第一章 8
騒ぎを聞きつけた執事と使用人たちが、どひゃーと目を見開くのに謝罪しつつ、ツィツィーたちは一旦応接室へと移動した。
隣り合ってソファに座るツィツィーとガイゼルの反対側には、疲弊しきったヴァンがへたり込んでいる。
「実は……俺にもよく分からないんです。陛下の命令通り、ツィツィー様の護衛に努めようと、こちらに戻ったことは覚えているんですが……」
ヴァンいわく、応接室を出てから王宮にある宝物庫へと向かった。儀典長と一緒に宝石の保管を確認したのち、本邸に戻って使用人たちに挨拶をした、までははっきりと覚えている、と。
「ただ突然、頭に靄がかかったような感じがして……こんな状態で皇妃殿下の元に行くわけにはいかないと思い、引き返そうとしたのですが……。廊下でツィツィー様をお見かけした瞬間、その、何と言いますか……『運命の人がいる!』と抑制が効かなくなってしまい――陛下、あのちょっと、目が怖いんですが」
「そうだったんですね……」
ヴァンの証言を聞きながら、ツィツィーは思考を巡らせた。午前中のヴァンは至って普通の様子だったので、王宮からこちらに戻るまでの間に何かがあった、と考えるのが自然だろう。
(陛下はまじないと言っていたけれど……そう簡単に出来るものかしら?)
まじない。人によっては魔術と呼ぶこともある。
人智を超えた不思議な力で、何も無いところから火や風を生み出したり、人の心を操ったりするという。
ヴェルシアから遠く離れた大陸では、そうした力を持つ『魔術師』がいるという噂を聞いたことはあるが、実際に見たという人に会ったことはない。
やがてヴァンがツィツィーに向けて、深々と頭を下げた。
「皇妃殿下には怖い思いをさせてしまい、……本当に申し訳ございませんでした」
「か、顔を上げてください! 私なら、ほら、なんともないですから!」
「ツィツィー様……」
ほろりと感動の涙を浮かべるヴァンに対し、ツィツィーの隣で剣呑な雰囲気を漂わせていたガイゼルは、至極真面目な様子で睨みつけた。
「ヴァン」
「は、はい!」
「もし本気でツィツィーを奪いたいのであれば、先に俺に言え。正々堂々と真剣での決闘を申し込んでやる」
「だからしませんって!」
ぎゃいぎゃいと喚く二人に苦笑しつつ、ツィツィーは再び情報を整理していた。
(ヴァンが移動したのは、王宮と本邸だけ……)
もしも良からぬものが入り込んでいるとすれば、それはツィツィーやガイゼルたちのすぐそばに迫っていることになる。言い表せぬ不安を抱えたまま、ツィツィーはそっと手を握りしめると、自身を落ち着かせるように胸元へと押し付けた。
ヴァンのご乱心事件から三日後。
ツィツィーは儀典長の連絡を受けて、応接室に来ていた。仕事が落ち着いたとの言葉通り、今日はガイゼルも同席している。
ソファの反対側には儀典長がおり、テーブルの上には数枚の資料と見覚えのある箱が置かれていた。レヴァナイトが収められているものだ。
「遅くなりました。こちらがティアラの図案でございます」
「わあ……! どれも素敵ですね……」
どのデザインも、レヴァナイトを一番美しく見せるよう設計されており、王冠を模したクラウンティアラに、本体部分にメレダイヤを並べた細身のティアラ、さらには額に雫型のクリスタルを下げる造りのものもあり、ツィツィーは思わず目移りしてしまう。
隣にいるガイゼルも一通り眺めた後で、ふうんと息をついていた。
『なるほど……今まで女の装飾品など微塵も気に留めたことはなかったが、ツィツィーが身につけるものだと思うと、どれも尊く見えるものだ……。まあどれを選んだところで、ツィツィーの生まれ持った可憐さに敵うはずがないが……』
(……一体陛下には、私がどのように見えているのかしら……)
恥ずかしさと動揺を儀典長に悟られないよう、ツィツィーはつとめて冷静にデザイン画を吟味した。
やがて一つのデザイン画を選んだところで、儀典長が思い出したように口にする。
「そういえば、陛下はまだ御覧になられておりませんでしたか」
「何の話だ?」
「こちらです。レヴァナイトの現物でございます」
言いながら、儀典長は脇にあった箱の蓋を取った。中には以前と同様、目もくらむばかりの輝きを放つ宝石が、これでもかとばかりに存在を主張している。
普段は宝石に関心を示さないガイゼルもさすがに驚いたのだろう。わずかに目を見張ると、じっと見据えていた。
「これは……確かに見事なものだな」
「左様です。妃殿下の審美眼が優れていたということでしょう」
ふぉふぉ、と満足気に笑う儀典長を前に、ガイゼルはなおも真摯にレヴァナイトを眺めていた。
互いによく似た深藍色の瞳と宝石がぶつかる光景に、ツィツィーはたまらず笑みを零す。
(でも本当に綺麗……陛下の瞳ともそっくりだし……)
やがて選んだ図面について子細を話し合うと、儀典長は丁寧なお礼を言いながら、レヴァナイトと共に応接室を後にした。二人きりになったところで、ツィツィーはガイゼルに尋ねる。
「陛下はこの後もお仕事ですか?」
「ああ。だがすぐに終わる」
「じゃ、じゃあ、今日は早くお帰りに?」
「ああ」
ぱああと花でも飛ばすかのように、分かりやすく喜ぶツィツィーを見て、ガイゼルはこらえきれないという風に笑った。仕事に戻ろうと立ち上がるガイゼルを見送るべく、ツィツィーも扉のところまで付いて行く。
するとドアノブに手をかけたガイゼルが、ふとツィツィーの方を振り返ったかと思うと、無言のまま熱い視線を送って来た。
(……?)
特段心の声は聞こえない。
また仕事に戻りたくないとでも思っているのかしらと、ツィツィーは苦笑する。だがその間もガイゼルは熟視してきて、ツィツィーは少しだけ息を吞んだ。気のせいか、深海のようなガイゼルの瞳が、今は青い炎のように揺らいで見える。
沈黙に耐え切れなくなったツィツィーは、たまらずガイゼルに切り出した。
「陛下? 大丈夫ですか?」
「――ッ、……ああ、いや、なんでもない」
ガイゼルは弾かれるようにはっと顔を上げると、何度か強く瞼を開閉させた。
慣れた手つきでツィツィーの頭を撫でたかと思うと「行ってくる」と告げ、しっかりとした足取りで玄関ホールへと歩いていく。
(陛下……いつもと少し違ったような……?)
その背中を見送りながら、ツィツィーはどこか言いようのない不安を感じていた。












