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カレー小説 臆病者、カレーを食べる

(仮題)例えば雨やどりの昼時に~臆病者、カレーを食べる~

作者: 侍 崗

雨宿りでふと隣に誰かいると、無意識にそちらへ視線が行ってしまいます。

どんな人なのか気になるのもあるかもしれませんが、その相手が注意を引き付ける何かを送っているのかも……等と考えたりも。

もしカレー屋の軒下で雨宿りをするとき、お店に入ったり、話しかけるといった冒険もたまには必要なのかもしれません。こんなご時世だから、悔いのないように。


※この物語はフィクションです。登場する人物、地名、団体、店名は架空のものであり、実在するものとの関係はありません。

 新大阪の駅に到着できたのは、まさに奇跡だった。

 ここ数日の間で列島上空にできた前線は猛威を振るい、この国のあちこちを水と風で掻き回していた。そんな折、こうして西へ向かう事になった。

 列車の運行情報は悉く私の思惑に否定的だった。東京からの新幹線も運休か否か……。惑わせるようなニュースばかり続いていた。

 時刻は12時を少し過ぎていた。

 大阪駅から地下鉄に乗り換えて数駅。本町駅へ辿り着いた時に強かった雨脚は、ぽつりぽつりと空から細かな水滴を落とす程度にとどまっていた。このまま止むのではないかと微かに期待したのも束の間、少し歩いたところで雨は再び地面を叩きつけ、飛沫が地表を白く霞ませた。西側の大雨は酷いと聞いていたが、まさかここまでとは思ってもみなかった。

 傘を開く余裕もなかった私は兎に角走り、とある軒先へと駆け込んだ。

 突然の雨に打たれたスーツは水を吸って重くなり、靴も同じくその色を濃く染めていた。酷い仕打ちだと私は天を仰いだ。


「まったく、酷い雨だな」


 私は隣から聞こえてきた声に驚き、振り向いた。

 私の右隣には男が1人、水気を払いながら立っていた。

 私はその男を知っていた。


「久しぶりだな。どうした、鳩が豆鉄砲を食らった顔しやがって」


 男が笑う。

 彼はYといって、幼いころからの悪友だ。何をするにも大体隣にはYがいた。高校を出て私は東京の学校へ。Yは実家の家業を継いだと話を聞いていたが、ある日突然その仕事を閉じ、世界各地を放浪して行商をしてたかと思えば、舞台役者として活躍しているという話も聞いていた。ドバイで大富豪の娘を助け、彼女を妻として娶ったという話や、宗教団体の幹部になって荒稼ぎしていた……などという話も、同窓の友からの便りで耳にしていた。そんな噂が立つほど妙竹林な事ばかりやっていても、別段不思議ではないという印象が私を含め仲間内ではあった。

 そんなYは数年前、大阪で腰を落ち着けたらしい。私がそれを知ったのは、Y本人が珍しく送ってきた年賀状だった。年賀状には写真が付いており、そこには満面の笑顔で立つY、隣に肌の白い外国人の女性(ご丁寧にマジックで『家内だ 別嬪だろう』と書かれていた)、そしてその前に4人の子供たちが、幼い頃の彼にそっくりな眼差しで立っていた。


『近くに来たら遊びにでもこい』


 そう書かれていたものの、ついぞ私は彼の下を訪れることがなかった。

 そんなYが、偶然にも隣に立っている。いや、これは何かしらの縁なのかもしれない。彼は胸ポケットから煙草を取り出すと一本咥え、私にも「どうだ」と勧めてきた。


「いや、いい。やめたんだ」


 私がそう断るとYは何も言わず、その小さな箱を元の場所へ戻した。


「うちのからも煙草をやめろって煩く言われてるんだが、どうにもこればっかりは止められねぇ。体に染みついちまってるんだな」


 そう言いながらYは煙草に火をつけ、少しだけ吸い込むと、口から煙をそっと吹き出した。煙は雨に届くまでに至らず、すぐに姿を消した。


「それにしても、どうしたんだ。こんな天気にこんなところで」


「なんでって……そりゃあ、お前」


「ああ、立ち話は疲れる。どうせだったら座って話そうぜ」


 私が口を開く前にYは制止し、後ろを指さした。

 私たち2人が軒を借りているのはカレー屋だった。ドアの横に窓があり、そこに立てかけられたホワイトボードに手書きでメニューが書かれている。カレーのあのスパイスの匂いが、ドアの向こうから微かに鼻をくすぐってきた。

