画家とハサミ
私は画家だ。
誰が何と言おうと、画家なのである。
確かに私は、絵を描いて金銭をもらったことは一度もない。どころか、絵を褒められたことすら一切ない。小学校中学校での成績表でも、美術の欄には「一」という数字が毎年整然と並んでいたくらいだ。
しかしそれが何だと言うのだ。
私は絵を描いている。画家を名乗るのに、それ以上の何が必要だと言うのか? そりゃもちろんプロフェッショナルではないかもしれないが、プロだろうがアマだろうが、絵を描いているなら画家は画家なのだ。
美しいものを描きたい。その志に貴賤はないはずだ。
今日も今日とて、私は飽きもせず絵を描いている。
十年前、すでに高齢だった伯父が亡くなった際に、彼が住んでいた邸宅を継いだ。その敷地の西の端に離れの小屋があったものだから、折角だからと、私はそこに作業場を構えたのだ。
画材を揃え。
椅子と机を揃え。
やり方は我流だった。時折美術書を見たりはするが、見るだけだった。研究などはしなかった。何となく、影響を受けてしまうのが嫌だった。
私の口に糊する仕事としては、近所の公営施設の整備員として掃除をしたり草を刈ったり水を撒いたりしていて、高くはない時給を貰っている。その給金のうち、生活費を除いたほとんどは画材を買うのに消えてしまう。おかげで、他の趣味を見つける余裕はないし、貯金ももっとない。
高いものには手が届かない。
なので、絵のモチーフとしては、リンゴやらみかんやらパイナップルやら壺やらコップやら時計やら、身近なものを持ってきている。持ってきては、一生懸命それを描いている。集中して、一心不乱に描いている。少しでも美しく描けるように。ちょっとでも麗しく紙上に表せられるように。
しかし実際描き上げてみると、どうも気に入らない。
描いているときは気付かないが、完成品を改めて見ると、あちらこちらにミスタッチが見られた。不格好さが際立った。不甲斐ない自分への怒りで、絵を広げる両手がわなわなと震えるほどだった。
おかげで、完成品をぐしゃりと握り潰すところまでが、私の制作のお約束だった。
大体、半年くらい前からだ。
私の作業場に入り込んでくる子供がいた。四歳か五歳くらいの、多分女の子だろう。
性別どころか、名乗りもしなかったので、名前も知らない。恐らく、近所の子なんだろう。
このご時世、こんな幼子をこんなに放任して、危機感が足りないんじゃないかとこの子の親に憤りを感じたりもしたが――ただ、この離れの小屋は年中開け放している。私がいないときも、扉はずっと開きっぱなしだ。だから、冒険がてら好き勝手に出入りするのも無理からぬことだろう。
この子は、この小屋に入り込んできた当初、絵を描く私を後ろから興味深そうに覗き込むだけだった。
しかし一週間くらいすると、わたしがクシャクシャにした過去の作品を広げ、眺め、キャタキャタと可笑しそうに笑うようになった。
さらに一週間すると、今度はハサミを持ってきた。銀に輝く、割と大きめのハサミだ。
そのハサミで一体何をするのかと、チラチラ横目で見ていると――チョキチョキと、私の失敗作を切り出したのだ。
まあ失敗作は失敗作だし、それを目にすると手が震えるくらいだったから、特に問題はなかった。何が楽しいんだろうかと思いながら、特にそれを咎めずにいた。
結局私は、この子をハサミちゃんと呼ぶことにした。
ハサミちゃんは土日の昼下がりに私の作業場に来ると、おやつ用に持ってきていたパンや大福やせんべいを勝手に食べ、そのままぺたんと地面に座り、チョキチョキと私の失敗作にハサミを通すのだ。
一体何が面白くてやっているんだろうと見ていたが――しばらくして、私は気付いた。
ハサミちゃんが切り取っているのは、私の失敗作の、『失敗』の部分だったのだ。
眼前のモチーフを何とか美しく描けないかと腐心している中、濃く塗りすぎてしまったところ、擦れてしまったところ、混色を誤ったところ、筆の方向を間違えたところ、或いは筆圧が強すぎて破いてしまったところ――そういったところをキレイに切り取っていたのだ。
ハサミちゃんが帰った後、切り取られた後の失敗作を持ち上げて見てみた。
『失敗』が切り取られたその絵は、自分の作品とは思えないほど、至極整っていた。
これが、これこそが、私が目指しているものだと気づかされた。
私の筆誤りがない。それだけでここまで違うのかと思い知らされた。
あのハサミちゃんは、わかっていてこれをやっているのだろうか?
もしくは、感覚だけで、失敗作の『失敗』の部分を見定め、切り取っているのだろうか?
