第五章 受けた恩は返すものです。
二人が見たものは、王都から立ち上る黒い煙だった。
「――数日前、城壁で突然爆発が起きました。それに乗じて、潜んでいたイエンツィエ軍が侵攻してきたんです」
先導するヴァンの言葉を聞きながら、ガイゼルはずっと何かを考えているようだった。ツィツィーはその横顔を見ながら、不安げに唇を噛む。
ヴァンはガイゼルが国賊のそしりを受け、崖から落ちたという話を聞いた後も、死んでいるとは思えず、方々手を尽くして秘密裏に調べさせていたそうだ。だが一向に情報がつかめず、後はイシリスの奥地だけとなった時に、イエンツィエからの襲撃が始まった。
見る間に侵略されていく王都を見て、ガイゼル無しでは勝てない、と思い至ったヴァンは自ら馬を駆ってイシリスを捜索し、ようやく二人を探し出したのだという。
「勝手な、……ことで、本当に申し訳ないと思っています。ですがどうしても、陛下の力が必要なんです……」
ディータには、急遽王都に向かう用事が出来たとだけ伝えた。詮索されるかと覚悟していたが、ディータは思ったよりも呆気なくそれを了承した。
帰ったらまた働いてもらうからな、という言葉がとても嬉しかったのを、ツィツィーはよく覚えている。
また最初はツィツィーだけイシリスに残る、という話もあった。だが怪我人の看病や住民の誘導など、出来ることは何でもする。人手があった方がいいとツィツィー自身が主張したのだ。
ガイゼルからも危険だと何度も止められたが、「第一皇妃が国の危機に隠れていたなどと、言われたくありません」という言葉と、絶対に自分の傍を離れないことを条件に、最後は渋々了承してくれた。
「数は?」
「今は二千と言うところですが、援軍がいる様子です。今は籠城で防いでいますが、いつまでもつか……」
閉ざされた市門を挟んで、ヴェルシアの弓兵が応戦している。その姿を遠巻きに見ながら、ヴァンは二人を内部へと通じる隠し通路に案内した。
門の中も破壊された箇所が多く、投石機や火矢の跡が散見していた。市民は家に隠れているのか、通りには駆けまわる兵士たち以外の姿はない。道傍には傷ついた兵士たちが寝かされており、その惨状にツィツィーは息を吞んだ。
「――ヴァン、どこに行っていた!」
突然の怒声に振り向くと、騎士団の隊長らしき男性が駆け寄って来た。だが傍らにいたガイゼルの姿を見つけると、即座に渋面になる。
「ガイゼル、陛下……」
「すみません隊長、でも俺たちだけではとても……」
一触即発の空気に、ツィツィーは静かにガイゼルの動向を見守る。だがガイゼルは隊長の方を向くと、深く頭を下げた。
「――今まで、すまなかった」
「……な、何を……」
「逆賊に従うのは本意ではないだろう。だが今ここを守らねば、ヴェルシアは滅びてしまう。だからすまない……俺に力を貸してほしい」
かつてのガイゼルとは思えないその真摯な物言いに、隊長は言葉を失っていた。しばらく逡巡していたが、短く息を吐いたかと思うと、ばっとガイゼルに向けて腰を折る。
「悔しいが、……このままでは守り切れる自信がない……」
「……」
「陛下、どうかその力を、お貸しください」
「俺からもお願いします!」
隣に立つヴァンも頭を下げる。顔を上げてくれ、とガイゼルは呟き、すぐに城門の方を仰いだ。風向き、兵士の数などを目測し、手短に指示を出す。
「王宮内にある火薬を全て出せ。それから水盆を張って門の傍に置くんだ」
「水盆、ですか?」
「正面突破ではなく、地面を掘削して進入路を作る可能性がある。水面を見て、動きを注視しておけ」
「はいッ!」
さらにガイゼルは、次々と近くにいる兵士たちに命令を出した。最初はヴァンと隊長だけが従っていたが、どうも腕の立つ指導者が現れたらしいと聞きつけた他の隊たちも、次第に集まり始めている。
