第五章 5
中庭はひどい混戦状態だった。
正門を突破したイエンツィエ軍が一気に襲撃をかけてきており、それを約半数ほどの兵士たちで応戦しているという有様だ。
傷つき倒れていくヴェルシア兵たちを横目に、ガイゼルは一人で獅子奮迅の戦いぶりを発揮していた。
首級を上げようと複数で襲い掛かってくる相手に対し、長剣の一振りで薙ぎ払う。併せて体術でも敵兵たちを次々と昏倒させていた。そんなガイゼルの姿に、周囲の兵士たちは目を見張る。
「す、すごい、……」
「そうだった、陛下はかつて、戦いの天才と……」
こちらも敵兵を相手取りながら、隊長たちはかつての逸話を思い出していた。
――先代ディルフ王亡き後、兄弟や甥姪を巻き込んだ後継者争いが発生した。
内政や貴族間でのやり取りだけでは足りず、いよいよ武力での戦争が始まるかとなった折、今まで興味がある素振りすら見せなかった末弟のガイゼルが単身で立ち回り、気づけば次期皇帝の座を手にしていたというものだ。
だが彼の功績はそれだけではなかった。
偉大なる指導者を亡くし、混乱していたヴェルシアは、他国から格好の餌食となっていた。元々隷属させられていることに不満を持つ国が多く、この機に乗じてと侵攻してくる軍隊は後を絶たなかったという。
騎士たちは連日国境付近を飛び回り、懸命に防衛を続けていたのだが、ある時即位前のガイゼルが現れ、彼らに戦略を指南していった。
それにより各地で起きた紛争は徐々に終結し、ガイゼルが次期皇帝に就任する頃には、元の平定したヴェルシアに戻ったそうだ。
このことから騎士団の一部には、ガイゼルのことを『戦の天才』と呼ぶ者もいたという。
しかしいざ皇帝になった彼は、今度は戦いに関して一切を否定し始めた。また臣下に対し、傲慢な態度をとるようにもなった。
それが貴族連中にはよく映らなかったらしく、かつての逸話は、ただガイゼルの恐ろしさを知らしめるものとして、間違った拡散をしてしまった――という。
そんな逸話を露とも知らぬガイゼルは、剣についた血を拭いながら独り言ちた。
(……しかし、さすがに数が多いな)
横から襲い掛かってきた敵を叩き切った後、ガイゼルは溜めていた息を吐き出す。ヴェルシア兵が押されているのは、火を見るより明らかだ。
だがここで諦める訳にはいかない。
(ここを守れねば、ツィツィーが)
再び数人の敵兵が現れ、ガイゼルは振り向きざま、舞踏のような優雅さで背後の敵を蹴り倒す。
だが脇にいた兵士の存在に気づかず、ガイゼルは横腹を強打された。ぐ、と呻きながら姿勢を立て直すが、持っていた長剣を叩き落とされてしまう。
(……ッ!)
