第一章 16
「ツィツィー? どうした、体調でも悪いのか」
「いいえ。ただ、もっとお傍にいたいだけです……」
(な、何を言っているの私はー!)
自分の口から勝手に紡がれる言葉に、ツィツィーはあわあわと気を動転させる。
だが偽ツィツィーはうっとりとした目でガイゼルを見つめたかと思うと、そっとガイゼルの肩に手を伸ばした。そのまま力を加えると、どさりとガイゼルの上に倒れ込む。
(いやー⁉ やめて、一体何をする気なの⁉)
ツィツィーの必死の抵抗も虚しく、偽ツィツィーは仰向けに寝転ぶガイゼルの上にのしかかると、妖艶に目を眇めた。
ガイゼルのはだけた襟元に指を伸ばすと、首筋から顎にかけて、ゆっくりと撫で上げていく。
「――愛しています」
「……」
(ガイゼル様! ダメです! 逃げてください‼)
ツィツィーはかつてのガイゼルがそうしたように、体の主導権を取り戻せないかと試みた。だがどれだけ力を込めても、指先一つ自由にならない。この束縛を自力で解いたガイゼルの精神力は、果たしていかほどのものだったというのか。
一方、偽物とはいえツィツィーに迫られているというのに、ガイゼルは相変わらず無表情のままだ。
やがて偽ツィツィーは蠱惑的な仕草で、口づけを強請るように上体をかがめた。するとガイゼルは、それを受け入れるかのようにツィツィーの頬に手を伸ばし、自身の顔を傾ける。
(違うんです! これは私じゃ……嫌……ガイゼル様……)
体は自分なのに、まったく知らない誰かにガイゼルを取られてしまうような気がして、ツィツィーは声なき涕涙を流した。
その間にも二人の距離は狭まっていき、唇が触れあう――その瞬間、ガイゼルはにやりと口元を歪めた。
「――お前、ツィツィーではないな」
「――ッ!」
するとガイゼルは偽ツィツィーの顎を掴むと、そのまま体勢を反転させるようにベッドに押しつけた。
逃げる隙を与えないまま、体にのしかかると、ツィツィーの耳元で揺れる宝石を素早く掴む。
「これか」
指先だけで金具を外し、ツィツィーの耳からイヤリングをむしり取る。するとツィツィーの意識は急に鮮明になり、手や足の感覚が一気に戻ってくるのが分かった。
安堵する一方、腰のあたりにずしりとかかる重量に気づき、ツィツィーはようやく言葉を発する。
「ガ、ガイゼル様……」
「ツィツィー、無事か?」
「は、はい! でもあの、お、下りて、いただけると……」
真っ赤な顔で途切れ途切れに言うツィツィーのお願いに、ガイゼルはしばらくきょとんとしていた。
だが自分がツィツィーに馬乗りになっていることに気づくと、ものすごい勢いでベッドの端に移動する、
「す、すまない。わざとではない。拘束するために仕方なくだな」
「わ、分かってます! あ、ありがとう、ございます……」
どことなく気まずい沈黙が落ちた後、ツィツィーは恐る恐るガイゼルの傍に近づいた。手の中に握り込まれているイヤリングを見ながら、ガイゼルに問いかける。
「やっぱりこれが原因なんでしょうか」
「おそらくな」
窓の外から漏れ入るわずかな月光を受けながら、小さなレヴァナイトは静かに断面の光を輝かせている。
ツィツィーは改めて耳を澄ましてみるが、先ほどの音は聞こえてこない。
(でもイヤリングが離れた瞬間、体の主導権も戻って来たし……何かあるのは間違いないと思うんだけど……)
むむ、と眉を寄せていたツィツィーは、物は試しとばかりに宝石に向けてそっと声をかけてみた。
「ええと、精霊、さん? 何か伝えたいのなら、教えてほしいのだけど……」
だが当然のごとく、誰も応じるものはない。
一気に恥ずかしくなったツィツィーは「すみません……」と消え入るような声量で、謝った後、そろそろと両手で顔を覆った。
するとそれを見ていたガイゼルは、イヤリングを握りしめたまま、ずかずかと窓の方に歩いていく。
「ガイゼル様?」
ツィツィーが追いかけるものの、ガイゼルの足は止まらず、そのまま窓を開けるとバルコニーへ出た。風はほとんど吹いておらず、半月の浮かぶ穏やかな夜だ。
だが静かな時間を楽しむわけでもなく、ガイゼルはそのまま手すりの方へと近づく。
眼下には綺麗に整えられた芝生の中庭と、絶えず水を踊らせている噴水。屋敷の周囲を取り囲む柵などがあったが、当然のこんな時間ともなれば人の姿はない。
どうしたのだろう、と不思議がるツィツィーの隣で、ガイゼルは軽く肩の力を抜いた。すると次の瞬間、手に持っていたイヤリングごと、大きく腕を振りかぶったのだ。
(ええー!)
この高さから落ちて、イヤリングが無事である保証はない。ましてやガイゼルの強肩である。
驚きのあまり、口を大きく開いていたツィツィーだったが、途端に慌てふためくような甲高い女性の声がガイゼルの拳から発された。
『イヤー! ちょっとヤダー! 信じらんない! こいつ止めてーー!』
「ガガガガイゼル様ちょっと待ってくださいー!」
声に後押しされるかのように、ツィツィーは急いでガイゼルに制止をかけた。ガイゼルは何事もなかったかのように、上げていた腕を下ろす。どうやら元々投げ飛ばす気はなかったらしい。
「やっと正体を現したか」
『もっと他にやり方ってもんがあんでしょー⁉ 突然ぶん投げるなんてありえないし!』
「ええと、あなたは一体……」
いまだ状況を理解できていないツィツィーは、困惑したままガイゼルの手中にあるイヤリングに声をかけた。
するとイヤリング――正確にはレヴァナイトの欠片から、薄紫の煙が立ち上る。
「えっ⁉」
細かな粒子は収束し、やがて小さな人の形をとった。
柔らかそうな髪を二つに結んでおり、可愛らしい顔立ちだが、今は少し頬が膨れている。やがて彼女はひどく不満そうに語り始めた。
『確かにちょっとやりすぎたのは謝るわよ。でもあたしはどうしても、ダーリンの元に行きたいの!』
「ダーリン……ですか?」
『そうよ! だからちょっと協力してもらおうと思っただけ』
ふん、と鼻息荒く締めくくった女性の言葉の後、ツィツィーは困ったような顔でガイゼルの方を見た。ガイゼルも少し苛立ったような、辟易した表情を浮かべている。
「……にわかには信じがたいが、こうして姿がある以上、これが『精霊』というやつだろう。おそらく石と波長の合う人間に憑りついて、行動を制御する」
なるほど、その力でツィツィーは操られていたのだろう。しかしイヤリングに精霊がいることは分かったが、王宮で起きた事件には――と考えたところで、ツィツィーもようやくガイゼルの至った結論に達した。
「もしかして、ガイゼル様とヴァンも……」
「ああ。精霊は石に宿る。つまりあっちの宝石にも精霊が宿っている可能性が高い、ということだ。そして――」
そこでツィツィーはある答えを思いついた。ガイゼルも同じ考えに行きついたのか、ツィツィーの顔を見て頷く。
「こいつが探しているのは多分――ティアラ用のレヴァナイトだ」












