コミックス2巻発売お礼SS:キスはお預け
それは寒い日が続いたある日。
ツィツィーは見事に風邪を引いていた。
「妃殿下、お体の具合はいかがでしょうか?」
「は、はい……だ、大丈夫です……」
わずかに掠れた声でツィツィーは侍女であるリジーに向けて微笑んだ。先ほどからぞくぞくとした寒気と、みしみしと締めつけられるような頭痛がする。
(大人になってからはあまり引かなくなったと思っていたのですが……やはり、気候が違うからでしょうか……)
リジーから渡された薬湯を呑み、汗で湿った衣服を着替えたあと、ぼんやりとしたまま横になる。
「では近くにおりますので、何かありましたらいつでもお呼びくださいませ」
「ありがとうございます……」
とんとんと寝かしつけるように毛布を叩かれ、ツィツィーはすぐにまどろみの中へと落ちていった。
そういえば――ラシーにいた頃も、一度だけ熱を出したことがあった気がする。典医による簡単な診察のあと、食事の世話などは専属の女中がしてくれたものの……姉たちはもちろん、父も母も誰一人として見舞いに来てはくれなかった。
(仕方ないですよね……病が移ったら、大変、ですし……)
ごほごほと咳をしても、むなしく壁に響くだけ。気管の奥からはぜいぜいと嫌な音がするばかりで、ツィツィーはすべてを忘れるようにベッドに丸くなる。夢と現が混じり合ったふわふわとした感覚の中で、ツィツィーは幼い日の夢を見ていた。
(でも……怖いです。……誰か……)
ぎゅっと身を固め、来るはずのない母親を思い浮かべる。そうして病床のツィツィーはただひたすらに恐怖と戦うのであった。
――誰かの優しい声が聞こえてくる。
『ツィツィー……大丈夫か。こんなに赤くなって……』
『息だって苦しそうだ。くそっ、代われるなら今すぐにでも替わってやりたい……』
(……陛下?)
うっすらと瞼を持ちあげるとそこは見慣れた天蓋の下で、いつの間にかガイゼルがすぐそばに座ってこちらを覗き込んでいた。
「ガイゼル……様?」
「……ふん、目が覚めたか」
『しまった、少し様子を見に来ただけのつもりが起こしてしまった……』
(わざわざ、来てくださったのでしょうか……?)
知らぬ間に寝顔を見られていた恥ずかしさが一瞬頭をよぎるが、それよりも今こうして近くにいてくれることが嬉しい。
「すみません、ご心配をおかけして……」
「別に心配なんぞしていない。この程度の風邪、珍しくもないからな」
『ツィツィーの容態が気になりすぎて、今日はまったく仕事が手につかなかった……なんて言えるわけがないな……。侍医に確認しようと医局に赴けば、何故か全員震えあがっていっこうに話にならん』
(それは……さぞかし驚かれたでしょうね……)
『氷の皇帝』と称されるガイゼルから、恐ろしい剣幕で皇妃の病状を確認される侍医たちの姿を想像してしまい、ツィツィーは思わずふふと笑みを零した。するとそれに気づいたガイゼルが、むっと口角を下げる。
「何を笑っている」
「も、申し訳ありません……」
「……まあいい。少しは良くなったということだろう」
するとガイゼルは乱れたツィツィーの前髪を揃えると、そのまま静かに立ち上がった。
(――あ、)
行ってしまうと察したツィツィーは、思わずはしっと彼の手を掴む。額に置かれていた布が滑り落ち、同時にガイゼルが大きく目を見張った。
「ツィツィー?」
「……あ! す、すみません、何でもありません……」
ツィツィーは真っ赤になりながら、慌てて手を離した。どうしてこんな行動をしたのか、自分でも訳が分からない。熱で弱っているせいか。はたまた。
(さっき見た、昔の夢のせいでしょうか……)
どう言い訳することも出来ず、ツィツィーはごまかすように毛布を握りしめた。するとガイゼルがベッドの端に腰を下ろし、ツィツィーの顔を覗き込む。
「どうした?」
「い、いえ、その」
ツィツィーはガイゼルの視線から逃げるように顔をそらす。するとガイゼルはツィツィーの頬に手を添え、そのまま口づけしようとしてきた。
「ガ、ガイゼル様!」
ツィツィーは慌てて彼の口を自身の両手でふさぐ。眉間に皺を寄せたガイゼルが目だけで「何故だ」と訴えてくるのを感じ取り、真っ赤になったままぶんぶんと首を振った。
「だ、だめです、風邪をうつしてしまいます!」
「安心しろ。俺は生まれてから一度も風邪を引いたことがない」
「そ、それは素晴らしいですけど、でも」
『俺にうつすことでお前が楽になるなら、十回でも百回でも構わないが』
(し、臣下の皆さまに大変なご迷惑が……!)
だだ漏れる心の声に答えるわけにもいかず、ツィツィーはガイゼルの顔を懸命にぐぐっと押し戻す。だがガイゼルはツィツィーの細い手首を握りしめると、いとも簡単にひょいと外させた。
(あっ!)
キスされる――とツィツィーは慌てて目を瞑る。
しかしガイゼルはわずかに顔を持ち上げると、どこか恭しくツィツィーの額に口づけた。きょとんとするツィツィーのもとに、どこか言い訳じみた小さい声が零れ落ちる。
「……これなら、うつすことはないだろう」
「は、はい……」
「……俺は仕事に戻る。一晩ゆっくり休んでおけ」
きょとんと眼をしばたたかせるツィツィーを前に、ガイゼルはさっさとその場を離れた。再び一人になったベッドで、ツィツィーはかあっと赤面する。
(ま、また熱が上がった気がします……)
一気に恥ずかしくなったツィツィーは、そのままベッドにもそもそと丸くなる。ふわふわと暖かいその空間はとても心地よく――ツィツィーはすぐに穏やかな寝息を立て始めた。
怖い夢は、もう見なくなっていた。
(了)
コミックス2巻発売、おめでとうございます!












