4巻発売お礼SS:運命は力技で
本邸の自室にいたツィツィーは、リジーから渡された手紙を前に首を傾げた。
「運命の館、ですか?」
「はい。グラン侯爵夫人からぜひお越しくださいと」
「そういえば……」
最近帝都で人気を博している『運命の館』は、グラン侯爵家の縁者が始めた遊戯場である。二人一組になってお屋敷の中を散策。与えられる様々な課題をこなし、無事に脱出出来たら成功! というものだ。
「先月のお茶会で妃殿下が興味をお持ちでしたので、夫人がご主人に内緒で口をきいてくださったみたいです。普通に申し込むと、半年先まで予約でいっぱいらしくて」
「まあ、いいのでしょうか?」
「夫人も、妃殿下が来てくださるならきっと喜ばれますよ。それに――」
「それに?」
「制限時間以内に脱出できた二人は、『運命の相手』として一生一緒にいられるという噂があるらしくて」
「一生、一緒に……」
それを聞いたツィツィーは、すぐにガイゼルのことを思い浮かべた。リジーは知ってか知らずか、なおもにこやかに続ける。
「今週末は、陛下もお休みをとられると聞いております。帝都であれば移動にも時間はかかりませんし、よければ久しぶりにお二人で出かけてみてはいかがでしょうか?」
「……はい! 今日陛下が戻られたら、さっそく聞いてみますね」
ツィツィーは期待に胸を膨らませながら、手元の手紙を大切に抱えた。
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一方その頃の王宮、ガイゼルの執務室では。
「運命の館?」
「はい。先帝派を称する不穏分子が、そこに潜伏しているという噂がありまして」
「そんなもの、すぐに調べればいいだろう」
「何度か別件を理由に調査に入ったのですが、これといった痕跡はありませんでした。残るは遊戯場側だけとなるのですが、管理者がグラン侯爵の弟君でして……。これ以上は現王政に対する、他貴族らの反感を買うことにもなりかねないかと」
「……」
ガイゼルが王命を発し、無理やり館に押し入ることは当然可能だ。
しかしそれだけ疑ったのち、結局何もありませんでした――では済まされない。
「証拠はあるのか」
「確定的なものはまだありません。ですので一般客を装い、まずはその遊戯場に潜入しようと試みたのですが……。かなり利用者の多い施設らしく、入れるのは早くても半年先だと言われてしまいました」
「半年か……」
「もちろん陛下のお名前を出せば、優先的に都合をつけることは出来るでしょう。ですがその時点でグラン侯爵には警戒されてしまうかと。どうにか彼に知られることなく、施設に入る方法があればいいのですが……」
「……仕方あるまい。とりあえず別の方向から調査を進めておけ」
「はっ」
ヴァンの報告を聞いたあと、ガイゼルはふむと顎に手を添えた。
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その夜。
「あの、ガイゼル様。実は週末、二人で行ってみたい場所があるのですが……」
そこで初めて『運命の館』への招待状を見たガイゼルは、大きく目を見張りツィツィーに尋ねる。
「ツィツィー、これはどうやって手に入れた?」
「え⁉ それはその、グラン侯爵夫人が、御主人に内緒で特別にと……」
「――よくやった」
「へ⁉」
突然抱きしめられたツィツィーは「もしかしてガイゼル様も、ものすごく行きたかったのでしょうか⁉」と、訳も分からぬまま期待に胸を膨らませるのだった。
そして約束の日が訪れた。
「この度はお心遣い感謝いたします。グラン侯爵夫人」
「とんでもございません。こちらこそ、まさかガイゼル陛下にまでお越しいただけるとは、光栄の極みでございます。本来であれば主人も挨拶に来るところなのですが、あいにく所用で……」
「いや、問題ない」
出迎えてくれたグラン侯爵夫人に、ツィツィーは丁寧に頭を下げる。
一方ガイゼルは腕を組んだまま、いつもの無愛想さだ。
「(主人には内緒で用意した回ですので、こっそり楽しんでくださいませね。陛下との素敵な『運命』が掴めるよう、心からお祈りしておりますわ!)」
「(ありがとうございます……!)」
ひそひそと女性同士の会話を交わしたあと、ツィツィーとガイゼルはそれぞれの思惑を抱えながら『運命の館』に乗り込んだ。
五分後。
最初の課題――『二人で恐怖を乗り越えろ』と書かれた扉を開けると、そこにはおどろおどろしい世界が広がっていた。
(こ、怖すぎます……!)
