第二章 6
弱々しくなるツィツィーの語尾を聞きながら、ガイゼルは長い足を組むと、はあとため息をついた。
きっちりとした襟元に指を差し込むと、左右に揺らすように緩めていく。
ツィツィーはその様子を少し離れたところから眺めていたが、しびれを切らしたガイゼルが自分の隣に来るよう、目線だけで指し示した。
引け目もあり、断ることの出来ないツィツィーは反省する犬のような気持ちで、恐る恐るガイゼルの隣に座る。
「貸した上着は返ってこない」
「……はい」
「休みたいと言い捨てて、いつまでも戻って来ない」
「…………はい」
淡々と紡がれるガイゼルの言葉。
心の声も全く響いてこず、これは本気で怒っているとツィツィーは強く瞼を閉じ、叱責される覚悟を決めた。
だがそれ以上ガイゼルの非難の雨は降らず、代わりにばさりと重量のある布がツィツィーの頭上に落ちてきた。
急いで目を開けるが辺りは真っ暗。慌てて顔を上げると、隙間から笑いをこらえるガイゼルの姿が覗いている。
「え⁉ え⁉」
頭に乗っているそれに手を伸ばす。馴染みのある質感はガイゼルの上着のようだ。どうやらソファに畳んでいたものをガイゼルが発見し、ツィツィーに被せたのだろう。
ぶかぶかのジャケットに覆われたまま、きょとんとするツィツィーに、ガイゼルがようやく口角を上げた。
「サラに聞いた」
「え⁉」
「人を助けていたのだろう」
どうやらすべて事情が伝わっているらしく、ツィツィーは小さく「すみません……」と首を垂れた。
するとガイゼルは無言のまま目を細め、上着越しにツィツィーの頭を撫でる。
「挨拶なぞ気にするな。どうせただの世間話だ」
「で、ですが……」
「俺もお前を、余分に人に見せずに済んで良かった。あのまま連れ歩いていたら、俺の方が爆発していた」
嘘か本気か分からないガイゼルの言葉に、ツィツィーはつい笑いを零してしまった。するとガイゼルは優しく目を眇めると、覗き込むように上体をかがめる。
「やっぱり――お前には大きいな、これは」
そう呟くと、ジャケットの奥にいるツィツィーにそっと口づけた。
外はまだ多くの招待客がパーティーを楽しんでおり、楽団の演奏や賑やかなしゃべり声があちこちを飛び交っている。
だがその一瞬だけ、ツィツィーの周りは静寂に包まれた。
ガイゼルが唇を離し、体を起こす。
するとドレスに負けないほど真っ赤になったツィツィーが、照れている顔を隠したいのか、ジャケットの襟部分を手で交差するように手繰り寄せていた。
一国の皇妃とは思えないシルエットにガイゼルがくく、と口元を押さえる。
からかわれてる、とツィツィーは反論しそうになるが、ふと何かに気づくとそのままおずおずと上着を引き寄せた。
その様子にガイゼルがうん? と怪訝そうな顔をする。
「いい加減に脱いだらどうだ?」
「か、顔を見られたく、ないですし……それに」
「それに?」
「……ガイゼル様の匂いがするから、もう少しだけ、いいかなって……」
えへへ、と恥ずかしそうに笑うツィツィーを見るや否や、ガイゼルの顔つきは何故か『氷の皇帝』に逆戻りした。
一瞬の変わり身にどうしたのだろうとツィツィーが驚いていると、突然ガイゼルからがしりと両肩を掴まれる。
『ようやく爆発を凌いだと思っていたのに……でも今のは全体的にこいつが悪いと思うぞ俺は』
(へ、陛下⁉)
どうやらガイゼルの良からぬスイッチを押してしまったらしい。
先ほどのキスは加減していた、とばかりに下からすくい上げるように噛みつかれる。肩に置かれていた手は、ツィツィーが後ろに倒れるのに合わせて、腕と腰を撫でていった。
やがてジャケットを背中に敷いた状態で、ツィツィーはガイゼルを見上げる形になってしまった。
ソファの幅が無いためか、ガイゼルの足の片方は、はみ出したまま床に下ろされている。シャンデリアの逆光を黒髪で隠しながら、鉄紺色の目が眇められた。
「そんな上着より、本物の方がいいだろう」
「へ、陛下、……」
「ガイゼルだ」
ツィツィーの頬にガイゼルの手が伸び、上体がぐっと迫ってくる。ツィツィーはたまらず目を閉じてそれを受け入れようとした――が、コンコンと三度目のノックが応接室に響き渡る。
「――やあ陛下、ここにおられましたか」
挨拶を終えたらしいフォスター夫妻が、やれやれとばかりに戻って来た。
ソファに並んで座るツィツィーたちを見つけると「おや?」と首を傾げている。
「どうかされましたかな?」
「い、いえ、何でもありません!」
ぶんぶんと首を振るツィツィーの顔は赤く、髪もわずかに乱れていた。
一方でガイゼルはシャツとジャケットをきっちりと着込んで、隣でしれっとした表情を浮かべている。一体どんな早業を使ったのかしら、とツィツィーは恨みがましく横目で見つめた。
「そういえば、お友達は大丈夫だったかしら」
「あ、はい! すみません、本当に色々とありがとうございました」
「いいのよ。また何かあったら言ってちょうだいね」
ほのぼのと笑うサラに、ツィツィーは言葉にならないほどの感謝を覚えた。同時にエレナのことを思い出す。
(エレナ……大丈夫かしら……)
令嬢たちからやっかみを受けていたことも心配だが、汚されたドレスに対しての反応も気にかかった。特に一度だけ聞こえた心の声。
今度のドレスの打ち合わせの時に尋ねてみましょう、とツィツィーは一人静かに手のひらを握りしめた。












