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ある侯爵夫人の息子の記録 後編

アントニオは16歳の時にエバンズ侯爵を継いだ。

襲名披露の会場に足を運ぶ前にフローラは笑みを浮かべて侯爵の証をアントニオの胸に飾った。アントニオはようやくこの日が来たと決意を固めていた。


「アントニオ、おめでとうございます」


アントニオは赤い薔薇の花束を微笑むフローラに差し出した。


「フローラ、僕と一生共に歩んでほしい」


心の中でエバンズ侯爵達と一緒に息子の成長を喜んでいた気持ちが台無しだった。フローラは抜け落ちた笑顔をふたたび纏い、悪質な冗談を嗜める。


「それはどこかのご令嬢に言ってください。母への言葉ではありませんわ」


フローラへの告白は笑顔で流され、アントニオが注文した王都で一番有名な花屋の最高品質の薔薇は一瞬視線を向けられただけだった。


「フローラ、僕は本気だよ」

「お母様の老後の心配はいりません。息子に養われるほど落ちぶれていませんわ。自分のことは自分でできますわ。貴方を待っている令嬢達のもとに行きなさい」


フローラは花束を受け取らず、頬を染めている息子は放置し、会場に足を運んだ。

呆然とするアントニオに一人の男が肩を叩いた。


「アントニオ、いくらフローラ様がお綺麗でも無理だよ。親子だろうが」

「13歳差なら許容範囲だろう?」

「違う!!フローラ様はいつまでも魅力的だが、」


アントニオは友人の呆れる声を無視して花束を執事に預けて、フローラを追いかける。適齢期はとうに過ぎても淑やかな笑みを浮かべるフローラを妻に欲しいと願う貴族がいまだに多く害虫駆除しなければいけなかった。20歳以上年上のエバンズ侯爵に嫁いだフローラは年上趣味と思われていた。告白をしたのに全く意識されずショックを受けるアントニオにフローラは緊張しているのかと苦笑を隠し手のかかる息子のフォローに回っていた。

アントニオは夜にフローリアの寝室を訪ね、ベッドに潜りこみ一緒に寝ても全く警戒されていないことに複雑だった。


***


アントニオがシルビー伯爵邸を訪問すると見慣れない庭師がいた。


「叔父上、新しい庭師ですか?」

「庭師だけど、家族みたいなものかな。ちょっと待っててよ」


アントニオはブライトが庭師の青年に気安く声を掛け赤い薔薇を受け取るのを見ていた。

毎年ブライトはフローリアの誕生日に花を贈っていた。もちろんフローラの誕生日にはきちんとした贈り物を。


「これ姉上に渡してくれる?姉上はうちの花が好きだから」

「わかりました」


アントニオは嫌な予感がして、家に帰る前に赤い薔薇を捨て新たに花束を買ってフローラの部屋を訪ねた。


「フローラ、ただいま」

「お帰りなさい」

「公園の花が見頃だよ。出かけない?」

「予定がありますので。ブライトは元気でしたか?」

「うん。変わりなかったよ」

「そうですか・・」

「フローラ、これを」

「・・ありがとうございます」



アントニオは花束を沈んだ声で受け取り侍女に預けて書類に目を戻したフローラを見て気付いた。フローラにとって特別な花の意味がようやくわかった時だった。庭師の青年について急ぎで調べさせるとフローラの幼なじみで庭の手入れにしか興味のない平凡な男。薔薇に恋い焦がれていたのではなく、アントニオには良さのわからない庭師へ向けた顔と知り、捨てた花を踏み潰さなかったことを後悔した。


アントニオは深夜にフローラのベッドに忍び込むと呆れた視線を向けられた。


「アントニオ、」

「だめ?」

「最後ですよ。もうお休みなさい」


フローラに額に口づけを落とされ、ゆっくりとお腹を叩かれる。

全く男として意識されてないのはわかっていた。

アントニオはフローラの腕を掴んで抱き寄せた。寝起きの虚ろな瞳のフローラの唇を指でなぞり、そっと口づけようとするとパチンと頬が打たれ冷たい瞳のフローラに見つめられ寒気がした。


「寝ぼけても、お酒に酔っても許されないことがあります。母で練習するなら手配しますから花街に行ってらっしゃい」


フローラは執事を呼びアントニオを花街に連れていくように命じて再び眠りについた。アントニオは騎士に花街に連行されたがアントニオにとってフローラ以上に魅力的な女性はいなかった。


