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 今日も、いつもの言葉を口にする。


「俺、先生のこと好きだよ」

 そう匡孝(まさちか)が言うとぱこん、と軽いもので頭をはたかれた。軽いもの──丸めたテスト答案用紙だ。

「いいから、さっさとやれよ」俺だってさっさと帰って飯食って寝たいんだよ、と続けられて、匡孝はさらにぐっと身を乗り出す。

 古い机がぎぎっと軋んだ。

「じゃあさじゃあさ、俺が飯作るってのはどう?せんせーんち行ってさ!俺これでも飯作んの上手いんだよね、弟妹いるからさあなんだって作れんだよ?大抵のもんはさあ」

 づらづらとまくし立てる匡孝の鼻先で、バン!と机が叩かれた。叩かれた拍子で机の上のシャーペンが転がって落ちる。

「うるっせえよおまえ!いいから、それやって帰れよ!」

「なんだよ!」

 匡孝は椅子を蹴って立ち上がって言い返した。あまりにも鬱陶しげに言うものだからつい、力が入ってしまう。「俺が嫌いなのかよ⁉︎」

「ああ⁉︎」

 素っ頓狂な声を上げて、心底びっくりしたみたいに市倉(いちくら)は匡孝を見上げた。

「おまえ…──今気づいたのかよ」

 ため息まじりに感心したように言われて、今度は匡孝が声を上げる。

「はあ⁉︎」

 放課後の教室でひとつの机に向き合って座って、赤点を取った古典の教師に個人的にプリントをやり直させられている、こんな場面は日常的になっていて、匡孝はそれこそ心底びっくりしてまじまじと眼下の市倉を見下ろしていた。

「えー…うそおー」

 はあー、と市倉はため息をついた。机の上のプリントやら教科書やらを掻き集めるとさっさと手際良くまとめ上げて、椅子を立った。

「まあいいから、残りは家でやれ。な?」

「えっ」

「俺は帰るの」

 じゃあなと市倉は匡孝を置き去りにして教室を出ていく。慌てて教室の入り口に駆け寄ると、市倉が振り向きもせずにひらひらと肩の上で手を振っていた。

「えー先生!じゃあ、じゃあまた明日ね!」

 背中に向かって匡孝は声を張り上げる。誰もいない西日の溢れる廊下に声はこだまして、市倉がおうだかへえだか言った返事はよく聞こえなかった。



 ちかー、と呼び止められて匡孝は校舎と校舎をつなぐ1階の渡り廊下の真ん中で振り返った。着崩した制服で大きく手を振る姫野が近づいてきた。

「帰んの?」

「そー、もう帰る」と匡孝は答えた。にやにや笑う姫野は何か言いたそうにしていて、ひどく面倒くさい気持ちになる。いやだ。

「なんか嫌だ」

「なにそれ!まだなんも言ってねえじゃん!」

 姫野はゲラゲラ笑って後ろから匡孝の肩にもたれかかるようにくっついてきた。秋の終わりとはいえ暑さ寒さに関係なく鬱陶しくて、匡孝は顔をしかめる。「くっつくなよ、ひとりで歩け」

 姫野は顔を覗き込んできて、ふーんと笑った。

「ちかがいいなーって言ってる子知ってるんだけど?」

 匡孝は姫野の手を振りほどく。

「いらねーよ」

 支えを失った姫野がおっと、と言って大勢を立て直す。傾いた体で上目に匡孝を見てなんでーと不満げに呟いた。

「可愛い子だよ?」

「いーの、俺には要らないのー」

 匡孝は姫野に背を向けて歩き出した。バイトの時間が迫っていて、ちょうどいい頃合いだった。

「市倉がそんなに良いのー?」

 投げかけられた言葉にバッと匡孝は振り返る。にやりと笑った姫野にしてやられたと思ったが、口はもう止まらなかった。

「そうだよっ!俺はせんせーが大好きなの!」

 やけくそみたいに怒鳴って匡孝は昇降口へと大股で歩いた。げらげら笑う姫野が後ろから、なーんであいつがそんなに良いのかねーと、泳ぐように歩きながらくっついて来る。

「…しょーがねえじゃん」

 前を歩きながら匡孝は呟いた。

 なんでかって?

 匡孝だって知りたい。

 なんでそんなに好きなのかなんて、匡孝だって知りたいのだ。誰か教えて欲しい。

「くっそお」

「え?なによ?」

 呑気に聞いてくる姫野にうるさい、と匡孝は返して振り返りもせずにバイト先へと急ぐ。

 明日は。

 なにかが変わるだろうか。



 ──そうだ、あれはすべてあの春の、あの時から始まったのだ。


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