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第三章 4





「――脱水症状ですね」

「すみません……」

「疲れもあるのでしょう。少しゆっくりしていれば回復すると思います」


 結局、ツィツィーの叫び声にすわ強盗かと駆け付けたスタッフによって、二人は無事救出された。医師に頭を下げて見送った後、ツィツィーはベッドに横たわるガイゼルの元に向かう。

 処置された薬と水分が効いたのか、先ほどよりも寝息が穏やかになっていた。しかしまだ頬の赤味は引いておらず、ツィツィーはガイゼルの額にあったタオルを取ると、ひたりと盆の中の氷水に浸す。


(きっと、ずっと無理をしていたんだわ……)


 絞ったタオルを戻しながら、ツィツィーは自分の情けなさに恥じ入った。考えてみれば馬車でゆっくりと帰国したツィツィーとは違い、ガイゼルは単騎で昼夜問わずにラシーに駆け付けたわけだ。下手をすればその間、休みを取っていない可能性だってある。


(それなのに私は、自分のことばかり気にして……)


 自分を罰したい気持ちになり、ツィツィーは静かに俯いた。するとほんの僅かにだが、ガイゼルの心の声がツィツィーの中に落ちてくる。


『ツィツィー……?』

「……陛下?」


 慌てて顔を上げると、ガイゼルがうっすらと瞼を開いていた。まだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりとした様子であったが、左手を上げるとベッドの端にあったツィツィーの銀髪の端を掴む。

 まるで迷子の子どものような仕草に、ツィツィーはきょとんと動向を見守った。言葉にはしないものの、心の内はぽつりと零れる。


『良かった……ちゃんと、いるな……』


 表情は相変わらず不愛想なままだが、心の声はどこか安堵したような、穏やかな口調だった。ツィツィーの髪の先を指で軽く引っ張りながら、切なそうに目を眇める。


『また、……いなくなってしまったかと、思った……』


 やがてガイゼルは、再び眠気が襲ってきたのか、すうと目を閉じた。髪に絡めていた手も力を失い、ずるりと脇に滑り落ちていく。


『頼むから……何も言わないまま、俺の前から消えないでくれ……』

「……」


 ようやく心の声が聞こえなくなり、ツィツィーは投げ出されたガイゼルの手をそっとベッドに戻した。ごめんなさいと呟きながら、愛しむように彼の指に自身の両手を絡める。

 離婚を決意した時、ツィツィーはガイゼルに一言も話さずにラシーへと戻った。邸に帰ったガイゼルは、突然いなくなったツィツィーに心底驚いたのだろう。こうして今も、夢うつつの中でうなされるほどには。


「……はい。もう二度と、勝手にはお傍を離れません」


 ガイゼルの大きな手を引き寄せ、自身の頬に押し当てる。まだ少し熱い――剣を握る、戦う男の人の手だ。ツィツィーはこれまでにない満ち足りた思いを胸に、ガイゼルに向けて泣き笑いのような表情を浮かべた。





 ガイゼルが目を覚ますと、そこは薄暗い部屋の中だった。窓辺からうっすらと月明りが差し込んでおり、かろうじて室内の様子が確認できる。


(……しまった……気を失っていたのか……)


 風呂に入ったは良かったが、部屋に戻ってからどうすればいいのかが分からず、何となく出られないまま、普段より長湯をしてしまった。

 火照った体を冷まそうと、部屋でゆっくりしていたところにツィツィーが戻ってきて、――ソファで抱き寄せたまでは覚えているのだ。が。


(……どうやら、酷いことはしていないらしい)


 自身の左腕を辿ると、ガイゼルの手をしっかりと抱きしめたツィツィーが、ベッドに体を預けてくうくうと眠っていた。無造作に広がる前髪を整えてやりながら、ガイゼルは思わず微笑む。


(この無防備さは、信頼されているのか、男として見られていないのか……)


 起こさないよう注意しながら、そうっと上体を起こす。掴まれていた手を慎重に抜き去ると、頬に落ちていたツィツィーの髪を耳にかけさせ、こめかみに軽く口づけを落とした。無意識なのか、ツィツィーの口元から「ん、」と短く声が洩れ、ガイゼルは少しだけ体の奥が熱くなる。


(――今は早く、ヴェルシアに戻る方が先だ)


 ガイゼルは自身の不埒を払うように首を振り、はあと疲れた息を吐いた。

 それから独り寝にはあまりに広すぎるベッドと、翌日体が痛くなりそうな姿勢で眠るツィツィーに視線を向けたかと思うと、ようやく稼働し始めた思考回路で静かに何かを考えていた。






 翌朝、目覚めたツィツィーは仰天した。


(な、え、ど、どうして、こんな状況に⁉)


 それもそのはず。ベッドの脇に置かれた椅子に座っていたはずが、何故かベッドの中――しかも、ガイゼルに背後から抱きしめられる形で横になっていたからだ。

 すぐに下を見る。幸いなことに多少の乱れはあるが、ガウンもその下もキチンと身に着けたままだ。と、確認したこと自体に恥ずかしくなりながら、ツィツィーは慌てて背後のガイゼルに声をかけた。


「へ、陛下⁉ これは一体」

「……が、」

「が?」

「ガイゼル……」

「ガイゼル様! しっかり!」


 今まで寝起きを共にしたことが無かったので知らなかったが、ガイゼルはどうやら朝が弱いらしい。必死に叩き起こそうとするツィツィーをよそに、再び何かを呟いた挙句、眠りの世界に落ちて行こうとする。

 その際、ツィツィーの体をより強く抱きしめるものだから、こちらとしてはたまらない。

 おまけにガイゼルの格好は、苦しいだろうと前を緩めたまま――鎖骨はおろか、厚い胸板と引き締まって割れた腹が目に飛び込んで来た。肌色の刺激が強すぎて、ツィツィーは急いで固く瞼を閉じる。


(ど、どうして私までベッドに……⁉)


 実のところ、夜中に目を覚ましたガイゼルが、ツィツィーが体を傷めないようにとベッドに寝かしただけなのだが、どうしたことか無意識に抱き寄せてしまったらしい。

 そんなことを知らないツィツィーは、さらにパニックになりながら、懸命にガイゼルの腕から逃げ出そうと奔走する。


「ガイゼル様! 起きて、起きてください!」

『柔らかい……いいにおいがする……』

「寝ぼけないでー!」


 いよいよ心の声だけしか聞こえなくなり、ツィツィーは腰に回されていた太い腕を掴んで揺さぶった。豪華なベッドがぼふんぼふんと暴れ、ツィツィーは次第に汗だくになってくる。

 やがて這う這うの体でツィツィーがベッドから抜け出しかけた頃、タイミング悪く、朝食を運んできたメイドがドアを開けた。乱れたツィツィーの格好、腰にすがりつくガイゼルの腕、心なしか上気した頬――。


 すべてを察したメイドは、神の御使いのような慈愛に満ちた笑みを浮かべると、すぐにぱたんと扉を閉じた。ある意味有能である。


「あ、まって、違うんです! 誤解です!」


 恥ずかしすぎる、とツィツィーは必死になって叫んだ。



 

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