銀髪で白皙の美貌の長身男性といえば、その素性もすぐに知れるというもの。私服で出歩いていれば、余計に注目を浴びるのかもしれない。
一方のファナは、普段から神殿の外に出る機会は多くなく、市民に顔が知られていると自分では思っていない。個人的に夜間に外出するなどこの日が初めてで、許可がこれほど簡単に下りるということも、これまでまったく知らなかった。
(ガレリアにはもちろん何度か行ったことはあるけど……、レストランで食事なんて初めてだ。どういう感じなんだろう? アルベルト様は慣れていそうだけど)
ファナと肩を並べて歩いているアルベルトは、特に気負った様子もない。
ちらっとうかがうと、気配で気づいたのかすぐに顔を向けてくる。
「迷子にならないように、手をつなごうか」
「大丈夫です。小さな子どもでもあるまいし、迷うような道でもないです」
「この時間帯はまだ結構人出がある。離れてしまえば、簡単に見失ってしまうよ」
指が長く大きな手を差し出されて、ファナはいえいえ、と手のひらで押し返した。
「見失うわけないです。アルベルト様の銀髪、目立ちますから。どこにいたって、見つけられます」
背が高いうえに、水際立った容貌と長い銀髪。目印はたくさんある。その意味で言ったのだが、なぜかアルベルトはアイスブルーの目を細め、片手で胸をおさえて呻いた。
「ファナ、なんという殺し文句を」
「殺し?」
(何か物騒なことを言っている?)
きょとんと首を傾げながらも、ひとまず足を止めずに歩く。ほどなくして広場を通り抜け、ガレリアの入り口についた。
百年前の重厚な建築様式。細部まで彫り込まれた石造りの門から道が伸びていて、左右にずらりと店が軒を連ねている。
鉄骨とガラス張りで天井は高く、壁面から天井まで見事な装飾が施されており、うつくしく敷き詰められたモザイク床には十二星座が描き出されていた。
その床を踏みしめて進むと、いくつかの店はすでに閉まっていたが、服飾関係の高級店や老舗のパン屋や小さな菓子店は、ガラス扉からやわらかな灯りを通りに捧げていた。
カフェやレストランはいままさに賑わう時間帯と見え、人通りも昼と変わらず多い。
「夜のガレリアは初めてのはず。私が目を離したすきにファナがさらわれてしまうといけないから、やはり手はつないでおくべきだと思う」
「アルベルト様、心配しすぎです。誰が私をさらったりしますか」
外で人目もあるせいか、アルベルトの話し方は二人きりのときとは少し違って丁寧だ。そして、言っている内容は倒錯的に過保護だ。
ファナはやや呆れて小さく反発してしまった。子どもじゃないですよ、という意味をこめて。
そのとき、ふっと、背後に人が立った。
最前まで何も感じなかったのに、いきなり近すぎる距離に気配が現れて、ファナは焦って振り返る。その鼻先が、相手の胸元にぶつかるほどの近さ。
「こんばんは。良い夜だね。待っていたよ、アルベルト」
(この声……! 聴罪室に来た男の人だ)
交わした言葉は少なかったが、覚えている。
ファナは高い位置にある相手の顔を見上げた。
ガレリアの人工の光源の下、無造作に跳ねた赤い髪が確認できた。見下ろしてきたのは、濃緑の、宝石のように煌めく瞳。茶目っ気ある笑みがいかにも似合う、荒削りで精悍さを帯びた顔立ち。
一歩後ずさりながらその姿を視界に収める。
黒の制服姿。白のシャツとネクタイが襟元からのぞいている。身長はずば抜けて高く、すらりと長い足に黒のブーツ。
警邏に見えたが、それにしてはこの制服見覚えがある、と考えてファナは思い至った。
公式行事のときにはその上に揃いの黒のマントを羽織って、一番目立つ位置で行列を先導することもある、警備隊の花形。選りすぐりのエリート部隊であり、なおかつ見栄えもする者が多く、一目見たいと市民の話題に上るのはファナも何度か耳にしたことがある。
(竜騎兵だ……!)
目を大きく見開いて、相手を視認。
そのファナの背後から、アルベルトが腕を伸ばしてきて、相手からかばうように軽く抱き寄せてきた。
思わずファナが見上げると、アルベルトは険しい表情で竜騎兵の青年を睨んでいた。
「ガリレオ。ファナに近づき過ぎだ。自重しろ」
重々しい口調でその名を呼ぶと、すかさず苦情を申し立てた。