絵描きの青年(2)
普段は、信徒の立ち入りの制限されている神殿の中庭。
装飾性の低い小さな噴水まわりに、ささやかな花壇。薬草園や畑へと続く道に立ち入る手前、木陰に置かれた古ぼけたベンチ。
ロザリオにはベンチを案内し、ファナは噴水の縁に軽く腰掛けて絵のモデルとなった。
多少動いても構わないと言われても、勝手のわからないファナは身構えて固くなってしまう。それが伝わるのか、ロザリオは気軽に話しかけてきた。
応じているうちに、ファナの気持ちもほぐれてくる。
「さっきの、手品というのでしょうか。どこに鳩を隠しているんですか?」
手元のスケッチブックに鉛筆でさらさらと線を描きながら、ロザリオは「そうだねえ」と言って眼鏡越しの視線をくれた。
「そのときによって違う。気になるなら僕の身体検査してみる? どこを触ってくれてもいいよ。もしくは、脱ごうか?」
「いえっ、そんなつもりでは。鳩は凶器にはなり得ないと思いますしっ」
予想外の切り返しに、ファナはしどろもどろになってしまう。ロザリオはくすくすと健やかな笑い声を上げ、スケッチブックをベンチの上に置いた。「ほら」と言いながら、ジャケットを脱ぐ。
「すみませんっ、結構ですから!」
本当に全部脱がれたらどうしようと、ファナは思わずその場で立ち上がる。
少し離れた木陰で、木の幹にもたれかかっていたアルベルトが、無言でロザリオに歩み寄った。
「聖職者にセクハラを働くとはいい度胸だ。つまみ出されても文句は言えまい」
「絵を描くときに邪魔だから、上着を脱いだだけです。さすがにこれ以上は。脱いでも良いですけどね? べつに、見られて恥ずかしい体をしているつもりもないですし、裸は芸術の領域ですから」
「ぬけぬけと何を言い出したんだ。そっちは芸術家気取りかもしれないが、こっちはしがない神官だ。おいそれと理解し合えるとは思うなよ」
「あはは、心が狭いこと言いますね。でも神殿と宗教画は切っても切り離せないでしょう。審美眼を養うのも大切です。あなたも顔は綺麗だ。天使画のモデルにしたら映えそうです」
(……どう聞いても友好的な会話じゃない。アルベルト様の警戒心が最高レベルで)
自分が招いた事態とはいえ、ファナとしてはハラハラしっぱなしであった。アルベルトはたしかに喧嘩腰だが、それを臆せず指摘するロザリオもまた、食えない性格をしている。人当たりの良さに気を許しかけていたが、一癖ある人物なのだと、今更ながらに思い知った。
アルベルトは今にも舌打ちしかねない顔でロザリオを睨みつけてから、ベンチに置かれたスケッチブックを覗き込んだ。
何も言わないまま、軽く目を瞠った。
ロザリオは笑みを浮かべてじっくりとアルベルトの反応を見てから、スケッチブックを手にする。
「まだ完成ではないので、そこまで。出来上がったら、差し上げますよ。商品にはするなというのが最初の約束ですから。ご心配なく」
顔を上げたアルベルトは、じっとロザリオの目を見つめた。やがて、低い声で告げた。
「ファナはたしかに、いわゆる男らしさとは無縁だが。それではまるで女性だ。目は確かか?」
「はい。僕の目に見えたままを描いていますよ」
ファナの抱える秘密。その核心を掠るようなアルベルトの発言に、ファナは息を止める。お前は何に気づいた? と探りを入れているようだ。
ロザリオは微笑んだまま。内心の覗い知れぬ、深い笑みだった。
それ以上の追求を諦めたのか、アルベルトは吐息とともに顔を逸らした。
ちょうどそのとき、薬草園に続く小道から、人影が現れる。相手が老齢の神官長と気づいたアルベルトが、すばやくそちらに歩み寄った。
「アルベルトか。少し話がある」
ロザリオも、相手が立場のある神官だと気づいたようで、頭を垂れている。そちらをちらりと見てから、神官長はアルベルトをいざなうようにもと来た道を戻ろうとした。
アルベルトは、その場に残すファナとロザリオを気にして肩越しに振り返り、「少しだけなら」と神官長に釘をさしてその後に続く。
二人の姿が見えなくなったところで、ロザリオが顔を上げた。
「それじゃあ、絵の続きを。楽にしていて大丈夫ですよ。もっと何か話しましょうか」
「はい。私は神殿からあまり出ることがないので、お話を聞くのはとても楽しいです。ロザリオさんは、ずっとこの街にお住まいなんですか」
「僕は流れ者ですね。ここに来たのは最近。面白い噂を聞いて」
「噂?」
滑らかな口調で話すロザリオの言葉に耳を傾け、遮らない程度に相槌を打つ。
真剣なまなざしでスケッチブックとファナを見比べてから、ロザリオは手元に目を落とした。
「伝説の財宝列車がこの街に隠されている、という。何か聞いたことありませんか?」
(列車?)
引っかかりを覚えながら、ファナは「いいえ」と返す。
ロザリオは顔を上げないまま、続けた。
「地図上から消えたある国の王家が、王室に伝わる財宝を戦火から逃すために、根こそぎ積み込んだ列車があると。本来なら、王家の亡命先に向かうはずだったその列車は、目的地までの途上でこつ然と姿を消してしまった。真偽不明の伝説ですが、最近妙な噂が流れているんですよ。この街には開発途中で埋められた『地下鉄』の線路と駅があり、財宝列車はそこに運び込まれたのだと」
「その噂……」
ファナは腰を浮かせて、ロザリオを見る。
その視線の先。ロザリオのベンチに近づく男の子がいた。男の子は、ロザリオがベンチに並べていたペンを手にして、さっと身を翻す。
そのまま逃げて行こうとしているのに気づいて、ファナは「何してるの!?」と声を上げた。ハッとロザリオも気づいて立ち上がる。
「ここは普通入れないんです、どこか子どもの通り道になっている抜け道があるのかも。私が追いかけます!」
走り出すファナに、ロザリオが「僕も」と追いすがってくる。言い争う間も惜しく、二人で男の子を追跡することとなった。