剣を拾いあげようにも、かがんでいるうちに次手を打たれてしまう。ガイゼルが迷ったその一瞬、武装したイエンツィエの騎士が、ガイゼルの額めがけて大剣を振り下ろした。
(――しまっ、た)
不思議なことに自身に向かってくる刃が、ガイゼルの目にはゆっくりと映し出された。両断するような剣影を前に、ガイゼルはそっと瞳を閉じる。
瞼の裏によみがえるのは、白銀の髪。嬉しそうに笑う、彼女の顔。
すまない。
ちゃんと、言葉で伝えれば良かった。
(――ツィツィー……)
俺は。
君のことが。
ギャイン、という金属の擦れる音に、ガイゼルははっと目を見開いた。
ガイゼルめがけて振り抜かれたはずの剣は、巨大な手斧によって阻まれていた。やがてふん、という荒い掛け声と共に、イエンツィエの騎士が競り負かされる。突如として現れた人物の背を見つめながら、ガイゼルは言葉を失っていた。
「……何故、ここに」
屈強な二の腕に、顔を覆うぶ厚い髭。そこにいたのは、かつてイシリスでガイゼルたちを助けてくれた――ディータだった。
「言っただろう。この恩はいつか、必ず返すと」
「俺たちもいるぜー!」
見ればディータだけではなく、村の男たちも参戦しているようだった。
厳しい冬の狩りを知る男たちの技量は凄まじく、並の騎士以上の働きをする者や、的確な弓で敵を次々と撃ち落とす者など、一騎当千の猛者たちがこれでもかとばかりに集まっている。
「ご無事ですか、陛下!」
やがて落ちた剣を拾うガイゼルの元に、ツィツィーを送り届けたヴァンが姿を現した。だが斧を振り回しているディータを見た瞬間、信じられないという表情を見せる。
「ディ、ディータ様……」
「! ヴァン、知っているのか」
「伝説の騎士団長様ですよ! ディルフ様の治世に貢献した無敗の騎士団長、ディータ・セルバンテス様です!」
「ディータ・セルバンテス……」
「陛下がこちらに戻られる時、入れ替わるように騎士団を辞められたので、面識はないかも知れませんが……。突然隠居されて、どこにおられるか誰にも分からないと言われていたのに……」
恐ろしいほどの怪力で敵を鎧ごと叩き捨てると、ディータはようやくガイゼルの方を振り返った。
鋭い眼光はガイゼルを射貫くように真っ直ぐ向けられている。かつての覇者はいまだ衰えを知らぬようだ。
「本当は、もう二度と王都に来るつもりはなかった」
「……」
「無謀な進軍、領土の拡大……ディルフの奴は、変わっちまった」
「父と、知り合いだったのですね」
「腐れ縁だ。あいつが死んだと聞いて、いよいよこの国も終わりかと思ったんだがな」
背後から襲い掛かってくる敵を、ディータは肘鉄砲一発で卒倒させる。ガイゼルもまた器用に立ち回り、左右から切りかかっている兵士たちを地に伏せさせた。
なおも増え続ける敵兵を前にして、ディータは満足げに口角を上げる。
「だが――お前がいるなら、悪くはない」
ぐるりと取り囲んでくるイエンツィエ兵に対し、ガイゼルとディータは互いの背を預けるようにして立ち向かった。
隙のない戦技の応酬によって敵兵は次々投げ出されていき、その絶望的な光景に、敵側の士気が明らかに落ちていく。
やがて一人の兵士がたまらず背を向けた。
すると別の一人、また一人と恐怖に捕らわれた者から逃亡を始める。その様子を見抜いたガイゼルは、これでとどめだと言わんばかりに、喉の奥底から獣のように咆哮した。
「利は我らにあり! 全軍、一気に叩き潰せ!」
砂埃が吹き上げる中、あちこちから覇気を示す鬨の声が上がる。するとイエンツィエ側はいよいよ戦線を維持出来なくなり、バラバラに離散しながら退却した。
満身創痍になったガイゼルは、破壊された正門から逃げていく鎧の背を眺める。ふと視線をずらすと、こちらも全身傷だらけのディータが、肩で荒々しく息をついていた。ガイゼルに気づくと、にやりと雄々しい笑みを浮かべる。
背後を振り返ると、傷や返り血でボロボロになったヴァンや騎士団の隊長たち。いつの間にか会議室にいたはずの公爵や伯爵たちの姿もあり、皆同じように茫然としていた。
ガイゼルもまた、途切れ途切れに呼吸をしながら、ゆっくりと前に向き直る。
眼下に広がるヴェルシアの街。
至る所に戦いの跡が残っているが、イエンツィエの兵たちはもういない。
強く吹きすさぶ風に黒髪を踊らせながら、ガイゼルは高々と剣を振り上げ、全力で叫んだ。
「――我らの、勝利だ!」
わああ、と歓喜と安堵に満ちた声が、城内にいつまでも響き渡っていた。