 確かにここで立ち話というのも、店の入り口を塞いでしまっているのは良いと思えず、かといって、この土砂降りでは他へ移るわけにもいかない。

 私は彼の提案に乗り、店のドアを開いた。

 店内は縦に長く、その大半はカウンター席で占められていた。カウンター席の更に後ろに、小さな2人掛けのテーブル席が2つ据えられている。私たちは迷わずテーブル席を選び、向かい合って座った。ロックが大音量で流れる店の壁には、まさにインド、カレーという単語が飛び出してきそうな絵画やポスター。この店が紹介されているらしい雑誌の広告も掲げられている。

 カウンターの向こうは店主らしい男が一人作業をしており、その奥にある棚には様々な香辛料が入れられた大瓶が整然と佇んでいた。

 メニューは手書きの紙がファイルに閉じられている。味のある字と個性的な図解で、この店の出しているメニューは綴られている。一通り見る限りこの店は3色カレー、つまり3つのカレーを組み合わせて食べさせるのを勧めているようだった。


「なぁ。ここ、よく来るのか?」


 私はYに聞いた。


「いや、初めてだ。普段は家内が持たせてくれる弁当もあるし、ガキを育てる金で精いっぱいだ。外食なんて殆どしなくなっちまった」


 何となく勝手の分からない店に戸惑っていた私は、あわよくばYを真似て頼めばいいかと浅はかな期待を抱いていたが、それは叶わなかった。

 実際、何を頼んでいいのかわからない。

 普通、カレーの具というのは「牛、豚、鶏」、たまに「エビ、カニ、ホタテ」位の認識しかない私は、手書きのメニューに書かれた内容に尻込みしていた。ラムやマトンは分かる。インドカレー屋で見たことはある。鴨肉も鶏と考えれば、悪くない。

 しかし、馬肉、そして山羊肉、ラムの肝というのは、想像がつかない。

 山羊は一度沖縄に行った際、山羊のスープを出されたことがある。どうにも青臭く、しかし取引先の人間が勧めてきた手前、飲まないわけにもいかず、何とか平らげたものの私はそれを最後まで好きになれなかった。その記憶がよみがえってきたため、私は選択肢の中から山羊を外すことにした。


「おい、何にするか決めたか?」


 Yが私に聞く。私は彼を制止し、メニューをまた最初から見直した。


「相変わらず優柔不断でいやがる。もう店の親父を呼ぶぞ。すみませーん」


 Yは手を挙げて、カウンターへ声をかける。私が何かを迷っていて、彼が何かを決断しているとき、こちらの都合も考えずに事を進めるのが彼のやり方だ。学生時代、それでいい方向へと事が運んだこともあったが、失敗することも少なくなかった。

 奥で作業をしていた男は手を止めて、すぐに私たちの傍へとやってきた、

「俺、チキンと豚バラとビーフの3色。おい、決まったか?」


 Yが私を急かす。私は焦りながら、何度もメニューを指でたどった。


「今日のおすすめ」


 店の男がそう言ったことで、私は顔を上げた。


「おすすめ?」


「そう、おすすめ。今日は『鯖小松菜』」


 またしてもカレーに合うか分からない……いや、私の中でカレーの具には入っていないものが飛び出してきた。鯖も小松菜も好きだ。しかしそれは通常の定食で出てきた場合の話であって、カレーの具はちょっと……。


「まったく、何を怖がっているんだ。お前、変わってねーなぁ」


 Yが言った。


「知らない、見たことない。そんなんでいっつも立ち止まっちまう癖は、健在だな。案外、その鯖と小松菜も、オツなものかもしれないぜ」


 少しだけその言葉に憤りを覚えたものの、反面私は、どこかでそれに納得してしまっていた。


「じゃあ、チキンカレーと鴨肉カレー。あと鯖小松菜の3色で」


 私がそういうと店の男は「はい」とだけ応え、カウンターの奥へと入っていった。それを確認して、Yは傍らに重ね置きされたコップを2つ取り、手元にあったポットからそれぞれに水を注いだ。