照明がまばらな廊下に古びたインテリア。
演出なのか、室内はひどく荒らされており、まるで幽霊でも出てきそうな様相だ。蒼白になったツィツィーを見かねて、ガイゼルが不安そうに眉を寄せる。
「……大丈夫か?」
「は、はいっ……‼ ……いえ、少し、あまり、大丈夫ではないかもしれません……」
「今からでも引き返すか」
「い、いえ! せっかくここまで来たので、最後まで頑張ります……」
ツィツィーはうっすらと涙目になったまま、ふるふると首を振った。せっかく夫人の好意で挑戦出来たのだから、どうにかガイゼルと一緒にゴールを目指したい。
半泣きになりながらも、懸命に前に進もうとするツィツィーを見て、ガイゼルがはあとため息を零した。
そのまま自身の手をツィツィーの前に差し出す。
「ガ、ガイゼル様……?」
「ここからは足元が暗い。必要があれば支えにしろ」
言われてみれば先の廊下には明かりがなく、ここよりもどんよりとした恐ろしい雰囲気が漂っていた。ツィツィーは迷うことなくガイゼルの手を取ると、眦に涙を滲ませながら弱々しく笑う。
「あ、ありがとうございます……」
「……ふん」
だが素っ気なく繋がれた手と同時に、ガイゼルのまんざらではない『心の声』が聞こえてきた。
『子ども騙しのくだらん遊びだと思っていたが――これは、まあ、ある意味悪くないな……。いや、むしろいい。最高だ。ツィツィーが懸命に俺を頼る機会など、これを逃したら今度はいつあるか分からんからな。廊下よ、どこまでも続くがいい』
(それはまた、別の恐怖なのですが……⁉)
『しかしなんて小さい手なんだ……。俺の手ですっぽり隠れてしまうじゃないか。そっと力を込めねば、うっかり握りつぶしてしまいそうだ……。……だめだ。意識しすぎて手に汗が滲んできた気がする。ツィツィーに気づかれたら嫌がられてしまう……ッ!』
素知らぬ顔をしたガイゼルが、実は悶々と動揺しているのが聞こえてきてしまい、ツィツィーは少しだけ恐怖を忘れて微笑む。
(ガイゼル様の手は、頼もしいですね……)
勇気を取り戻したツィツィーはガイゼルに摑まったまま懸命に足を進めた。
ようやく廊下の先に次の扉が見え、ツィツィーがほっとしたのもつかの間――カーテンの影に潜んでいた白い布の幽霊が、二人に向かって飛びかかってくる。
「い、いやーー‼」
突然の出没に驚いたツィツィーは、矢も楯もたまらず隣にいたガイゼルに抱きついてしまった。その瞬間、ガイゼルの心の絶叫がツィツィーの耳に響き渡る。
『っ、ツィツィーが、俺に抱き――!』
「す、すみませんっ!」
その驚きがあまりにも大きかったため、ツィツィーは大慌てでガイゼルから体を離した。しかし直後、今度は反対側のテーブルの下に隠れていた別の怪物が、ツィツィーめがけて両腕を振り上げる。
「~~~~っ‼」
『――――っ‼』
もはや悲鳴を上げることすらかなわず、ツィツィーは再びガイゼルにがばっとしがみついた。すると当然こちらからも再度「違った意味での」悲鳴が上がる。
ツィツィーの内心は、お化けに対する恐怖とガイゼルの『心の絶叫』とで二重の大騒ぎだ。
「――っ、ツィツィー」
『や、やめてくれ! 突然抱きつかれると、さすがの俺も心の準備が――』
「す、すみませんガイゼル様すぐにひゃああーー!」
『ツィツィーー‼ だめだ、柔らかい何かが、……くっ……心頭滅却しろ、ガイゼル・ヴェルシア‼』
(も、もう訳が分かりませんー!)
