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聴罪室(1)

 悪魔は麗しの乙女に恋をした。

 その夫となる男を、結婚初夜の晩に惨殺した。

 穢れなき純潔を守り抜くために。


 悪魔にとってそれは、乙女の流す悲しみの涙よりも、重要なことだった。



 * * * * *



下着(ぱんつ)の色を聞かれた? ファナが、聴罪中に? それ、いまの話?」


 光り輝く銀髪を背で束ね、冬の空のように澄んだアイスブルーの瞳をした美貌の神官、アルベルト。

 立ち襟に首から足元まで釦の長衣、漆黒のスータンを身に着けている。すらりと背筋を伸ばした姿は、絵画に描かれた天使のように高潔そのもの。

 その目覚ましく端整な顔に似合いの毅然とした表情で、目を細めて軽く小首をかしげて言ったのだ。ぱんつ、と。


「アルベルト様、あの、ぱんつはぱんつですけど、アルベルト様に直に確認されると、なんといいますか」


 慌ててアルベルトの胸元まで詰め寄ったファナは、長身のアルベルトと向かい合うと、頭ひとつ分及ばない。

 肩が細く全体的に華奢な体躯、肩の上で切った黒髪は艷やかで肌は雪白、小さな唇は艶めく赤。

 少女のように可憐な見た目である。

 実際、外見の印象を裏切らずファナは肉体的には女性であった。しかしファナとアルベルトの二人が日々祈り、奉仕し、生活を営んでいるアスティ神殿は女人禁制の原則がある。本来ならここに、女性はいるはずがない。

 そのため、ファナは常日頃「男性」として通している。女性である事実は、神殿内でも伏せられており、ごく少数の神官しか知らない。


 ファナより十歳年長のアルベルトは、秘密を知る数少ないひとり。

 事情を把握しているだけに、細心の注意を払い、常にファナをさりげなく自分のそばに置いて気にかけてくれている。

 ゆえに、ファナもアルベルトに対しては気を許している面があり、困り顔の理由を尋ねられると白状してしまうのだ。

 このときの話題は、ファナが行っていたとある業務について。


 聴罪――


 神殿の奉仕活動のひとつ。

 神に祈りを捧げる神殿の片隅にある、小箱のような木造りの小部屋にて行われる。


 そこはごく狭い空間で、薄い壁越しに細かい木の格子が入った小窓を挟んで向き合う仕組みとなっている。聞く者は神殿の奥から、懺悔する者は礼拝堂から出入りするようになっており、互いの姿は目撃できず、相手が誰かを知ることはない。

 その場で、聴罪士はひとびとの罪の告白に、重苦しく胸をしめつける悩みに、余人にはもらせない秘密に耳を傾けるのだ。

 そこで知り得たことは、たとえ同じ神殿の神官同士でも話題にしてはいけない。その日聴罪にあたった担当神官が、未来永劫胸に秘めるべきこと。


 もちろん、ファナとてその原理原則はよく知っている。初めて聴罪にあたる前から厳しく言い聞かされてきたのだ。

 そして最近ついに、聴罪士としての奉仕活動を任されることになったのであるが。

 本日、その秘されるべき厳粛なはずの場面で、格子窓の向こうの相手に聞かれてしまったのだ。


 ――お若い神官さん、ぱんつの色は何色ですか?


(今までも、()()()()()で見られているなーと思ったことは何度もあったけどね!? 女人禁制の場に女顔のチビがいる、って。だけど、こっちの姿が見えていないはずの聴罪室で、窓越しとはいえハアハア長距離走りきったような息遣いで聞かれたらびっっっくりするよね!? びっくりしたよ!!)


 びっくりしすぎて、返事もできなかった。ファナは完全なる無言になった。だが、相手は質問の答えを聞くまで納得しないのか、出ていく気配がない。「ハアハア……ぱんつ……」という呟きが断続的に小窓の向こうから聞こえていた。こころなしか、生暖かい呼気まで届いてくるようで、ファナはたまらずに席を立った。

 絶対にだめだと頭ではわかっていたが、耐えきれずにドアから飛び出してしまう。


 聴罪室に至る廊下は、細いアーチ型の窓が等間隔に並んでいるが、きっちりと格子がはまっていて、外から屋内が見えにくく昼間でも暗い。

 聴罪の時間、他の神官はそこに近づかないように決められている。だから本来、そこに誰かがいるはずもないのに。

 ファナが飛び出したすぐ先に、箒を手にしたアルベルトが立っていたのだ。

 いかにも、掃除をしていたら間違えて迷い込んだ、と言い訳の準備をしている(てい)で。


 この神殿で長らく生活をしてきたアルベルトは、目を瞑っていてさえどこでも歩けるはず。迷子になるなどありえない。それなのに、誰かに聞かれたら、その箒を掲げて強引にすっとぼけるつもりだろうということは、手に取るようにわかってしまった。


 アルベルトは、ファナに対して、甘い。


 普段のファナは、その心遣いに寄りかかってはいけないと自分に言い聞かせて、極力頼らないようにしている。しかし、この日窓越しに囁かれた不意打ちの「ぱんつ何色」は、かなり効いた。


 じわっと目に涙が浮かんできて、瞬きでやり過ごしながらも、アルベルトを見た安心感と自分がさらされた悪意に対する恐怖から、震える声で告げてしまったのだ。

 ぱんつ聞いてくるんですけど……と。


 アルベルトのアイスブルーの瞳が、真冬の凍てついた湖面よりもさらに冷え切った色合いになる。

 手にした箒をファナに差し出し、うつくしい唇からブリザードを吐き出しながら言った。


「馬鹿げた質問だな。窓のこちら側の神官が、抵抗したりやり返せない上に、誰にも助けを求めることさえ出来ないのを知っての狼藉だ。虫唾が走る。ファナは下がっていて良い。この場は俺に任せるように。そんなにぱんつの色が気になるなら、俺のぱんつの色でも聞いて帰ればいい」


 決然とした足取りで、ファナが出てきた小部屋の戸へと向かう。

 立ち尽くしていたファナは、ハッと我に返って振り返って小声で叫んだ。


「アルベルトさま、それはなんか違うと思うのですが!?」




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