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ある侯爵夫人の記録 1

広大な領地を治めるエバンズ候爵家。

エバンズ侯爵代理を務めるフローラ・エバンズには悩みがある。

社交界を騒がせた最愛の夫との結婚生活は6年で終わりを告げた。侯爵代理を務めながら忘れ形見の息子を必死に育ててきた。フローラは立派に育ったはずの息子に家督を譲り、お嫁さんを迎えたら隠居して全てを任せるつもりだった。フローラが育てたアントニオは亡き父親譲りの爽やかな容姿を持ち令嬢達にも大人気の自慢の息子。それなのに幾度お見合いをしてもうまくいかない。8歳から何度もお見合いをさせ、今日も上手くいかなかったお見合いの結果にフローラは長いため息を飲み込み、反省の色のない息子に呆れを隠し、静かな瞳で見つめる。


「アントニオ、何が気に入らないんですか?」

「全て」

「家柄もよく美人で優しいと評判のご令嬢のどこがいけませんの?早くお嫁さんを見つけて母を安心させてください。いつまでも母が社交を引き受けられるとは思わないでください。人は突然儚くなるものですよ。母のエスコートなんて恥ずかしいでしょ?お友達に揶揄われますわ」

「フローラをエスコートするのは僕がいい。僕はフローラをお嫁さんにする」

「いいかげん親離れしてください」


今日もフローラはマザコンの息子に頭を抱える。

エバンズ侯爵が亡くなり母親のフローラから離れないのは寂しさからだと甘やかした。幼いアントニオの頭を膝に乗せ、柔らかい髪を撫でながら執務をするのは日常の一コマだった。エバンズ侯爵が亡くなってからは人恋しさにゆえか、寂しがるので同じベッドで寝かしつけていた時期もあった。フローラも幼いアントニオになら何も言わない。ただしアントニオはもう16歳。2年後には成人予定である。

いまだにフローラのベッドに潜りこむ寝付きの悪い息子に早く自分の代りにぬくもりを与えるお嫁さんを見つけてほしかった。フローラの背を越した12歳のアントニオに一緒に眠るように大きい熊の縫いぐるみを贈ると馬鹿にした笑みを浮かべ年齢を聞いた息子の頬をつねったのはずいぶん前の記憶である。色とりどりの可愛い熊の縫いぐるみは息子の部屋に置いた翌日には孤児院に寄付され、抱き心地抜群の特注の愛らしい熊の縫いぐるみへの処遇にフローラは切なかった。


アントニオは夜会もフローラにべったりと付き添い離れないので、最近は一人で参加させている。フローラが一人で参加すると必ず現れる息子にため息を飲み込み最低限の夜会以外は参加しないことにした。母親に付きまとい、令嬢にダンスを誘わない息子のマザコンがばれないように怯える母の心境に気付かない優秀なはずの息子に心の中でいつも頭を抱えていた。立派な醜聞となり侯爵家の名前に傷がつくことを恐れフローラは家臣以外にはアントニオのマザコンに悩んでいるとは相談できない。

早くお嫁さんをもらって欲しい。それだけがフローラの息子への願いだった。

そしてアントニオが婚姻すればフローラの野望、夢が叶うのである。


「フローラ、これを」


フローラは目の前に跪き爽やかな笑みを浮かべたアントニオから赤い薔薇の花束を差し出された。


「予行練習はバッチリですよ。どこかのご令嬢に贈って求婚してきてください」

「嫌」


プイっと横に顔を背け拗ねている子供らしい息子の様子にフローラは淑やかな笑みを浮かべて花束を受け取る。


「ありがとうございます。立ってください」

「僕はフローラさえいればいい」


相変わらず自分にべったりの息子にフローラはいつもと同じ言葉を伝える。


「跡取りは貴方だけです。お嫁さんをもらって後継者を作るのは貴方の義務です。そろそろ子どもの時間は終わりです」


アントニオは窘める顔をしているフローラを真剣な眼差しで見つめる。


「父上を愛してた?」

「愛してましたわ」

「嘘つき」


フローラの儚げな笑みを見てアントニオは拗ねた顔をして立ち去る。フローラは息子の呟きを聞こえず気まぐれな息子の背中を見送り、赤い薔薇に視線を落とし「あと2年」と心の中で呟く。そして一人を好み常に人払いをするフローラが薔薇の花弁を切ない瞳で眺めているのを知るのは誰もいない。


****


フローラは成人しても自分のベッドに潜り込もうとする息子にため息をつき、呆れを我慢し静かな声で言い聞かせる。


「アントニオ、いい加減になさい。もう大人です。子供の時間は終わりです。自分の部屋に」

「だめ?」


枕を持ってフローラを訪ねる幼いアントニオの姿が脳裏に重なる。

アントニオがフローラの背を抜いてからずっと言い聞かせている何度目かわからない言葉、同じ響きでも今日だけは違う意味を持つ言葉を口にする。


「今日で最後ですよ」


笑顔で頷くアントニオをベッドに招きいれて、ゆっくりとお腹を叩く。

ベッドに入るとフローラの顔をじっと見つめ何も言わないアントニオの額に口づけを落とし、おやすみなさいと微笑むフローラを見てアントニオはゆっくりと目を閉じる。

寝息が聞こえ成人してもあどけない顔で眠るアントニオに微笑み、フローラは静かにベッドから抜け出す。


「アントニオ、立派な侯爵になってください」


いつまで経ってもお嫁さんを迎える様子はない息子はフローラのぬくもりがなくなれば他の誰かを探すと思っていた。寂しさを紛らわしてくれる令嬢を見つけなさいとぐっすり眠るアントニオに心の中で呟き、フローラは執務机に遺書と死亡届けを置き鞄を持ってそっと侯爵邸を抜け出す。

これがフローラ・エバンズの最期であり、社交界から淑やかな貴婦人が姿を消した日だった。


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