ついに限界を迎えたガイゼルが、お化け役たちに素早く掌底を叩き込んだ。そのままツィツィーを抱き上げると、次に続く扉を足で蹴り開ける。
「す、すみません、ガイゼル様……」
「……いや、いい。……問題ない」
ぜいはあと息を切らした二人は、呼吸を整えるとようやく室内を見回した。
部屋の中には壁際に小さなテーブルが一つと、入ってきた扉の向かいにもう一つ別の扉。そちらには鍵がかかっており、ツィツィーは首を傾げる。
「何かしないと、開かないのでしょうか……」
「どうやら、これが次の課題のようだが」
その言葉を聞き、ツィツィーはテーブルの前にいたガイゼルの元に向かった。すると机上には『お互いの好きなところを三つ言え』と書かれたカードが置かれている。
「お互いの好きなところを三つ……」
おそらく、どこかでこの部屋の音を聞いている人間がいて、二人が回答次第鍵を開けるという仕組みだろう。
なんとなく恋人仕様になった課題に恥ずかしさを覚えつつも、ツィツィーは「制限時間以内にクリアしなければ!」と拳を握る。
「で、では、私から言いますね! ガ、ガイゼル様は、その……とても強くて、格好良くて、あと……お優しいです……!」
「……ふっ」
くだらない、とばかりに鼻で笑っていたガイゼルだったが、内心は落涙せんばかりだ。
『ツィツィーが俺のことを、格好、いいとッ……‼ っ……だめだ、今の発言を何かしらの形に保存して、朝に夕に絶えず聞き返したいんだが……。何か……何かそういう道具はないのかっ……‼』
(い、いったいどんな道具でしょう……)
しかし室内に目立った変化はなく、ツィツィーはおずおずとガイゼルの方を見る。言外の圧を感じ取ったガイゼルは、んん、と咳ばらいをした。
「ツィツィーは、その……」
「……」
「勤勉で、皇妃としての気丈さもある。なにより俺にとって、なくてはならない存在だ」
「ガイゼル様……」
普段あまりそうしたことを口にしないガイゼルから、直接称賛の言葉をもらい、ツィツィーは思わず感激する。
しかしその直後「それでは足りない!」とばかりに大量の『心の声』が聞こえてきた。
『そう――つまりツィツィーは俺の女神であり、天使……。三つなどとは生ぬるい。愛らしさと奇跡のようなバランスで存在する凛然さはもちろん、その髪の一本一本まで芸術品であり、我がヴェルシアの至宝であると同時に、鈴が転がるような声も輝くような空色の瞳も俺を見てはにかむ可愛らしい表情もすべて愛おしい大好きなところであって――』
「あ! 扉が開いたみたいです!」
ツィツィーは彼の思考を遮るよう大げさに扉を指さした。
立て板に水のごとく称賛していたガイゼルは、そこではたと現実に戻ってくる。
「……よし、次に行くぞ」
「はい!」
(よ、良かった……。あのままでは夕方まで続きそうでした……!)
扉を開けて廊下を進み、二人は第三の課題部屋へと辿り着いた。
窓もなかった先ほどのシンプルな部屋とは違い、中庭に面した窓ガラスのほか、壁には立派な額縁の絵画。長い毛足の絨毯に豪華な家具など、貴族の来賓室が完璧に再現されている。
どうやらここが最後らしく、ひと際豪華な扉に『ゴール』と書かれていた。
「いったいどんな課題が――」
するとゴールと書かれた扉の下に、小さなカードが貼られていた。
そこには――『扉の前で、五分間パートナーと抱き合うこと』と書かれている。
「ガ、ガイゼル様、これ……」
「……」
(さすがに……ダメでしょうか)
夫人はよかれと思ったのかもしれないが、人目があるところで抱き合うなんて、間違いなくガイゼルは嫌がるだろう。
案の定、ガイゼルは呆れたとばかりに息をついている。
「す、すみません……。もうクリアは諦めて――」
だがガイゼルは、前の部屋に戻ろうとしたツィツィーの身体を引き留め、その両腕に強く抱きしめた。真っ赤になったツィツィーが思わず顔を上げると、頬を赤くしたガイゼルがそっぽを向いている。
「あと、これだけなんだろう」
「は……はい」
「今日だけだ。今日だけ、このくだらん遊びに付き合ってやる」
(ガイゼル様……)
とくん、とくんと衣服越しに伝う彼の心音を聞きながら、ツィツィーは体の前でぎゅっと両手を握りしめる。
いつもであれば五分なんてあっという間なのだが、今この時だけはまるで永遠のように感じられた。
(うう、時間を決められると、逆に緊張します……)
だがこれでようやくクリアが出来る――とツィツィーはどきどきしながら扉が開くのを待つ。
するとそこに――ガイゼルのものではない、誰か別の『心の声』が聞こえてきた。
『おい! これまずいんじゃないのか⁉』
『どうしてこんなところに……グラン侯爵は知っているのか』
(ガイゼル様に抱きしめられているせいで、『受心』の力が強く……?)
