第二章 7
パーティーから数日後、ドレスの仮縫いが出来たとシュナイダー兄妹が本邸を訪れた。ガイゼルは仕事のため今日も不在だ。
「一度着ていただいて、細かいサイズを詰めていきます。それから本縫いに入りますね」
ルカに指示されるまま、ツィツィーとエレナは隣室へと移動した。エレナはツィツィーに白いドレスを着せると、胸元や腰回りなど、体のラインが出る部分を重点的に確認していく。
(なんだか、本当の花嫁さんみたい……)
仮縫いとはいえ、派手な装飾やレースが無いだけで、見た目にはほとんど普通のウェディングドレスと変わらない。ふわふわとしたスカートが揺れる姿も可愛らしく、鏡越しに映る自分の姿にツィツィーは少しだけ心を躍らせた
やがてエレナが手を止めた頃合いを見計らい、こっそりと話しかける。
「あの、先日はすみませんでした」
「……い、いえ」
「出しゃばったことをしてしまって、嫌な思いをさせたのではと」
するとエレナは否定するように首を振った。
「そんな、……そんなことはありません。……ありがとう、ございました」
「ドレスは大丈夫でしたか?」
「――いえ、あれは……もう」
長い前髪の向こうで、エレナが視線を落とす。
その様子を見ながら、ツィツィーは思考を巡らせた。
(彼女はきっと、ドレスに対して何か強い思い入れがあるんだわ……)
だがここでドレスのことを問うても、きっとまた委縮させてしまうだろう。それならば――
「エレナ、実はお願いがあるんですが」
「な、何でしょうか……」
「このドレスが出来る所……工房を見学したいんです」
突然の提案にエレナは戸惑っているようだった。ツィツィーもあまりに急な願い出だったかしら、と内心ハラハラしながら返事を待つ。
長い熟考の末、ようやくエレナが口を開いた。
「あ、兄に確認してからにはなりますが……おそらく、可能かと」
「ほ、本当ですか!」
嬉しさのあまりツィツィーはエレナの手を握りしめた。すると伏せがちだった目が大きく見開かれ、すぐに視線をそらされる。
その反応を目の当たりにしたツィツィーも途端に恥ずかしくなり、慌てて両手を離した。
そろそろルカたちの元に戻らないと、とツィツィーが着ていた衣装に手をかける。
すると廊下の方から何やら騒がしい声が響いてきた。
「――陛下、本当に時間が無いんですって!」
「分かっている。少し顔を出すだけだ」
どうやらガイゼルとヴァンのようだ。今日は来られないと聞いていたのに、とツィツィーは首を傾げる。
するとあろうことか、隣の応接室ではなく、ツィツィーたちが今いる別室のドアがバァンと勢いよく開かれた。
「あっ陛下そっちは部屋が違――」
「どうせ続いているのだから一緒だ、……ろ……」
ガイゼルとツィツィーの視線が、中空のある一点でぴったりとぶつかった。
ガイゼルは普段の無表情のまま、対するツィツィーはぽかんとあっけに取られている。
「……」
あまりのことに二人とも声を失っており、見つめ合ったまま奇妙な沈黙だけが流れた。やがてガイゼルの瞳は、ツィツィーの顔から足元までを何度か往復し、再びツィツィーと目が合ったかと思うと、ぼんと音がしそうなほど一瞬で赤面した。
「……す、まない」
「は、はい……」
何とかそれだけを絞り出すと、ガイゼルは恐ろしいほど静かに扉を閉めた。ツィツィーが遅れて頬に朱を走らせていると、しばらくして廊下からドゴンと派手な破壊音が響く。
遅れてヴァンの悲鳴が聞こえてきた。
「陛下ァー⁉ 何やってんですか⁉ 壁に穴開いてますよ!」
続くばたばたとした使用人たちの足音と、どひゃーという感嘆を耳にしながら、ツィツィーは真っ赤になったまま急いで着替えを開始した。
数日後、兄のルカから快諾を得たツィツィーは工房に向かっていた。
「すみません、急なお願いを……」
「いえいえ、わたしたちの仕事ぶりを見ていただけるよい機会かと」
同じ王都内、しかも警邏が敷かれた比較的安全な地域ではあるが、ルカはわざわざ王宮まで迎えを寄越してくれた。さらには今日一日、ルカ自らが同伴してくれるという。
