翼ある者の血脈(2)
(私は、子どもの確保を……!)
ロザリオが仮面の男に向かって行ったのは、子どもを盾に取られるのを防ぐため。追跡時に目にした脚力から、ある程度その肉体の強靭さは想像がついていたが、ロザリオの動きはファナの想定以上であった。
俊敏に踏み込んで、蹴りを放つ。仮面の男は、避けながら後退。
間髪入れずに拳を叩き込む。直撃こそしていないが、男はさらに道の奥へと追いやられている。
(いまのうちに)
見守っていたファナはそこで、駆け出す。ロザリオが稼いでくれた距離があるうちにと、倒れていた子どものそばに膝をつき、体に手をかける。「大丈夫?」と揺さぶりかけて、違和感に気づく。
とっさに逃れようとしたときには、すでに半身を起こした相手によって、手を掴まれていた。
先程見かけた子どもじゃない。伏せていて、よく見ていなかったが、体の大きさが違う。
「どーもー」
振り払おうとしても強い力でファナをとらえていたのは、カリーナ嬢の一件で顔を合わせていた、庭師のロダンと名乗った少年であった。
愛想よく、へらっと笑っている。
(地下に下りたタイミングか、もしかしたらその前で、入れ替わっていたんだ……!)
「離してくださいっ」
「そういうわけには。神官さんの確保も今回の計画のうちだから」
「……私『も』というのは」
警戒しながら、ファナは鋭く問い質す。ロダンは口を滑らせたことに気づいたようで「あ~」と緊張感の無い声を上げてから、そのままの調子で何気なく答えた。
「さっき聞いたよね? あのひと、アルマトゥーラ王家のひとだって。この地上でいまは数少ない、伝説の有翼種の血筋だって触れ込みの。うちのボスは有翼種に執心だから、呼び寄せて仲間にしたいみたいなんだよね」
「ロザリオさんは、あなたたちの仲間にはならないと思いますが」
気安い調子にならないように、それでいてロダンがさらにしゃべりやすいように、ファナは煽る相槌を打つ。ロダンは、格闘している二人にちらっと目を向けてから「そうなんだよねえ」と素直に頷いた。
「言うことを聞かせようとしたら、大変そう。よほどの弱みを握らない限り。神官さんはあのひとの弱点になり得るのかな」
「ならないと思います。会ったばかりです」
ロダンから狙い定めた蛇のような目を向けられ、ファナはぴしゃりとはねつけた。
(ロザリオさんは、責任を感じて私を守るとは言ってくれているけど。それは、アルベルト様とは根本的に違う。アルベルト様は……、絶対来てくれると思うけど、来られたら本格的にまずいです。やっぱりこのひとたちの狙いは私ではなく、アルベルト様なので)
ここで仮面の男やロダンを退けられれば、ひとまずアルベルトに迫る危機は回避できるとしても。彼の言う「ボス」が仮面の男とは限らないのだ。
そこで、閃いてしまったのは、自分がロダンに手を直に掴まれて、戒められているという事実。
(もし、このひとの心の中が見られたら、悪党たちの情報をもっとたくさん得られる……?)
考えた瞬間、だめにきまっている、と心の中で打ち消す。
そんなことをすれば、ファナが何を言わなくても「有翼種の持つ能力」について知る相手には、ファナもまた能力者であると気づかれてしまうことになる。
しかもアルベルトによれば、ファナの力はアルベルトよりもずっと強いのだという。
おそらくそれは、絶対に隠し通さなければならないことだと、直感的にわかる。
隠して、守られながら、逃げる。
剣を取って戦うことのできないファナには、それしか方法がない。
あまりに、無力。
無力が嫌ならば。
戦うしかない、あとは覚悟だけ。
(だけど……、その結果、もっと悪いことになってしまったら。何もしないよりも、状況を悪くしてしまうかもしれない。自分にも何かできるはずと驕ったせいで、周りに迷惑をかけるだけでは、あまりにも)
強すぎる葛藤にファナは顔を歪めていたが、ロダンは何ほども気づいた様子もなく、戦う二人を見ていた。
「結構やるね、あのお兄さん。この間の竜騎兵のひとも怖い動きをしていたけど、こっちのお兄さんは無駄も躊躇いもない。いざとなるとあっさり人を殺すよ、あのタイプは。ああいうのは悪党向きなんだけどなぁ。ほら、生い立ち考えても、闇が深そうだし」
まるで本気の格闘を前にしているとは思えない、のどかな口ぶりだった。生憎、戦闘の心得のないファナには、それをもって今のロダンが油断しているかどうかはわからない。隙があると決めつけて立ち向かっても、返り討ちにあうのも想像に難くない。
結局、何もできない。
諦めめいたものに全身が支配されそうになる。
せめてロザリオの戦いを見守らなければと目を向けたそのとき、視界に妙なものが入り込んできた。
子ども。
おそらくどこかに置き去りにされていたであろう子どもが、物音を聞きつけたのか闇の中から近寄ってきて姿を現していた。
(いけない)
仮面の男も、ロザリオも同時に気づく。これを利用しない手はないと、仮面の男が考えたのは明らかで、ロザリオもまたそれを察して先回りをした。
袖からナイフを出した男が子どもに斬りかかる。
悪夢のような一瞬。
身を挺してかばったロザリオにナイフは襲いかかる。
弧を描く血とともに、何かが飛んだ。
べしゃ、と床に落ちたそれをファナは目を見開いて見つめた。
ロザリオの手首から先。
つい少し前まで、絵筆を持っていた右手が切り落とされていた。
わあ、というロダンの感嘆したような声を遠くに聞きながら、ファナは頭が真っ白になるのを感じた。
(できることがあるのに、ぐずぐずしていたせいで、取り返しのつかないことに)
自分への強い怒りが体を貫いて、雷鳴のように迸る。
ファナの手を掴んでいたロダンが、ぎゃっと悲鳴を上げてその場にひっくり返った。
白く焼け焦げたような煙の立つ手をおさえて、何が起きたかわからないとばかりにファナを見る。
そちらを見ることなく、ファナは陽炎をまとって立ち上がった。