「若、お気に召しませんか?」

「フローラのほうが綺麗。僕って男として何が足りない?顔も性格も財力も」

「そういう嗜好でしたら別の店の」

「帰る。僕が支払うから遊んできなよ。護衛はいらないよ」


アントニオは騎士を残して花街を後にする。

そして帰路の途中で一つ閃きもう一度花街に戻り依頼をする。落として欲しい男がいると。

フローラが庭師の青年に幻滅するように。



「フローラの初恋は父上?」

「はい。旦那様ほど素敵な方はいませんわ。アントニオもとうとう好きな方を見つけましたか?」

「幼馴染じゃないの?」

「幼馴染に恋しているのは亡き妹ですよ。私は年下に興味はありませんもの。今も昔も旦那様だけです。どちらの家のご令嬢ですか?」

「僕はフローラがいい」

「休みなさい。執務は変わってあげます。昨日は楽しんできたんでしょう」


アントニオは淑やかに微笑むフローラに膝を叩かれ頭を乗せる。フローラの膝を枕に眠り、目を開けると頭の上から寝息が聞こえる。そっと起き上がり、フローラの恋い焦がれる顔を思い出し頬に手を添える。心がなくても体で夢を売る女人達を思い出し、ごくりと唾を飲み込みフローラの唇に己のものを重ねようと近づける。触れる瞬間にパチンと頬が叩かれる。


「欲求不満なら帰ってこなくて構いません。しばらく花街に行ってらっしゃい」

「違うよ!!僕は」

「同意なく女性を襲うの紳士としてありえません。ましてや母親に」


アントニオは騎士を呼ばれて花街に連行された。


「坊ちゃん、フローラ様のお許しもあるし遊びましょう。子供と病気に気をつけて欲求不満を解消させてこいとの命ですので」

「必要ない。絶対に嫌だからな」

「一度、身を任せてみればいいのですよ。恥ずかしいのは最初だけ」

「僕の貴重な時間をそんな無駄なことに使いたくない」

「坊ちゃんの欲求不満を解消させてこいと命じられてるんですが」

「帰るから放せ」


アントニオは帰宅するとフローラに冷たい視線を向けられ、どんなに声を掛けても口を聞いてもらえなかった。

それからはアントニオは眠っているフローラの頬にそっと口づけるしか許されない。口づけようとして平手打ちと冷たく侮蔑の視線を向けられ一週間、ブライトに執り成してもらうまで口をきいてもらえなかったのはトラウマだった。

どうしても手に入れたいのに手が届かない。

もどかしい思いを抱きながら寝かしつけてくれる手が自分の物になればいいと眠りの世界に誘われる。

アントニオは侯爵に就任してもフローラとの距離は変わらず、一部の家臣達は酷いマザコンのアントニオに頭を抱えていた。


****


アントニオは目を覚ますと隣に眠るフローラの姿がなく慌てて起き上がる。

朝の弱いフローラよりもアントニオはいつも先に起きていた。朝起きてぐっすり眠るフローラを抱きしめるのはアントニオの隠れた習慣。いつもフローラが眠っている場所には温もりもなく冷たかった。

アントニオは夜着のまま、部屋を出てフローラを探すもいくら探しても姿はない。


「坊ちゃん、奥様のことで確認していただきたいことが」


困惑した顔の執事に呼ばれアントニオがフローラの執務室に行くと息を飲む。

机の上には書類と遺書が置いてありフローラ・エバンズの死亡の手続きがされていた。

日付は2年前のフローラがアントニオに侯爵を引き継ぐ前日。アントニオは顔を真っ青にして捜索を命じ、フローラの生家シルビー伯爵邸に向かおうとすると執事長に腕を捕まれる。

捜索は部下に任せて仕事をしなさいと怒られ、渋々王宮に向かう。フローラとの約束と言われるとアントニオは仕事を放棄できなかった。

遺書には妻を迎えて立派な侯爵になるようにと丁寧に、そして何度も自分を探したりせずにしっかり仕事に行きなさいと強調して書いてあった。

自分を呼びつけた王に恨み言を心の中で唱えながらアントニオはいかに早く執務を片付けフローラを探しにいくかだけ考えていた。



****


前エバンズ侯爵夫妻は真っ青な顔の孫が飛び出す腕を掴んでお茶に誘った。

前エバンズ侯爵夫妻はエバンズの教えに従い、成人したアントニオに全てを継承し、いずれ侯爵家を出るとフローラから伝えられ、後を頼まれていた。フローラがいる限りアントニオが自立しないと決意を秘めた瞳で告げ、今までお世話になった感謝を丁寧に告げ、曇りのない笑みで挨拶をした義娘にいつでも帰ってくるように伝えて別れていた。

フローラの失踪を聞いて動揺して真っ青な孫を見て前エバンズ侯爵夫妻は苦笑する。息子の遺言で、もしもフローラがエバンズ侯爵夫人以外の道を選んだら背中を押して欲しいと頼まれていた。そしてようやく新しい人生を探し始めたフローラを心の中で祝福した。今日はフローラにとって一生忘れられない悲劇の起こった日だった。


「アントニオ、酷だがそろそろ自由にさせてやりなさい。あの子は失うものが多すぎた」

「どうしてですか!?」

「フローラの両親と妹は13の時に殺された。家と弟を守るために、自分にあるものはなんでも差し出すからどうかと息子に頼み込むフローラを気に入り受け入れた。13で嫁ぎ母となり19で侯爵代理になり幼いお前を守り続けた。令嬢や貴婦人の遊びを一切知らず無理矢理大人になったフローラにご褒美があってもいい。13で両親を失ったフローラは子が親がいなくても生きれるのを良く知っている。子供のお前に酷かもしれないが、フローラにとっては立派な大人だよ。いつまでも母親に手を引いてもらうわけにはいかなよ。もし帰ってくるなら暖かく迎えてあげればいい」

