聴罪室(2)
聴罪室へと至るドアを開け、長身のアルベルトは身をかがめて中に滑り込んだ。
ひと一人がようやっとの、狭い空間。
ファナは部屋の外で待とうかと一瞬悩んだ。しかし、もし万が一誰かに姿を見られてしまったら、聴罪の最中に廊下で何をしているのかと問い詰められてしまうだろう。中にアルベルトがいることもばれてしまえば、大きな問題になる。
(私が怒られる分には良い、けど。アルベルト様に迷惑をかけるわけには)
ファナも子どもではない。神殿内外においてとかく目立つアルベルトのこと、味方だけでなく、敵も多いのは知っている。こんなところで自分が足を引っ張るわけにはいかない。その決意から、アルベルトの横に身をねじこんで、ドアを閉めた。
光の乏しい小部屋の中にあって、アルベルトの銀髪は発光しているかのように輝いている。
粗末な木の椅子に腰掛けたアルベルトは、ちらりとファナを見上げてきた。
超然とした美貌に激高の余韻はすでになく、いつものように落ち着き払って見える。
ファナと言葉を交わすことなく、アルベルトは小窓の向こうへと視線をすべらせた。そのアイスブルーの瞳は、物理の壁をものともせず、相手を透かし見ているかのようであった。
かたちのよい唇が、声を紡いだ。
「翼ある女神アタルガはいつも私達を見守ってくれています。さてあなたは、今日はどのような話があってここに来ましたか」
温度の無い、「個」を排したような低い美声。乾いていて耳馴染みがよく、横で聞いていたファナの胸にも響く。
(さすがアルベルト様……! こんな風に声をかけられたら、誰だって悩みを話したくなります!)
後輩として、素直に感嘆の吐息をもらす。そのまま耳をすます。
沈黙の後、格子窓の向こうからは、ふい~っという長い溜息が聞こえた。
「つまんね。男には興味無いんだわ」
がたがた、と席を立つ音。ぎいっと蝶番が軋んで、ドアが開いて閉まる音が続く。
その間、アルベルトもファナも口をきかなかった。足音が遠ざかり、聞こえなくなる。完全に立ち去ったと確信した頃になって、アルベルトがぼそりと言った。
「聞いていけよ。俺のぱんつの色」
身を縮こまらせ、息すら止めていたファナは脱力とともに呟いた。
「私は良かったですよ。ここでそういう会話が始まらなくて……」
「そうなのか? てっきりファナも聞きにきたかと思っていた。ぱんつ談義。俺のぱんつについてファナに知られるのは少し恥ずかしいけど、それでファナを守ることになるなら、俺のいっときの恥ずかしさなんて」
「もう結構です、ありがとうございました!」
放っておくととんでもないことを言い出しかねない(※すでに言っている)アルベルトの言葉を遮るべく、ファナは声を張る。頬が朱に染まった自覚があって、顔をそむけた。
麗人アルベルトは、普段はその見た目を裏切らない完璧超人ぶりで、厳格にして礼儀正しい態度でひとびとに接している。
ファナと二人のときは、別だ。少しだけ口調を崩して、街場の青年のように飄々とした話し方をする。
だからといって、ファナの方から先輩であるアルベルトに対して、けじめのつかない接し方をするわけにはいかない。
(アルベルト様は本当に本当に、私のことを甘やかそうとするから。勘違いしたくない)
ほとんど記憶にもない子どもの頃から、アルベルトはファナの守護者だった。もはや親代わり。それだけに、我が子のように親しみを覚えているらしいことはわかるが、年齢を重ねるにつれて、ファナは分を弁えるようになった。
アルベルトは自分のような下っ端からして、本来なら手が届かないひと。
いつなんどき、離れ離れになるかもわからない相手なのだ。そのときがきても、重荷となることなく離れられるように。今から距離感を間違わないようにせねば、と。
その複雑な胸中を知ってから知らずか、アルベルトは椅子に腰掛けたまま腕を組んで、低い声で考え深げに言った。
「しかし、聴罪で姿が見えないというのは、ファナにとっては危険だな。さっきの相手、声だけ聞いて今日の聴罪士が女性であると確信していたわけだろう。神殿には女性の神官がいないのだから、そんなことはありえないはずなのに。普段、ファナは女性的な外見の少年で通しているわけだけど……。声はもうごまかせないのかな」
ファナはアルベルトに視線を戻す。
「そんなに私の声は、女性らしくなってしまっているでしょうか」
「話し方が優しいというのも、あるかもしれない。聴罪のときはファナ自身が構えてしまって、いつものように低く発声できていないんじゃないか。いまは二人だけだ。俺を迷える信者だと思って、話しかけてみて。聞いているから」
普段の身長差ならありえない、見上げられる角度。アルベルトのまなざしに緊張しながら、ファナは(私はいつもどんな風に話しているのだろう)と考えながら口を開く。
そのとき、きいっと、蝶番の軋む音がした。
小窓の向こう側の空間に、誰かが来た。