第一章 11
「冷やすものを持ってきましょうか?」
「いい。自分に対する罰のようなものだ」
「ガイゼル様のせいじゃないのに……」
しょんぼりとするツィツィーを前に、ガイゼルは柔らかく微笑んだ。頬に添えられたツィツィーの手を、自らの手で覆うようにして固定する。
「お前の手は冷たいな」
「そ、そうでしょうか?」
「ああ。……気持ちいいな」
ぽつりと零すガイゼルがどことなく幼く感じられて、ツィツィーは心をほころばせた。
いたずらをするような気持ちで、ガイゼルのもう一方の頬にも手を伸ばす。
顔を両手で押さえられてしまったガイゼルは、苦笑しながらそっと視線を落とした。その優しい眼差しに、つられるようにツィツィーも微笑む。
(あ、……私……)
やがてツィツィーは、ごく自然にガイゼルの顔へと近接した。斜めに傾け、ガイゼルの薄い唇に自分のそれを重ねる。
ガイゼルがごく、と息を吞む音がしたが、ツィツィーはそのまま目を閉じた。
きっと長い時間ではなかった。
だが永遠にも思える一瞬の後、ツィツィーはようやくそっと顎を引いた。
ガイゼルの頬に伸ばしていた両手をずるりとベッドに下ろすと、そろそろと自分の胸元へと引き寄せる。心臓は今更になって、ばくばくと激しく存在を主張していた。
(わ、私、いま、陛下に、キスを……)
今まで挑戦してもなかなか出来なかったのに、さっきはごく自然に「したい」と思えた。自分の中の未知なる感情に、ツィツィーはついに恥ずかしさを爆発させる。
一方ガイゼルはというと、まるで頬の痛みが丸ごと抜け落ちたかのように、ただ茫然としていた。腕の中からツィツィーがいなくなったことさえ、気づいていないようだ。
その硬直具合に照れたツィツィーは、誤魔化すようにガイゼルに就寝を促した。
「じゃ、じゃあ、今日はもう寝ましょう!」
「あ、ああ」
ようやく意識を取り戻したガイゼルは、上着をベッドの脇にかけると、ツィツィーに隣り合うように座った。
ツィツィーは何も言われないうちにと毛布をかぶり、ガイゼルに背を向けるようにして横になる。
すり、という衣擦れの音が続き、どうやらガイゼルも寝る準備を始めたようだ、とツィツィーはほっとする。
だが今更になって回路を取り戻したのだろう、背後からガイゼルの動揺が聞こえてきた。
『――いやまて。思わず思考停止してしまったが、さっきのは一体何だったんだ⁉』
『く、思い出してもまだ心臓が……』
『まだ乗っ取られているとか……夢だったという可能性はないよな?』
一言も発さないものの、延々と流れてくるガイゼルの狼狽に、ツィツィーまで混迷し始める。
自分自身でもどうしてキスしたくなったのかわからないのに、これ以上指摘されたらどうしよう、と後ろのガイゼルに怯えながら、ツィツィーはぎゅっと目を閉じた。
しかしそんな祈りも虚しく、体を起こしたガイゼルが静かに声をかけてくる。
「ツィツィー、その」
「な、なな、なんでしょう⁉」
「ああ、いや、大したことじゃないんだが」
するとガイゼルは、たっぷり一秒以上間を空けてから、意を決したように口を開いた。
「だ……」
「だ?」
「だ、……抱きしめても、いいだろうか」
へ、と口を半端に開くツィツィーの様子に、ガイゼルはそれ以上の言葉を押し殺した。だが心の中では「違うんだ」と必死に理由を紡いでいる。
『やっぱり、ついさっき怖い思いをさせた男に言われるのは嫌だろうか……だが出来ればやり直しをさせてもらいたいんだが……。無理だろうか……せっかく、ツィツィーが勇気を出してここまで来てくれたというのに……嫌な思いだけをさせてしまった……』
(ガイゼル様……)
どうやら先ほどやらかした一件は、ツィツィーが思う以上にガイゼルにダメージを与えていたようだ。
次第に心の声まで弱々しくなっていく気がして、ツィツィーはたまらず起き上がると、ガイゼルの方を振り返った。
見て分かるほど落ち込んでいるガイゼルを前に、ツィツィーはそろそろと両腕を広げた。きっと顔は恥ずかしいほど真っ赤になっていることだろう。それでも。
「は、……はい」
「……ツィツィー」
心の底から安堵したといわんばかりのガイゼルの呟きと同時に、力強い二の腕がツィツィーの体をぎゅっと抱きしめた。そのままベッドに横になった二人は、ぬくぬくとした毛布の中で密かに笑い合う。
互いの体温が馴染んでいく中、ガイゼルが静かにツィツィーに問いかけた。
「――怖く、ないか」
「……はい」
「……良かった」
そう言うとガイゼルは、ツィツィーの髪を恐る恐る撫でた。ガイゼルの大きな手で梳かれるのは心地よく、ツィツィーは思わず目を細める。
その仕草に、恐れられてはいないと実感したのか、ガイゼルはまた少しだけ緊張を解いた。
どうやら今日は、本当に抱きしめるだけのようだ。
ツィツィーは逞しい胸板に埋もれながら、うとうとと瞼を閉じる。するとガイゼルもまた睡魔が襲ってきたのか、途切れ途切れの本心を囁いていた。
『ランディ……儀典長……頼む……明日にでも式を挙げられないだろうか……』
さすがに無茶なその願いを聞きながら、ツィツィーはふふ、と嬉しそうに微笑んだ。