ツィツィーの持つ『心の声を聞く能力』は、ガイゼルに対しては異常に効果があるが、実はそれ以外の人間に関してはそれほど機能しない。
だが一つだけ例外があり――ガイゼルの身体に触れている間だけ、彼の身体を介していつもより鮮明に、広範囲を聞き取ることが出来るのだ。
(この館を管理している方でしょうか? でもそれにしては――)
名状しがたい不安に襲われたツィツィーは、おずおずとガイゼルを見上げる。
「どうした?」
「い、いえ、その……。この近くに誰か、いるような気がして……」
「……」
「す、すみません! きっとこの館の関係者で――」
しかしガイゼルは警戒し、すぐにツィツィーの身体を離した。
焦燥するツィツィーをよそに、室内の様子を注意深く観察する。
「……ここか」
やがて近くの壁にかかっていた絵画を掴んだ。
「ガイゼル様、何を――」
「……っ!」
ガイゼルはそのまま、窓ガラスに向かって絵画を力いっぱい叩きつけた。ガラスはものの見事に粉砕され、手配してくれた夫人の顔を思い出したツィツィーは「なんてことを!」と蒼白になる。
だがその直後、けたたましい悲鳴が窓の向こうから聞こえてきた。
「な、何ごとですか⁉」
先に踏み込んだガイゼルに続き、ツィツィーも窓辺に駆け寄る。
すると中庭に繋がっていると思われた窓の向こうには、なぜか薄暗い別の部屋が繋がっていた。部屋の中にはたくさんの剣や武具、火薬らしきものが置かれている。
「これはいったい……」
「さっき壊したのは本物の窓ではなく、部屋の奥に斜めに鏡を置いて外の景色を映しただけの、いわば偽物の窓だ。部屋を広く見せるため、錯覚を利用したのだろう」
「錯覚……」
なるほどガイゼルの言う通り、部屋の角には巨大な鏡が置かれており、向かいにある本当の中庭が映りこんでいた。
どうやらツィツィーは偽物の窓越しにこれを見て、中庭に繋がっている窓だと思い込んでしまったようだ。
「鼠たちは逃げたようだが……。これだけの物証があれば、グラン侯爵も言い逃れは出来まい」
「鼠……?」
その後、騒ぎを聞きつけた管理人と夫人の到着により、現場は一気にごったがえした。そこでツィツィーはようやく、ここに先帝派を名乗る反乱分子が隠れていた事実を知ったのだった。
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その夜、本邸に戻ったツィツィーはほっと胸を撫で下ろした。
「今日は本当にびっくりしました。ガイゼル様が突然窓を割った時は、どうしようかと……」
「俺も最初は分からなかったが、お前から『誰かがいる』と指摘されてもしやと思ったんだ。しかし、よく奴らの気配に気づいたな」
「え、えへへ……」
まさか『心の声』のおかげで発見出来たとも言えず、ツィツィーは笑ってごまかす。
「ですが夫人には悪いことをしてしまいました……。せっかく私たちのために準備してくださったのに……」
「夫人は、侯爵が悪い連中を匿っていたことを全く知らなかったからな。だが逆に、自ら招待したということで潔白が証明されたという点もある。それにグラン侯爵家は元々、奥方側の方が強いしな」
「……?」
聞けばグラン侯爵はいわゆる『婿養子』らしく、実際の権力や資産などは夫人の方が圧倒的に有しているらしい。今回の件を知った夫人は、近く離縁を切り出すつもりだという。
「自分の財産を宛てに、色々と金を使い込まれた経験もあるらしい。これで堂々と別れられると逆に感謝された」
「夫人……お強いです」
だが夫人が秘密裏に手配してくれたおかげで、帝都に巣食う不穏因子を見つけ出すことが出来た。ツィツィーは改めてふうと安堵を漏らす。
「でも良かったです。大変なことが起きる前で」
「ああ」
「ガイゼル様と『運命の相手』になれなかったのは少し残念ですが……、それよりももっと大切なことが解決出来ましたし――」
するとその単語を耳にしたガイゼルが突如「うん?」と眉を寄せた。
「なんだその、運命の相手というのは」
「あ、実はその、あの館を制限時間内に脱出した二人は、一生一緒にいられる『運命の相手』になれるという噂がありまして」
「……」
「でもあの時は色々あったので、クリアは難しかったかと――」
ツィツィーの説明を聞いていたガイゼルは、みるみる顔色を悪くする。
やがてすべてを聞き終えたところで、据わった目でツィツィーを見つめた。
「今から館に戻るぞ」
「え⁉ ですが、今は現場の調査で封鎖されていて、その後も営業は取りやめると――」
「……っ……!」
『なんということだ……! 俺はみすみす、ツィツィーの「運命の相手」となれる機会を逃していたというのか……⁉ こうしてはおれん。今すぐに新たな「運命の館」を作らせ、そこで俺はツィツィーの唯一無二の運命とならなければ……‼』
(う、運命って、そんな力技なものでしたっけ……?)
かくして大好評を博した『運命の館』はなくなり、若い貴族たちは消沈した。
だが数日後、グラン侯爵元夫人の手によって『真・運命の館』が新たに始まった。
しかも「再稼働の当日、皇帝夫妻が恐ろしい早さでクリアした」と噂されており――以前の『運命の館』以上の賑わいを見せているという。
(了)
小説4巻発売お礼ssでした!












