饒舌な信徒(1)
そのひとが聴罪室に入ってきたとき、ファナはまさか、そんなことになるとは思っていなかった。
「それでね、俺は言ってやったのよ。その、友人の妻の兄の息子の友だちにね。それは親不孝ってもんだって。神官さんだってそう思うでしょ? 成功するまで連絡しないと決めたと言ったって、親御さんの心配はいかばかりか。せめて便りのひとつでも出しなさいよって言ってるのに、聞きやしねえ。ほんとねえ、親の心子知らずなんてよく言うもんだけど。成功したって報告よりも、元気でやってるかどうか、そっちの方が大切だってどうしてあいつはわからないもんかねえ」
(話…………長…………い)
男性の明るい声。年齢はわからないが、若く感じる。
とにかく饒舌で、止まらない。息継ぎをしているかも怪しいくらい、話し続けている。
寄り添い傾聴するのが聴罪士の役目とはいえ、まさに聞くだけ。少しも口を挟む余地もない。それでも、深刻な話であったら、「他の誰にも話せなかったんだ」と納得はできたかもしれない(納得そのものは聴罪に必要のない感情には違いないが)。
しかし、ファナの感覚が正しければ、その相手が次々と繰り出してくるのは、世間話の類。深い悩みや後悔などとはおよそ無縁の。
この話、いつまで続くんだろうと気が遠くなりかけながら、(こんなことではいけない)と思い直して、ファナは指と指を組合わせた。聴罪を疎かにしかけたことを女神に詫びようとした。
まさにそのとき。
「ねえ、神官さん? 聞いている?」
「はい。翼ある女神アタルガはいつもあなたを見守っています」
絶妙なタイミングで話を振られ、ファナは上ずった声で答えた。
ふふっ、と格子窓の向こうから笑いを含んだ息遣いが聞こえた。
「だめだなぁ。聞いていなかったでしょ? 心ここにあらずの返事。はぁ~、悲しいなぁ。そりゃこんなオジサンの話なんか聞いても面白くないだろうけどねえ」
(聴罪なので、面白さは求めていないんですが。なんというか、寄り添いにくいといいますか。私が未熟なせいだとは思います、すみません)
落ち込ませてしまった、という罪悪感から、ファナはどう挽回すべきか言葉を探した。
その動揺を知ってか知らずか、相手は「じゃあとっておきの話でもしちゃおうかな」と言い出した。
「と、とっておき、ですか」
(それも、長いんですか。知人の叔母さんの娘の夫の弟の子どもあたりの悩み相談ですか?)
思わず身構える。
一瞬、場が静まり返った。
今まで止まらずに話していた相手が黙り込んだだけで、これほど静かになるのかという静寂だった。呼吸すらためらうほど。
その沈黙を破り、相手が話し始めた。
「お若い神官さんは知らないかな。作られてから一度も使われないまま廃駅になった幻のロマヌス駅のこと。真鍮製の素晴らしいシャンデリア。ガラスの天窓を備え、青い彩釉タイルで飾られた美しい駅。本当ならこの街のシンボルになるはずだったが――地下に埋められそれっきりだ」
「幻の……廃駅?」
「ガレリアそばの市庁舎に接するアナスタシウス駅がこの街の駅として動いているが……、本当ならその少し先に作られていたロマヌス駅がこの街の顔となるはずだった。だが、設計のミスがあって使えないことがわかり、完成間際に打ち捨てられることになった。せめて車両基地にでもできれば良かったんだけど、新たに拡張工事が必要ということで、その案も棄てられた。こうしてロマヌス駅は忘れ去られることになった。表向きはね」
(何か引っかかる物言いのような)
「表向きということは、何か裏でもあるんですか」
「鋭い!! そうだ。この話には大いに裏がある。実はロマヌス駅が棄てられたというのは建前で……、そこには今も出入りしているひとがいる。つまりね」
相手の声が、一段低くなった。
小箱のような聴罪室に、冷風が吹いたような錯覚。
「悪党の巣窟になっているんだ。違法な取引、非合法な会合、その他諸々。神官さんのようなまっとうな人間は決して近づいてはいけないよ。決してね。じゃないと――ほら」
ラウロのお屋敷みたいに燃やされかねないからね、この神殿が。
お若い神官さん。君はこの間会った黒髪の子かな。少女のような。
冷笑を含んだ声に、ファナは心臓を鷲掴まれたかのように息を止めた。
次の瞬間、ドカン、と聴罪室が震えるほど格子窓の向こうから衝突音が響く。
(蹴った? 蹴破る気?)
身動きすらできないまま、ファナは格子窓を見た。
小部屋全体が震え、ぱらぱらと天井からほこりが降ってくる。ミシミシと軋むような嫌な音。
目を見開くファナの前で、今一度、格子窓の向こうから激しい衝撃が響いた。