最初は恐縮していたツィツィーだったが、聞くところによるとアスティル伯爵家は以前ひどく困窮した時期があり、その時から使用人の数を最小限に抑えているらしい。
そのためルカもエレナも出来ることは自分たちでする、と決めているそうだ。
馬車を走らせること数刻後、ツィツィーたちはようやくアスティル伯爵家へ到着した。敷地内には立派な建物が二棟並んでおり、一方がルカたちの住む本邸、もう一方が工房だとルカが指さす。
キャリッジから降り、ツィツィーたちが工房へと足を踏み入れると、ルカの姿を見つけた職人たちが一斉に大きな挨拶をよこした。
どうやら中は作業行程によっていくつかの部門に分かれているようで、ルカが慣れた様子で説明する。
「こちらで生地を裁断し、縫製室で縫い合わせていきます」
「す、すごいですね……」
最初に通された部屋では、デザイナーによって作られた型紙を元に生地に転写し、丁寧に切り抜く作業が行われていた。
天井まで達する棚には、芯に巻かれた生地がぎっしりと並んでおり、重量感のあるものから光沢のあるものまで実に多種に及んでいる。
隣の部屋ではミシンを前にした職人たちが、ものすごい速度で縫い進めていた。中には機械では対応できない部分も多いらしく、そうした個所はすべて手作業だそうだ。
「それが出来たら、今度は装飾を施して、他のアクセサリーとのバランスを合わせていきます」
「他というと、ネックレスとかですか?」
「はい。皇妃様のティアラや靴なども、実際に照らし合わせながら確認します。ドレスが目立ちすぎず、地味になりすぎないよう調整することが重要ですので」
奥に移動するにつれ、ドレスとしての完成形が見えてくる。細かな刺繍などは人の手でなければ出来ないらしく、凝ったものであれば装飾だけで二か月かかることもある、とルカは微笑んだ。
ゆっくりと工房を見て回った後、少し休憩しましょうかとルカが本邸にある私室へと招き入れてくれた。ルカの几帳面な性格を表すかのように、大振りの執務机や本棚などが埃一つない状態で整えられている。
ツィツィーが出された紅茶を飲んでいると、向かいのソファに腰かけたルカが目を眇めた。
「しかし……まさか皇妃様が我々の仕事に関心を示されるとは、思いもよりませんでした。退屈だったのではありませんか?」
「いえ! はじめて見るものばかりで、とても勉強になりました」
「……皇妃様はお優しいのですね」
ふ、と眼鏡の奥の目が鋭くなる。
「貴族の中には、我々のようなやり方を好まないものも多くおります。金儲けとは何事か、とね」
「……」
「ですがうちにはうちの方法がある。そのためなら、私は何でも利用しますよ」
静かな――だが強い意志を孕んだルカの言葉を聞きながら、ツィツィーは招待客リストの資料を思い出していた。
アスティル伯ルカ・シュナイダー。
両親を不慮の事故で亡くし、幼くして家督を継いだ不遇の伯爵。身内は妹のエレナだけで、両親の遺産だけで生活を続けていた。
一時は伯爵位の維持も危ぶまれたが、彼の手掛けた紡績事業が大当たりし、莫大な富を築いたと言われている。
ガイゼルが戦の天才であるというならば、さながら彼は商いの天才というところか。
加えてデザイナー業までこなすというから驚きだ。
(なんというか、油断していると私の心の中まで読み解かれそうだわ……)
軽い緊張感を持ったまま、ツィツィーはルカととりとめもない話を続ける。するとルカが呼びつけていたのか、エレナが姿を見せた。
「ああ、やっと来たのか」
「……すみません」
「皇妃様、良ければエレナとも少し話していかれてはどうでしょう。こいつはほとんど遊びにも出かけなくて……歳も近いですし、話し相手程度にはなれるかと」
ルカの言い方が気になり、ツィツィーはエレナの顔を覗き見た。だがエレナは変わらず押し黙ったまま、一言も反論することはなかった。