どちらにしろ、とんでもない才能であることは確かだ。もしあの子が望むなら、私の画材を貸してもいい。私がわかることでよければ、ある程度教えてもいい。そんな風に思った。
ただいかんせん、あの子はキャタキャタ笑うだけで、私と特に会話はしない。
もう少し、コミュニケーションが取れるようになる年齢まで待った方がよいのだろうか、などと思っていた矢先、
――冬の土曜の朝方。
私は小火を起こしてしまった。
火の灯った蝋燭を描いてみようと、マッチで火をつけ、そしてそのままトイレへ行っている間――その蝋燭が倒れて、周りの紙に燃え移ってしまったのだ。
幸い、小屋の作業場周囲が真っ黒焦げになったくらいで、炎自体は消防車が到着する前に、備えていた消火器で消し止められるくらいだった。
ただ警察と消防士にこっぴどく叱られ、調査を受けた。
ご近所に菓子折りを持って謝りに行った。
そして、作業場も使えなくなった。
折角揃えた画材も全部ダメになった。
失敗作も全部燃えたが――どちらにしろ燃えるゴミで捨てるものだったから、それはどうでもよかった。
ただ、小屋を壊すにもお金がかかるし、先述の通り私に貯金はほとんどないものだから、小屋はこのまましばらく置いておくしかなくなった。何をやるにしても、保険が降りてからの話だ。
それから、ハサミちゃんも来なくなった。
それはそうだろう。小屋がなくなったら、目当てのおやつも失敗作もないのだ。来る理由がない。もし近所で遭ったら挨拶はしよう、というくらいのことだった。
そしてもう一つ――私は、絵が描けなくなった。
別に作業場がなくとも、自宅の中でだって描こうと思えば描けるし、画材だって買い直せばいい――というかちゃんと買い直した。
けれど、一向に筆を持つ気になれないのだ。
モチベーションが沸かない。
ここで、改めて気付いた――私は、特に絵を描くことが好きではなかったのだ。
美しい絵を描きたい、という願いは確かにあったはずだ。少なくとも十年前は。しかし描くことが楽しかったわけではない。楽しんでいたわけではない。実際はただただ失敗作を量産し、自分に苛立ち、戸惑い、絶望しているだけだったのだ。
結局、筆が持てないまま数か月が経った。
ようやく小屋を取り壊す日取りが決まり、久しぶりに小屋の中を覗いた。
中はあの時のままだ。地面も壁も黒焦げ、紙や筆や絵の具の消し炭が転がっている。数か月前まで、私はここで一心不乱にキャンバスに向かっていたはずなのだが――すでにそれは、遠い昔のようにさえ思えた。
……もしかしたら、私は呪われていたのかもしれない。
美しい絵を描くことに。
十年の間、ずっと。
どうしてなんだろうと。
何で出来ないんだろうと。
頭を掻きむしりながら。
胸を掻きむしりながら。
何も結実しないまま。
ふと、入口を見た。
年中開け放していた扉。当然今も、開ききったまま黒焦げになっている。
十年ぶりくらいに、その扉を動かしてみた。
その板の裏側を見るのも十年ぶりということになるが――見て、驚いた。
――そこに、紙片が敷き詰められるように張り付けられていたのだ。
すぐに気づいた。
その紙片は、ハサミちゃんが切り取った私の『失敗』達だった。確かに、切り取られた後の『失敗』の部分がどうなったのかは特に気にしてはいなかったが――ハサミちゃんは、私が気付かないうちに、こっそりとそこに張り付けていたのだろう。今思えば、一度モチーフに使ったチューブのりが見当たらなくなっていたから、きっとそれをくすねて、張り付けるのに使ったのだろう。
おもしろ可笑しくキャタキャタと笑い。
飽きもせず次々と張り付けていったのだ。
壁一面の『失敗』。
それを見せつけられ、胸が締め付けられる。息が詰まる。
まるで嫌みのように。嘲るように。呆れるように。軽蔑するように。苦笑のように。失笑のように。
私の『失敗』ばかりが並んでいる。
ある種鮮やかに、騒然と、隙間なく並んでいる。
私の方を見ている。
泣きたくなってくる。
私は頑張っていたのだ。頑張って描いていたのだ。美しいものを描きたかったのだ。集中して、集中して、集中して、ただただ絵のことだけを考えて、筆先に神経をとがらせ、雑念を捨て、何とかどうにか目の前のものを美しく描こうとしたのに――
急に胸が苦しくなり、厚塗りしてしまったところ。
心が浮ついて、擦れてしまったところ。
疲弊して、色を間違えたところ。
迷って、筆の方向を間違えたところ。
怒りがこみ上げ、思わず破ってしまったところ。
そんな部分だけが並んでいて、それらは私の理想とは対極にいた。すべてが正反対だった。私が一生懸命排除しようとしたものだった。消そうとしたものだった。許せるものではなかった。見ていられなかった。
しかし『それら』は、ある種艶やかで、濃淡があり、起伏に富み、ある意味で胸を打ち、神経を逆撫で、心をざわつかせ、不毛で、不可解で、不条理で、不合理で、
――なぜか、美しかった。
ジャンル設定に幻想小説とかないものですかね……?
2021/6/1 一部修正しました。