第一章 19
だがよく考えてみれば『どこに』とは言っていなかった。
蒼白になるツィツィーだったが、ガイゼルはそのままするりと、ナイトドレスの裾を撫でる。
むき出しになったツィツィーの膝に触れると、再び上に手を滑らせようと――したところで、突然「グッ」とくぐもった声が上がった。
(え……?)
恐る恐る視線を向けると、自身の左手で右腕を掴むという、実に奇妙な体勢で制止しているガイゼルがいた。
一見するとなんのこっちゃな状況だが、腕の力が拮抗しているところを見ると、どちらも相当必死のようだ。
「くっ……こいつ……」
だがどうやら本来のガイゼルの精神力が勝っているらしく、あっけにとられるツィツィーを残し、そのままずるりとベッドからにじり下りた。
そのまま重たい足取りで窓に近づいたかと思うと、開け放ちバルコニーへと進む。
「おい、待て、やめろ」
口では拒絶の言葉を吐いているガイゼルだが、その体はまっすぐに手すりへと向かって行く。
ツィツィーが慌てて追いかけると、腰ほどの高さがある縁に靴裏をかけているところだった。ツィツィーの中にいる精霊と、ガイゼルの口から悲鳴が飛び交う。
「イヤーー⁉ ダーリーン⁉」
「こいつをどうにかしてくれ! 飛び降りる気だ!」
精霊たちの騒動にのまれるように、ツィツィーも急いでガイゼルの元へと駆け寄った。下には侵入者防止の柵があり、命を落とす危険性がある。
あまりの焦燥のせいか、ツィツィーに憑いていた精霊は逃げ出してしまい、一瞬にして体の感覚が戻って来た。
「ガイゼル様、ダメです!」
「――ッ」
乗り出した身を引きとめるように、ツィツィーは半泣きでガイゼルの体を抱きしめる。それとほぼ同時に、本気だと悟った精霊がガイゼルの体を解放した。
ガイゼルははたと意識を取り戻すと、すぐに手すりに掛けていた足を下ろす。
「ツィツィー。もう大丈夫だ」
「ほ、ほんと、ですか……?」
「ああ」
本当に飛び降りてしまうかと、といまだ目を潤ませているツィツィーを見て、ガイゼルは落ち着かせるように優しくツィツィーを抱き寄せ、その頭を優しく撫でた。
ツィツィーはしばらく大きな手に甘えていたが、少し落ち着いたのか顔を上げる。
仰ぎ見るツィツィーの視線に気づいたのか、ガイゼルは『悪かった』と小さく告げ、はにかむような照れ笑いを浮かべていた。その姿に、ようやく元のガイゼルが戻って来たとツィツィーは安堵する。
そこでガイゼルは「さて、」と前置きをすると、室内のテーブルに残されたレヴァナイトとイヤリングを睨み、大地を凍り付かせるような低音で告げた。
「――約束が、違うようだが?」
ベッドの脇のテーブルに、レヴァナイトとイヤリングが置かれていた。ただしレヴァナイトの下には『私は約束を破りました』というメモが敷かれている。
「何か言い残すことはあるか」
『ちょっ、ちょっと待ってよ! だからさっきから謝ってるじゃない! ごーめーんーなーさーいー!』
「そうか。ツィツィー、悪いがすぐに新しいものを買ってやる」
『ああーっ! ごめんなさいごめんなさいー!』
喜劇のようなやりとりに、ツィツィーは思わず吹き出しかけてしまった。ガイゼルが普段の不愛想な顔で言うものだから、余計に面白く感じてしまう。
やがて涙声になった精霊が、しおらしく謝罪した。
『ダーリンも悪かったって。本当にあのまま死ぬかと思ったみたい』
「二階から落ちたくらいで俺は死なん」
『ねーちょっとー! あんたの旦那本当に人間なの⁉』
「は、はい……」
少々規格外ですが、という台詞はツィツィーの中に呑み込んでおく。憑依に抵抗できる人間がいたことに驚いているらしく、精霊ははあーと深いため息をついた。
『でも本当にごめんなさい。あたしたちも、ちょっと調子に乗っちゃったみたい』
「精霊さん……」
『約束通り、これからは大人しくしてるわ。あたしも最後に一度、ダーリンに会えて満足だし……』
どことなく寂しそうに締めくくった精霊の言葉に、ツィツィーは少しだけ考えこんだ。
せっかく再会出来た二人だが、ダーリンと呼ばれる宝石は、やがて加工されティアラになる。彼をティアラに使わない、という方法も考えたが、このレヴァナイトだけで相当の対価がかかっているし、既に職人たちも製作に着手しているだろう。ツィツィーの身勝手で「他の宝石に」などと言えるはずがない。
だがティアラとなれば、宝物庫から出されることは稀となる。パーティーなどで使用する機会はあるだろうが、下手をすれば数年に一度かもしれない。
つまり、次にいつ会えるか分からないのだ。
「あの、これは提案なのですが……」
『なあに?』
「良かったら、時々一緒にダーリンさんに会いに行きませんか?」
え、と精霊が声を上げた。
「宝物庫から出すのは、特別な用事がない限り難しいですが……私があなたを連れて様子を見に行く、は出来ると思うんです」
『それは願ってもないけれど……いいの? あたし、あなたに怖い思いをさせたのに』
「た、たしかにびっくりしましたけど……もうしないって言ってくれるなら、私はあなたを身に着けてみたいです。とっても素敵ですし」
それに他でもない、ガイゼルがプレゼントしてくれたイヤリングだ。精霊が眠っていたことには驚いたが、大切にしたい気持ちに変わりはない。
ツィツィーの言葉を聞いていた精霊は、うつむいたまましばし悩んでいるようだった。やがて精霊同士の話す高い音域が響いたかと思うと、精霊が恐る恐る口にする。
『……ダーリンも、そうしてほしいって。あたしからもお願い!』
「はい! じゃあこれから、よろしくお願いしますね」
『ありがとう……ええと、ツィツィー?』
「こちらこそ。えっと、なんとお呼びすればいいでしょうか……」
『うーん、あたし名前はないのよね。ツィツィーの好きに呼んだらいいわ』
そう言われ、ツィツィーは首を傾げた。
(ハニーさん? でもこう呼ぶのはダーリンさんに悪い気がしますし、精霊さん……だとお二人が揃っている時にどちらか分からなくなりそうです……。イヤリングさん、はちょっと呼びづらいし……レヴァナイト、レヴァ……)
ようやく何かを思いついたのか、ツィツィーは軽く両手を合わせた。
「頭文字をとって『レヴィさん』というのはどうでしょうか?」
『可愛くていいじゃない。でもさんはいいわ。レヴィで』
「はい。改めてよろしくお願いしますね、レヴィ」
するとレヴィがふわりと浮かび上がり、ツィツィーの肩へと降り立つ。併せて鳴った『――リン、』という音に、二人は嬉しそうに笑いあった。












