第一章 15
その夜、ツィツィーは部屋でガイゼルの帰りを待っていた。用意された部屋は寝室と客室の二つが繋がった造りのもので、ツィツィーは客室側に置かれていたソファに座ったまま、レヴァリアの歴史が書かれた本に目を通している。
(確かに、噂は間違いないみたい……)
宝石商の話通り、宝石の中に精霊が眠っているという逸話は、ここレヴァリアでは比較的有名な話のようだ。
姿を見た・声を聴いたという情報もあるが、一方で明確な証拠は示されていない。実際のところ、宝石の持つ不可思議な魅力を『精霊』という名で表しただけではないか――という説が有力らしい。
(やっぱり精霊なんていないのかしら……)
宝石が無関係だとすれば、ガイゼルやヴァンを襲ったあの事件は、一体何が原因だったのだろうか。ツィツィーがうーんと首を傾げていると、がちゃりと控えめなドアノブの音が響いた。
「なんだ、起きていたのか」
「陛下!」
ツィツィーはガイゼルの姿を目にとめると、すぐに立ち上がった。脱いだ上着を受け取っていると、ガイゼルがわずかに表情を陰らせる。
「すまない。もう少し早く帰ればよかったな」
「いえ全然! 待っている間も楽しいので」
するとガイゼルはそうか、と安堵したような微笑みを見せた。二人でソファに座り、紅茶を飲んで少し落ち着いたところで、ガイゼルが小さな箱を取り出した。
手渡されたツィツィーは、何だろうと恐る恐る蓋を開ける。
「ガ、ガイゼル様、これ……」
「なんだ、欲しかったんじゃないのか?」
そこに収められていたのは、一対のイヤリングだった。濃い青色をした雫型の宝石は、間違いなくギャラリーで見たレヴァナイトの欠片だ。
「ど、どうやって……」
「あの後、宝石商に話をつけた。ティアラと揃いでちょうどいいと思ったが、いらなかったか?」
なるほど、帰り際に話し込んでいたのはこの件だったようだ。ガイゼルは簡単に言っているが、実際はどれほどの金額で取引されたのだろう。
イヤリングしか入っていないはずの小さな箱が、ツィツィーの手にずっしりと重く感じられる。
(……でも、私がずっと見ていたから、それで……)
ツィツィーを喜ばせようと、わざわざ頼んでくれたのだろう。その経緯を想像するだけで、ツィツィーはこのイヤリングがお金では表せない価値のあるものに思える。
「いいえ、……すごく嬉しいです。ありがとうございます!」
幸せそうにはしゃぐツィツィーを見て、ガイゼルもまた口元をほころばせた。箱を両手で包んだまま、わーと目を細めるツィツィーを前にして、軽く首を傾げる。
「着けないのか?」
「え⁉ わ、私が触って、壊したら嫌だなあと……」
「貸してみろ」
するとガイゼルはツィツィーから箱を取り返すと、片方のイヤリングを手に取り、ツィツィーの耳朶に指を伸ばした。ガイゼルの爪先が触れて、とてもくすぐったい。
「ガ、ガイゼル様……?」
「わ、悪い……こうか?」
チャリ、と銀細工の揺れる音がしたが、まだガイゼルの手はツィツィーの首元から離れない。たしかにイヤリングは自分で着けるのもなかなか難しいものだ。
慣れていない上、剣を握るガイゼルの大きな手にとっては、熊が果実を取るようなものだろう。
「も、もう少し下、です」
「ちょっと待て、……ここか?」
「ひ、あ、ちょ、ちょっと痛いです……」
「少し戻すぞ。ここは?」
「ん、……大丈夫、みたいです」
『くっ……先に俺の気がおかしくなりそうだ……』
試行錯誤の末ようやく、片方のイヤリングがツィツィーの頬の隣できらめいた。赤くなってしまったツィツィーの外耳を、ガイゼルがすまなそうになぞる。
「……悪かった」
「い、いいえ、全然!」
こんなことなら自分で着ければよかった、と想像以上の恥ずかしさを堪能したツィツィーだったが、耳から下がるわずかな重みに、じわりと心が浮き立つようだった。
ソファから立ち上がると、いそいそと化粧台の前に行き身をかがめる。銀の髪の合間から、秀麗な青色がキラキラと輝いており、ツィツィーはガイゼルの方を振り返ると、改めて嬉しそうに微笑んだ。
「ガイゼル様、ありがとうございます」
「ああ。……夜も遅い、そろそろ寝るぞ」
はい、と答えたツィツィーはイヤリングに手を伸ばした。だがガイゼルが着けてくれた、という感触を少しでも長く味わっていたくて、そのまま寝室へと向かう。
ドア一枚を隔てた寝室には、二つのベッドが並んでいた。一つのベッドだけでも十分に広く、ツィツィー三人くらいなら横になれそうな幅がある。
ガイゼルは白いシャツ姿のまま、一方の寝台に腰を下ろした。ツィツィーもそれに倣い、もう一方のベッドへと足を向ける。
――リィン。
その時、再びあの高い音が響いた。
鈴を転がすような、波紋のようなそれは――ツィツィーの耳を通り抜け、頭の中に何度も反響する。
(――なに、これ)
普段の『受心』ではない。
まるで相手から無理やり聞かされているかのような不快感に、ツィツィーは懸命に抗おうとする。だが徐々に思考が塗りつぶされていき、ツィツィーは助けを求めるようにガイゼルに目を向けた。
しかしその瞬間、さらなる衝撃がツィツィーを襲う。
(――ど、どうしよう、……)
黒く艶やかな髪、白い肌、端正な口元――何よりも、冷たく尖った青い瞳。つい先ほどまで間近で接していたはずなのに、ガイゼルを見た途端、ツィツィーは感じたこともないほどの、強い恋着を抱いてしまった。
ガイゼルの全てが愛おしく――そのためなら何を捧げてもいいと思ってしまうほど。
「ツィツィー?」
いつまでも立ち尽くすツィツィーを不思議に思ったのか、ガイゼルが首を傾げた。
するとツィツィーは空いているベッドではなく、ガイゼルのいるベッドへと足を進め、そのまま彼の隣に並び座る。これに驚いたのは他でもない、ツィツィー自身だ。
(ど、どうして、体が言うことを聞かないの……⁉)
気が付くと、ガイゼルとの距離はほぼゼロになっており、ツィツィーはぴったりとガイゼルに体を寄せていた。
さすがにいつもと違うと気づいたのか、ガイゼルは眉間に深く皺を寄せる。