「最近どうだ。儲かってんのか」


 Yは、話題に困った父親が子供に聞くような口調で私に聞いた。


「まぁまぁだ」


「カミさん元気か。まぁ俺、お前のカミさんに直接会ったことはないけど」


「仕事も家族も、まぁ普通。順調だ」


 そう彼に言ったものの、半ば嘘だった。

 去年の夏、私はリストラ対象として職場を追われ、漸く仕事をつかみ取ったものの、職場の空気になじめず、ひとり得意先回りと称し、フラフラと外をほっつき歩く毎日だった。社会人2年目の時に結婚した妻は、私との生活に疲れたのか心を病んでしまい、彼女の実家に戻ったまま連絡が取れないでいる。子供がいればまだ好転したかもしれないが、今後悔しても仕方がない。

 話し辛かったわけでもないが、私はYの質問に嘘をついてしまった。


「そうか。家族を持つってのは大変だが、いいもんだな。俺さ、昔は別にひとりで好きにやっている方が良いと思っていたけどよ、嫁がいてガキどもがいると、苦しいことがあっても、もうっちょっとだけやってみるかって気になる」


「そういえばさ……」


 私はYの話に胸が苦しくなり、話題を変えようとした。


「お前、結局今は何の仕事をしているんだ? 同窓会や懇親会みたいな場を嫌っているから姿を見せないのは分かる。けど、なんだか変な噂しか聞かないし、皆、お前の素性を知らないままだし」


「変な噂か……。外国人を嫁にしたってのが、ドバイの金持ちと結婚したってのに変わって、寺に出入りしている業者で働いていたら、宗教法人の幹部になっていたって話を聞いたことがある。他には何があるんだ」


 Yは興味深そうに私に聞いた。正体見たりという訳ではないが、噂は所詮、噂の域を出ないという事に私は少々口惜しさを覚えた。そして言ってみれば私も他同様、彼をそういう目で見ていた事に気が付き、何ともいえない気分になってしまっていた。


「似たようなもんさ」


 私は水を飲みながら応えた。


「そっか。俺今、食器の卸売りをやってる会社に勤めててさ。自分より何歳も若い上司にこき使われる毎日だ。ムカつく事もあるが、家族のためだからな」


 そう話す彼の声は、相変わらず力強かった。

 カレーはそのすぐ後に運ばれてきた。同時に、今まで周辺を漂っていたスパイスの香りが、強くなった。その発生源は、目の前の皿であることに間違いはなかった。

 3色カレーとメニューにはあったが、白い皿に注がれたその色は、全て黒かった。中央に山型に盛られたライス、その頂にある黄色の付け合わせの野菜、そして3つのカレーの境に添えられたパクチーが鮮やかに映える位、カレーが黒い。

 店の男の説明では、私から見て皿の左はチキン、その右にあるのは鴨肉、奥にあるのが鯖と小松菜のカレーだった。説明を受けなければ分からない。

 Yの前に置かれた皿のカレーも同じく、3つすべてが黒かった。


「何だこりゃ……俺の知ってるカレーと、随分違うな。何が入ってるんだこれ」


 彼は皿を回したり、持ち上げながら確認しては首をかしげる。見た目は充分にインパクトがある。問題は味だ。これで味も同じでは意味がない。

 まずはオーソドックスな具材、チキンをライスと共に私は食べた。

 この黒い見た目であるにもかかわらず、味はしっかりカレーだ。普段食べているカレーより匂いも、辛さも数倍強いものの、昔から見知ったあの味だ。鶏肉は細かく刻まれており、それがこの強いカレーの中でも存在感をなくさずに生きている。

 鴨肉もチキン同様に負けてはいない。辛味はチキンより強く、やや脂身の乗った、しかししつこさのないカレーペーストにそぼろよろしく、潜伏している。鴨肉のカレーだからか、刻み葱が乗せてある。そのネギ特有の風味が、このカレーの辛さを引き出している。

