第二章 15
(それであんなに到着が早かったのね……)
だがガイゼルの言うことはもっともだ。
ラシーにいた頃は、姉たちは比較的自由に街中を散策していたため、ツィツィーもあまり深刻に考えていなかった。ましてや王都の中なので、少し油断していたのは否めない。
しかし今のツィツィーは『皇妃』という身分がある。
万一のことがあった場合、ツィツィーだけではなく、その周囲の人にも責任が及んでしまうのだ。事の重大さをようやく理解したツィツィーに、ガイゼルはどこか愉快気に微笑む。
「まあ以前は、手紙一つ残さず消えたからな。今回は多少ましかもしれん」
「本当に本当に、すみませんでした……!」
殊勝に頭を下げながら、ツィツィーはふと疑問を浮かべる。いくらすぐに王宮を出たとはいえ、あの時のツィツィーは工房を離れ、街中の用水路に落下しているところだったはず。あの小屋をどうやって発見したというのだろうか。
窺うように視線を上げると、先ほどより少しだけ表情をやわらげたガイゼルの目とぶつかった。ツィツィーは恐る恐る尋ねてみる。
「あの、陛下。どうして、私の居場所がすぐに分かったのですか?」
「――これだ」
取り出されたものを見て、ツィツィーは目を見張った。
それはどこかで落としたと思っていた、イヤリングの片方だったからだ。
「用水路の脇で拾った」
『ツィツィー! ごめんねえ~!』
ガイゼルの手に収まっているイヤリングから、煙のようにレヴィが姿を現した。涙声をわんわんと漏らしながら、ツィツィーの肩へとふわりと飛んでくる。
ツィツィーは「あ、」と瞬き、片耳に残っていたイヤリングを指で探った。次第にツィツィーの全身から血の気が引いていく。
(ど、どうしましょう……せっかくいただいたイヤリングを落として、よりにもよって陛下自身に拾わせてしまうなんて……)
心の声も全く聞こえてこない。これは離婚待ったなしかもしれない、とツィツィーは体の奥の方がぎりぎりと痛むのを感じていた。
だが申し開きも出来ない、と三度目の謝罪を口にする。
「陛下、本当にわざとではないんです……どうしても、レヴィの力を借りたくて、けして、ないがしろにしたわけでは……」
「分かっている。むしろ落としていて助かった」
へ? と疑問符を浮かべるツィツィーに、ガイゼルは続ける。
「こいつを通じて、お前の声が聞こえた。それからすぐ、このかしましい奴が場所を教えてくれたんだ」
『いちいち失礼ねー!』
「私の声、ですか?」
ガイゼルが、手に持っていたイヤリングに向けて囁くように『ツィツィー』と吹きかけた。
するとほぼ同時にツィツィーの耳元で、ガイゼルの声が紡がれる。直接呼びかけられたかのような鮮明さに、ツィツィーは思わず赤面し耳を塞いでしまった。
「い、今、陛下の声が……⁉」
「おそらく、イヤリングを通じて双方向に言葉が交わせる仕組みだろう」
そうなの? と尋ねると、レヴィはどこか得意げに笑う。
『あたしの力でね! イヤリングを持っていれば、それぞれに声を届けることが出来るわ! もちろん、精霊の声が聞こえる人だけだから、誰でも出来るわけじゃないんだけど』
「す、すごいわレヴィ……」
素直に感心するツィツィーの様子を見ていたガイゼルは、呆れたようにため息をついた。指先で近づくように促され、ツィツィーは言われるまま、ガイゼルとの距離を詰める。
まだ怒っているだろうか、とツィツィーが委縮していると、ガイゼルがそっとイヤリングを着け直してくれた。
チャリ、とわずかに鳴った金属の音に、ツィツィーは嬉しそうにガイゼルを見上げる。
「陛下、ありがとうございます」
「……」
喜悦の色を浮かべるツィツィーを、ガイゼルは無言のまましばらく眺めていた。
だが突然ツィツィーの体を持ち上げたかと思うと、自身の膝の上に抱き上げる。
「へ、陛下⁉」
他に人がいないとはいえ、なかなか恥ずかしい体勢に、ツィツィーは慌ててガイゼルを見た。
だがガイゼルは押し黙ったまま、ツィツィーの腰に腕を回すと、ぎゅっと力を込めてくる。やがてガイゼルの口には出来ない言葉が、静かに流れ込んで来た。
『何事もなくて、本当に良かった……こんなに傍にいて、守れないなんてことがあったら、俺は……自分自身が許せなくなる……』
(陛下……)
肩口に額を押し付けたまま、固まってしまったガイゼルに、ツィツィーはどうしたものかと困惑する。物言わぬガイゼルは、ツィツィーの存在を確かめるように、なおも抱擁の力を緩めなかった。
『出来ることなら、邸から一歩も外に出したくないくらいだ。だがそれは、ツィツィーの自由を奪うことになってしまうからな……そんな身勝手を言えるはずがない……』
はあ、とどこか寂しさを含んだ吐息が、ガイゼルの口から漏れた。ツィツィーは体に添うしっかりとした腕の力強さを感じながら、そろりと彼の黒髪に手を伸ばす。
意外なことに振り払われるでもなく、ガイゼルは目をつむったまま、ツィツィーからの施しを黙って受け止めていた。












