第二章 2
「わ、わたしは、ただの助手で……仕事なんて……」
「ご、ごめんなさい……」
そのあまりに急な反応に、ツィツィーは招待客たちのリストを思い出した。
ルカはさして気にしている様子はなかったが、基本的に『貴族は働かないもの』というのがヴェルシアでの共通認識だ。
特に女性――亡き夫に代わって采配を振るう女当主であれば別だが、エレナくらいの年頃であれば、花嫁修業と称した習い事やダンスに時間を費やすのが大半である。
男性のように働く、という人はまずいないだろう。
(わ、私……失礼なことを聞いてしまったかも……)
ツィツィー自身は何気なしに尋ねただけだったのだが、『仕事をしている』と思われること自体、エレナにとって不名誉なことだったのかも知れない。
二人の間には気まずい沈黙が流れ、ようやく肩幅の採寸がスタートする。
「……」
エレナの仕事は早く、非常に手慣れていた。
肩に始まり腕、肘までの距離、身幅とメジャーの端をびしばしと当てていく。そのたびに数値を書き取り、何やら呟くとすぐに他のパーツを測り取る。
お人形と化したツィツィーはエレナの様子を観察しながらも、ひたすら口をつぐんでいた。
(すごい……手慣れてるのね……)
やがてすべての採寸を終えると、エレナはふうと息をついた。
「あ、ありがとう、ございました……一度こちらのサイズで仮縫いをして、試着をしながら細かくサイズを詰めます、ので……」
「わかりました。どうぞよろしくお願いします」
再び黙りこくってしまったエレナとともに、ツィツィーは元の応接室に戻って来た。
すると先ほどまでいなかったガイゼルがソファにおり、思わず声を上げてしまう。
「陛下、どうしてこちらに? 今日は予定があって来られないはずでは……」
「少し時間が出来た。それだけだ」
ルカのデザイン画を手にしていたガイゼルは、ツィツィーの方を一瞥すると、短くそれだけを口にした。
その様子に他の男性陣は『わずかな時間でも会いに来られる、愛妻家な皇帝陛下』という評を抱いていたようだが、実際のところは少し違うようだ。
『よ、良かった……デザイナーが男だというから、もしやサイズを測らせているのではと慌てて来てみたが……他に人を連れて来ていたのか』
(陛下……)
意外と小さい理由であったことは、ガイゼルの名誉のために伏せておくことにする。
その後、次の試着の日取りを決めるところまでで今日の打ち合わせは終了した。部屋を出る間際、ルカはそう言えばと呟く。
「来週のパーティーは陛下も参加されるのですか?」
「ああ」
「それは良かった。私どもも顔を出す予定ですので、お会い出来るのを楽しみにしておりますね」
儀典長たちがいなくなった後、ツィツィーはガイゼルの方を振り返った。
「陛下、パーティーというのは?」
「悪い、まだ伝えていなかったな。実は来週公爵家であるんだが……」
そこでガイゼルはわずかに眉を寄せた。
「断ろうかと思ったんだが、式の招待客でもある。こちらが礼を欠くわけにはいくまい」
王族の立場になると、普段の公務に加え、休息日にもこうしてなにがしかの行事が入ってくる。
これでもガイゼルはかなり数を絞っている様子だが、どうやら今回はそうもいかない相手らしい。
「大変ですね……」
「ああ。だからすまないが、予定を空けておいてくれ」
話の着地点が迷子になり、ツィツィーは一瞬首を傾げた。だがガイゼルの言葉の意味に気づきすぐに問い直す。
「も、もしか……しなくても、私も、ですか……」
「? 当然だろう」
(そ、そうよね……)
結婚してから随分経つが、その半分以上を雪山と移動で費やしていたツィツィーは、お披露目式以来、こうした催しとは無縁の存在だった。
だがよく考えてみれば格式の高いパーティーであれば当然、パートナー同伴での参加が必須とされる。
(へ、陛下も一緒なのだから、粗相のないようにしなければ……!)
途端に口数が少なくなったツィツィーに気づいたのか、ガイゼルはそっとツィツィーの頭に手を置いた。ゆっくりと撫でながら大丈夫だと続ける。
「俺が傍にいる」
「陛下……」
ツィツィーの不安に気づいてくれたことに、思わず胸の内が暖かくなる。だが同時に流れ込んで来たガイゼルの葛藤を前に、ツィツィーは不安を募らせた。
『本当は俺だって連れて行きたくはない……こんなにも愛らしいツィツィーの素晴らしさに気づいた他の男どもが、手を出して来たらと思うと気が気ではない……。だがツィツィーが俺の妻なのだと、大々的に知らしめる機会でもある……。まあ俺が傍にいるからには近寄ってくる不逞の輩など秘密裏に会場から叩き出すことも出来るしヴァンとランディに根回しをさせ』
「た、楽しみですね! パーティー!」
これ以上続けると、ガイゼルの内なるガイゼルが漏れ出してきそうだ、とツィツィーは慌てて言葉を打ち切った。
そしてパーティーの夜。
馬車から降りたツィツィーたちを出迎えてくれたのは、主催者であるカリダ公爵家の主人、グレン・フォスターだった。
隣には夫人であるサラ・フォスターの姿もある。
「今日はようこそお越しくださいました、皇帝陛下」
「カリダ公。出迎えに感謝します」
「とんでもございません。皇妃殿下もご機嫌麗しく」
公爵家という身分がありながらも、グレンは非常に丁寧な物腰の人物だった。
白髪の混じる髪はしっかりと撫でつけられ、燕尾服も体型に合わせて作られている。少しふくよかなサラ夫人は深緑のイブニングドレスに真珠という組み合わせだ。
パーティーの主催者とともに庭園に足を踏み入れると、会場にいた来客たちが一斉にツィツィーたちの方に目を向けた。
久々に浴びる好奇や関心の眼差しを前に、ツィツィーは心の中で嘆く。
(うう、……やっぱり緊張します……)
今夜のツィツィーは、深紅のドレスで着飾っていた。
上半身がすっきりと見える、鎖骨から肩にかけて襟ぐりが大きく開いたデザイン。
スカートも膨らみを持たせないよう自然に下ろしており、サイドの二か所と後ろは黒のサテン地が織り込まれていた。
細い首元には、六条の星が埋め込まれたスター・ルビーの首飾りも輝いている。
その隣、同じく夜会用の衣装を着たガイゼルは、漆黒のイブニングコートに銀の飾緒、白いシャツという実にシンプルな出で立ちだった。
だが余計な装飾が無い分、ガイゼルの長い足や小さい顔といった、整い過ぎた体のバランスがはっきりと強調されている。
胸元にはツィツィーのドレスと同じ、深紅のポケットチーフが覗いていた。