彼らは最初ガイゼルの顔を見るなり、一様に気まずそうにしていた。だが、イエンツィエの攻勢に対抗するには従うのが一番だと判断したのだろう。一人、また一人とガイゼルの指揮下に加わっていく。
(すごい……)
その姿に、いつぞやのアンリ捜索の一件を思い出したツィツィーは、改めてガイゼルの戦に対する才能に感嘆した。
やがてガイゼルの元には隊長格ばかりが集い、完璧な指揮系統がなされるまでになる。――しかし。
「――誰が持ち場を放棄していいと言った!」
王宮から遣わされたらしい、一人の兵士が叫んだ。並び立つ隊長たちを押しのけ、中心に立つガイゼルに向けて無感情に告げる。
「ガイゼル様、勝手な行動は慎んでいただきたいとの伝令が!」
騎士団の制服とは違う、兵士のその衣装にツィツィーは見覚えがあった。彼らは騎士団とは異なり、王宮で王族や貴族たちを護衛するために、特別に雇用された近衛兵たちだ。この伝令も貴族の誰かから指示されたものだろう。
「し、しかしこのままでは」
「逆賊に従う者があれば、全員解職するとのご命令です!」
たまらず隊長らも反論するが、聞く耳を持たない。
どうやらガイゼルが戻って来たという噂が、王宮内にいる臣下たちに伝わったようで、この火急の状況下にも関わらず、わざわざ釘を刺しに来たようだ。
どちらに従うべきか、と戸惑う隊長たちを横目に、言葉を向けられた当のガイゼルは腕を組んだまま、ただ一言だけ発した。
「――は?」
地獄の底から這いあがって来たような、聞くもの誰もが畏怖するであろう、絶対零度の声音。
鉄紺色の目はかつてないほどの怒りに満ち溢れており、隊長たちはもちろん、これまで一番傍にいたであろうツィツィーですら戦慄した。
間近でそれを見てしまった近衛兵も当然のごとく、可哀そうなほど怯んでいたが、彼もまた自らの職務のため、震える声で必死に対抗する。
「か、閣下のご命令です! ガイゼル様は、皇帝を罷免されたのだと……」
「――くだらんことばかり、よく言えたものだ」
ひいい、と縮こまる近衛兵を残し、ガイゼルは隊長たちに最後の指示を残した。やがて集団から離れると、ツィツィーの元へと歩み寄ってくる。あわせて「ヴァン!」と遠くで水盆を運んでいた彼を呼びつけた。
「王宮に行くぞ」
「へ?」
驚いて変な声を上げたヴァンを伴い、三人は足早に奥にある王宮へと向かう。ガイゼルは歩きながら、苛立ったように言葉を続けた。
「国の危機に、内部で割れている暇はない。それに――」
「何かあるのですか?」
「おそらく――この戦いを手引きした奴がいる」
ガイゼル曰く、最初の奇襲からイエンツィエ兵の侵入が早すぎること、城の防衛に対しての敵の装備があまりに的確であったことなどから、ヴェルシア側に裏切り者がいると結論したらしい。
「そいつを押さえておかなければ、また同じことが起きる」
「で、ですがそんなのどうやって……尋問している時間はありませんよ⁉」
ツィツィーもヴァンの反論は理解できた。ガイゼルの思惑は正しいと思うが、一体どうやって、このわずかな時間で謀反人を見つけるというのか。
(余計な時間はかけられない。でも――)
そこでツィツィーは、何かを思いついたように目を見開いた。
「へ、陛下、あの、方法はあるかもしれません……」
歩く速度を緩めぬまま、ガイゼルとヴァンはツィツィーの作戦を耳に入れる。最初は眉間に深い皺を寄せていたガイゼルだったが、最後には短く了承の言葉を残した。
やがて三人は、臣下たちが立てこもっているという王宮の一室へとたどり着く。
「――行くぞ」
そう言うとガイゼルは、固く閉ざされていた扉を勢いよく蹴破った。