「フローラは」

「次世代のために古きは去るものだ。アントニオ、現実を」

「息子の貴方には酷だけど、フローラも一人の女性なのよ。あの子こそ誰かに愛され守られる人生を見つけて欲しいわ。息子のほうが先に亡くなるとわかっていても早すぎよ」

「フローラは僕が守るって」

「息子に守ってもらうほどエバンズの女は弱くないのよ。それに母ではなく妻や子を守りなさい。フローラを探すよりもあの子の願い通り婚姻して後継を作りなさい」

「失礼します」


アントニオは頼りにならない祖父母に頭に血が昇り立ち去った。

エバンズ侯爵家でフローラを連れ戻したいのはアントニオだけで執事長や侍女長には極秘でフローラは家を出ることを話していた。「エバンズの教えに従い古きは去りましょう。そろそろ強制的に親離れさせたいから丁度良いわ」と笑っていたと聞きアントニオは頭を抱え居場所を探しに今度こそ飛び出した。


***


アントニオは髪を染めたフローリアの居場所を見つけてから毎日通っていた。

この日のフローリアはいつもと違っていた。

アントニオの訪問に家の外に出て、静かに見つめ先に言葉を紡いだ。いつもなら家の中に招きアントニオの話を聞いてから口を開いた。


「エバンズ侯爵閣下、どのようなご用件でしょうか。先触れもなく訪問するなど貴族としてどうかと思いますが、私風情がお伝えできることではありませんでしたわ」


アントニオはフローリアに親しみの欠片もない冷たい視線と声を向けられていた。

アントニオは失言が原因だと思っていたがフローリアが怒っているのは違う理由である。アントニオがケインの育てた花を捨てたことに怒っていた。フローリアにとってケインの花は宝石よりも価値があり誕生日にケインの花が贈られずに実は悲しんでいた。


「フローラ、あれはそういう意味じゃなくて」

「自分の行動と言葉に責任を持つべきですわ。貴方のしたことを私は許せません」

「ごめん。僕は母親じゃなくてひとりの女性として」

「私と侯爵閣下は無関係ですわ。毎日人の家を訪問するのも迷惑です」


怒っているフローリアの肩をケインが宥めるように叩く。


「リア、間違いは誰にでもあるよ。花ならいくらでも」

「ケイン、貴方の手で育てた花を捨てるなんて万死に値するわ。私にとってどれだけ大事なものだったか。花の命は短く、」

「閣下はご存知なかったんだよ。教えなかったリアも悪いだろう?幼子の過ちを正して許すのは年長者としての役割だよ」

「私はケインのように心が広くないわ」

「いくらでも我儘聞いてあげるから。俺が一番好きな顔知ってるだろ?」

「ケイン」


頬を染めうっとりしてケインを見つめるフローリアにアントニオが震えていた。


「ちょっと大人の余裕があるからってなんだよ。僕のが」

「ケインを侮辱したら許しませんわ。閣下、親しき中にも礼儀ありという言葉をご存知ありませんか?そして私は枯れぬ泉はないと存じます。今の貴方を見てご両親は嘆き悲しんでいると思います。村人風情が言える言葉ではありませんが」


アントニオを追いかけてきた騎士がアントニオの腕を掴んだ。

フローリアはアントニオが仕事から逃げ出すことがあれば物理的に追いかけて連れ戻すようにエバンズ侯爵夫人時代に騎士達に命じていた。


「坊ちゃん、帰りますよ。仕事をしてください!!」

「閣下、貴方のお母様は手段を選ばない方ですわ。これでも自重してましたのよ。自身で妻を選びたいなら分別ある行動を。エバンズ侯爵家の醜聞になるなら薬を盛るなど・・・」


怪しく笑うフローリアにアントニオは寒気がした。エバンズ侯爵家の騎士は力づくでアントニオは連行する。


「坊ちゃん、いい加減にしてください!!」

「僕のお嫁さんを迎えに行っているだけだよ」

「フローラ様が知ったら悲しみますよ。きちんとした家から令嬢を迎えてください。旦那様もフローラ様を迎えたのは30代半ば。きっと運命の出会いが」

「僕の運命は決まっている!!」


フローラの消えた理由を伝達された騎士達は、年若き敬愛する女主人のためには自分がしっかりしないとと気合いを入れた。

エバンズ侯爵家の家臣はいつまでも婚姻しなかった前侯爵に慣れていたため、いずれ大人になることを信じて見守る。そしてエバンズ侯爵をシルビー伯爵領から連行して仕事に行かせるのは騎士の日課になった。

侯爵位を継いだ年若い青年の未来が明るいものになるかは誰にもわからなかった。エバンズ侯爵家が当主の婚姻に頭を悩ませるのは一種の呪いだろうかと元エバンズ侯爵の呟きを拾う者はいなかった。

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