 次に私は、バランの様に仕切りの役目を果たしているパクチーを少しカレーに混ぜて食べてみた。スパイスの中にパクチーの爽やかな香りが引き立つ。植物特有の食感もこの粘りのあるペーストに花を添えているかのようだ。

 ここまでは悪くない。寧ろ私は好きな食べ物の部類に入るだろう。

 問題はここからで、皿の奥側に鎮座しているあのカレー。鯖小松菜のカレーを味わう時が来た。Yに乗せられたとはいえ、選択したのは自分だ。カレーというのは本来、肉の臭みを消すために進化した食べ物という説だって聞いたこともある。鯖のあの独特な匂いにカレーが勝つのかはたまた――。

 私は意を決し、スプーンでカレーを掬った。

 カレーペーストと共に、明らかに鯖の切り身と思われる部位が乗っている。ままよとばかりに口に入れると、他2つ同様、カレーの辛味と香りが、舌と鼻を刺激しながら駆け抜けていく。しかし同時に訪れると思っていた鯖特有のあの匂いは、いつまで経っても顔を見せないでいた。香辛料が鯖に勝っているのだろうか。

 私は皿の中から鯖の切り身のみを掬い、口に入れた。表面にカレーはあるものの、租借してもあの鯖の匂いは現れないでいた。カレーの香辛料で舌がマヒしてしまっているのか、何か特殊な方法で匂いを出さない工夫を講じているのか。それは分からないが、これは先ほどまで偏見を持っていた私を質したい気分にさせる程美味だった。私は無心にスプーンを一口、もう一口と進め、気が付けば、先に口をつけた鯖カレーのみがなくなってしまっていたのは、皿が置かれた直後には想像ができなかった。

 向かいに座るYも、どんどんと食べ進んでいる。


「おいこれすげーな。俺ここのカレー好きだ。こんな店あったんだなあ」


 まるで子供のように、皿に話しかけるように、彼は言葉を発している。私もカレーでここまで衝撃を受けたことはないのだから、Yと同じ事を考えていた。


「やっぱり見た目の印象だけじゃあダメだな。ちゃんと経験しなきゃあ、本当の所は分からねぇや」


 Yは残りのカレーとライスをかき集めながら、ほくほくした笑顔で言った。

 ニ人が食べ終わるまでに、そこから時間はかからなかった。いつの間にか外から聞こえていた雨音は消え。外は若干の明度を取り戻している。雨宿りとしても、昼飯としても上出来ではないか。

 カレーを食べ終わり、ついでに頼んだチャイが運ばれるまで、Yは黒い3つのカレーに感心しながら、自分の近況を話した。私はそれをただただ、頷いて聞いていた。

 それは歳に似合わない程に青臭くて、けれど夢と希望を乗せた、彼の話だった。

 会計を済ませると、Yは腕にした時計を確認し、席を立った。


「久々に会えてよかったよ。悪いがこれから仕事があるんだ。お前が何の用事で来たのか知らねぇけど、終わったら今夜にでも家に来いよ。うちのに内緒で隠してる、いい酒があるんだ。一緒に飲もうぜ」


 じゃあなと笑いながら、Yは一足先に店を出て行った。


「用事か」


 私は呟いた。それは私自身でも聞き取れない位、掠れていた。


 Yよ。私の悪友よ。結局お前は、相変わらず私の話を最後まで聞かないまま先に行ってしまうんだな。

 私の用事はな、お前の顔を見に来たんだよ。

 この豪雨の中を態々きたのは、お前の家族から昨日の夕方息を引き取ったという連絡があったからだ。

 まったく……気付いているのかいないのか。嘘か本当か、あの様子を見ても分からないよ。

 お前の家には行くが、お前と飲むのは、もうちょっと先までお預けだ。

 ……またな。


 私は漸く席を立った。店内には相変わらずロックが大音量で流れていた。

 私の口の中は、辛さとスパイスの香りが未だ衰えを見せず留まっている。


〈了〉


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[良い点] 地の文と会話文のバランス、言い回しが絶妙ですね。 最後まで気持ちよく読ませていただきました。 [気になる点] 気になるというか、一箇所脱字と思われるところがあったので報告しておきますね、 …
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