第一章 18
その言葉にツィツィーも思うところがあった。
今まで離れることなく一緒にいた二人が、突然他者の手によって分かたれる。ツィツィーも一度自らの意思で、ガイゼルの傍を離れたことはあったが、その時も身を裂かれるような思いだった。
望まぬ形で、しかも他から強要される形だとしたら、その悲しみはさらに深かったに違いない。
「ガイゼル様、私からもお願いします」
「……」
「や、やっぱり好きな人とは傍にいたいというか、その……触れたいという気持ちも、ちょっと分かりますし……」
『よねー! やっぱり乙女心が分かるのは女子だけだわー! ねえお願い! 今夜だけだし、絶対に他に迷惑かけないから!』
「……」
他ならぬツィツィーの援護に、ガイゼルはどうしたものかと額に手を当てていた。
だがどうやら分が悪いと判断したのか、尋問するかのような重たいトーンで精霊に向けていくつか確認する。
「本当に一度だけなんだな」
『もちろんよ! それに、今後勝手に憑りついたりしないって約束するわ!』
「満足したらすぐに体から離れる。これは?」
『守る守る!』
「俺たち以外には出来ないのか? ツィツィーを巻き込みたくない」
『うーん……波長が合えば出来るけど、意外と少ないのよね。今のとこ女子はツィツィー以外に合いそうな子はいないし、……ああ、あなたがイヤっていうなら、ヴァンって子でも大丈夫だとダーリンは言ってるけど?』
「いや、いい。愚問だった」
二人の会話をはらはらしながら見守るツィツィーの前で、ガイゼルは再び深いため息を吐き切ると、心の底から嫌そうに条件を出した、
「――口づけまで。それ以上は絶対に許さん」
その瞬間、精霊が『やったー!』と歓喜の叫びをあげる。つられて笑うツィツィーを見て、ガイゼルは三度やれやれと眉間に皺を寄せていた。
「準備はいいか」
主寝室に移動した二人は、ベッドの上に座っていた。
ガイゼルの言葉を受けて、ツィツィーはイヤリングを耳に着ける。同じくして、ガイゼルもレヴァナイトを握りしめた。
(な、何だか緊張するわ……)
チャリと乾いた金属音を聞き、ツィツィーは精神を集中させる。するとふわり、と全身が軽くなった感覚ののち、自分の心と体が分離したのを実感した。
主導権を握った精霊はツィツィーの指を操ると、そっとガイゼルの胸元へと伸ばす。
「ダーリン……?」
するとずっと俯いていたガイゼルが、ようやく顔を上げた。ツィツィーの手を掴むと、そのまま強く抱き寄せる。
「ハニー! 会いたかった……!」
顔は普段のガイゼルのままなのに、口から出る言葉といい、朗らかな微笑みといい、どれをとってもガイゼルとは思えない反応で――それを目の当たりにした本来のツィツィーは、一人頭を抱えていた。
(へ、陛下が……あんな満面の笑顔で……しかも違うと分かっていても、ハ、ハニーだなんて……!)
この光景を、自らの中で見ている本物のガイゼルは、一体どう思っているのだろうか。
そんなツィツィーの不安をよそに、久方ぶりの再会を果たした精霊たちは、もう二度と離れないのではないかと思わせるほど、互いに強く身を寄せ合った。
やがてガイゼルが『ハニー、その可愛い顔を見せて』と囁き、ようやくツィツィーが上を向く。
「本当にごめんよ……何とか君を捜そうとしたんだけれど、上手く力が使えなくて……君かと思えば別人だったり……二度ほど殺されそうになったりしたんだ……」
「まあ! ひどいことする人もいるのね」
「でもいいんだ、ハニー。君が傍にいてくれるなら、何もいらない……」
ガイゼルの大きな手が、ツィツィーの絹糸のような髪を梳く。その感覚は内なるツィツィーにも伝わって来て、ガイゼルなのにガイゼルではない、不思議な体験に思わず背筋がぞわりとした。
だが決して嫌悪だけではなく、心が浮き立つような幸福感にも満ち溢れている。きっと精霊の感情が、ツィツィーにも影響を及ぼしているのだろう。
「ハニー……」
やがて首筋にガイゼルの手が添えられたかと思うと、優しく上向かされた。瞼を閉じて口づけを待つと、時を置かずして唇が触れあう。一度、二度。角度を変えて啄む仕草に、ツィツィーは途方もなく恥ずかしくなった。
だが二人はそれだけではとどまらず、ツィツィーがわずかに口を開けた瞬間、狙いすましたようにガイゼルの舌がちろ、と入って来たのだ。
(――⁉)
ツィツィーは驚きのあまり、必死になって顎を引こうとした。だが体の主導権は精霊に宿ったままで、むしろ積極的にガイゼルを受け入れている。
ぞくり、と体の奥が震え、ツィツィーは思わず脱力しかけた――すると、目の前のガイゼルが苦い顔をした。すぐに顔を離すと自虐的に苦笑する。
「ダーリン?」
「……舌を噛まれた。やめろということか」
ツィツィーが噛んだ覚えはなかったので、ガイゼル自身が抵抗した結果だろう。
仕方がない、とばかりに再度軽いキスを繰り返していた精霊たちだったが、次第にツィツィーの体勢が後ろに傾いているのが分かった。
(あれ? なんか、その……あれ?)
気づけばしっかりとガイゼルが上にのしかかっており、ツィツィーは身動きが取れない状態になっていた。
もとより、精霊に体を操られているから逃げ出しようもないのだが、それにしたってこの姿勢で口づけというのは――
「ハニー……」
だがツィツィーの当惑をよそに、ガイゼルはなおも鎖骨のあたりに、何度も口づけを降らせてくる。
(ど、どこまでするの……?)
湿り気のある熱さに、ツィツィーの肌感覚が鋭くなっていくのが分かる。これもキスの範囲なのかしら、とツィツィーが辛抱していると、ようやくガイゼルが上体を起こした。
ツィツィーがほっとするのもつかの間、あろうことか太ももに手を置いてきたのである。
(え、嘘⁉ 待って、口づけだけって……)












