第二章 11
荒ぶる儀典長と別れ、自室に戻ったツィツィーを待ち構えていたのは、リンリンと激しくなる鈴の音だった。どうしたのだろうと化粧箱を開くと、陛下の瞳によく似たイヤリングが騒ぎ立てている。
『ツィツィー! ダーリンがー!』
「レヴィ、落ち着いて。どうしたの」
『分かんないの、昨日から気配が辿れなくなって……どうしよー⁉』
涙声のレヴィを宥めながら、ツィツィーはそっとイヤリングを両手に取った。
(もしかして、レヴィならティアラのありかを捜し出せる……?)
元々は同じ宝石だったイヤリング。
距離の限界はあるが、お互いの位置を察することが出来るようだ。これを騎士団に預けて――いや、宝石の声が聞き取れるのはツィツィーやガイゼルといった一部の人間だけだった、と首を振る。
(どうしましょう……でも他国に売り払われでもしたら、間に合わない……)
ツィツィーは一瞬迷っていたが、すぐに心を決めた。
両耳に青いイヤリングを着け、アスティル伯爵家までの馬車を手配してもらうと急いで乗り込んだ。驚く使用人たちが同行を申し出たが、彼らにも仕事があるだろうとツィツィーは丁寧に断る。
(『イヤリングと会話している』なんて変な噂を立てられたら、陛下のご迷惑にもなりますし……)
だが念のため、ガイゼルかヴァンが本邸に来た際に、これを渡してほしいとメモだけ残しておく。
(ごめんなさい陛下、でも急がないと……)
馬車は軽快に街路を駆け、中央を走る用水路を超えると、数刻でアスティル伯の邸へと到着した。ツィツィーが現場に降り立つと、騎士団の調査は終わったのか、既に人気のない状態だ。
こっそりと庭を見るが、騎士団の靴跡だけがあちこちに残っている。
(窓ガラスは綺麗なまま……割って侵入したわけではなさそうだわ)
中にいる職人たちに見つからないよう、ツィツィーは門扉の陰に隠れながら、そっと自身の耳元へと視線を向けた。小さくリィンと音が響く。
「レヴィ、ここにダーリンさんの気配はある?」
『あった! ……けど今はいないみたい。ここからどこかに移動してるわ』
「それ、追いかけられる?」
『まっかせて!』
馬車にはここで待ってもらうようお願いをし、ツィツィーはレヴィの先導に従って走り出した。
使用人たちにはああ言ったものの、犯人に接近することを考えると、ヴァンか騎士の誰かに付いて来てもらえば良かったとツィツィーはいまさら後悔する。
だが王宮に戻っている時間はないし、ツィツィー自身本当に捜し当てられるのか不安でもあった。
(とりあえず大体の場所だけ確認出来たら、あとは騎士団に伝えましょう……)
レヴィの指示は素早く、ツィツィーは急かされるようにひたすら市街地を駆けた。はあ、と息を吐きだしながら、周囲の景色が変わっていく様を観察する。
アスティル伯爵の自宅があった通りを抜け、比較的穏やかな住宅地――続いて市民たちが暮らす一般区画へと続いていく。てっきり闇市やスラム街に向かうと思っていたツィツィーは、毒気を抜かれたように周囲を見回した。
(こんなところに、ティアラが?)
やがて『ここ! このうちにいるわ!』とレヴィが歓喜の声を上げた。息を切らしながら顔を上げたツィツィーは、思わずぽかんと口を開ける。
「ここ、って……普通の邸? よね……」
レヴィに導かれたのは何の変哲もない家だった。確かに他と比べると少し大きい気がするが、けして泥棒が住んでいたり、悪の組織が集結していたりという物々しい佇まいではない。
どうしたものかと、ツィツィーはとりあえず中の住人の様子を探ってみた。
すると突然玄関の扉が開き、中から一人の男性が姿を見せる――その顔にツィツィーは驚愕した。
(あれは……オルビットさん⁉)
そこに立っていたのは、以前エレナの家で見かけた幼馴染の青年だった。彼は何度か周囲を確認すると、すたすたと正門の方へ歩いて来る。ツィツィーは慌てて身を隠したものの、突然の出現に混乱するばかりだ。
(ここはオルビットさんの家? でもどうしてティアラが……)
するとツィツィーの思考を遮るように、レヴィが突然騒ぎ立てた。
『あーッ! あいつ、ダーリン持ってる!』
「え、ちょっと待ってレヴィ、どういうこと⁉」
力強いレヴィの言葉を裏付けするかのように、オルビットはどこか焦燥した様子で歩き始めた。とりあえず話を聞かなければ、とツィツィーは思わずその背中に声をかける。
「あ、あの、すみません」
「――⁉」
突然、オルビットが走り出した。
ツィツィーがきょとんとしていると、耳元から強い叱責が飛んでくる。
『ツィツィー! 追うのよ!』
「あ、は、はい!」
言われるままにツィツィーは足を踏み出す。
するとオルビットも同じく速度を上げた。まずい、とツィツィーは心の中で叫ぶ。
(も、もっと走る練習をしておけば良かった……!)
熱血コーチレヴィの指導の元、ツィツィーは懸命にオルビットの背中を追跡した。
だが元々の体力差や歩幅の違いが影響してか、段々と彼我の距離が離れて行ってしまう。やがて住宅地を抜け、再び大通りに戻って来た辺りで、ツィツィーはぜいはあと息をついた。
(もしかして、……工房の方に戻っている?)
先ほど馬車で走り抜けた見覚えのある景色に、ツィツィーは今自分がどこを走っているのかを意識する。だが体力の方に限界が訪れ始め、足元がおぼつかなくなったツィツィーは思わず「待って……」と声を絞り出した。
すると一瞬振り返ったオルビットが、どこか困惑したような様子でツィツィーを見つめているではないか。もしかしたらという期待を込めて、ツィツィーは再度「待ってください」とオルビットに呼びかける。
「あの、私、あなたとお話がしたくて――」
その瞬間、ツィツィーの耳元で『あ、』とレヴィの短い呟きが落ちた。
同時にツィツィーのつま先に何かが引っ掛かり、体にぶわりと奇妙な浮遊感が生まれる。
(え――)
気づくとツィツィーの体は、ぼちゃんと用水路へと投げ出されていた。
そして悲しいことにツィツィーは――まったく泳げなかった。












