護衛騎士は過保護です
それはフランシーヌが十五歳になった夏のことだった。
避暑を兼ねてオリオール辺境伯領に戻っていたフランシーヌら家族の元に、一通の手紙が届いた。
「父上、その手紙は……っ」
義兄のセドリックが、焦ったような声を上げた。
フランシーヌも目を見はった。
執事がうやうやしく差し出したその手紙の封蝋には、王家の印章が押されている……ように見える。
たぶんあの薔薇と獅子の印章は王家のものではないかと思うのだ。
「貴方、いったい何が……」
いつもは凜と美しい義母が、不安を隠すようにフランシーヌを抱き寄せた。
まるでフランシーヌを奪われまいと守るかのように。
手紙に敬意を示しつつ羊皮紙を広げた義父は、一度ざっと眺めてからぐっと目を閉じた。
それからもう一度、ゆっくりゆっくりと文字を辿っていく。
その様子を、固唾を呑むように義母と義兄、フランシーヌは見守っていた。
やがて、義父は手紙をくるくると巻き始めた。
読み終わった合図だ。
「父上、もしや……」
青ざめてなお美しい義兄の呼びかけに、義父オリオール辺境伯は頷いた。
「あぁ……そうだ。フランシーヌを王家に、お返しする」
義父の言葉に不穏な気配を感じつつも、意味が分からず立ちすくむフランシーヌに、義父は跪いた。
「お、お義父様!?」
義母は、フランシーヌを抱きしめた。
ぎゅっと強く。
それから泣きそうな顔で身を離し、義父の隣で跪いた。
それに義兄も続く。
「お義母様……お義兄様?」
不安になって涙が零れそうになるフランシーヌに、義父は寂しげに微笑った。
「フランシーヌ殿下、陛下がお呼びです。
王太子殿下が亡くなり、跡を継ぐ者が必要だと」
フランシーヌの口から、え……、と当惑する声が零れ落ちた。
「フランシーヌ殿下、殿下は陛下からお預かりした庶子でいらっしゃるのです。
こんなことがなければ、真実を明かすことなく我が娘としてお育てし、ゆくゆくはセドリックと――」
義母の声を、義兄が遮った。
「母上、殿下に不敬です。
……フランシーヌ殿下……」
義兄は跪いたままフランシーヌを見上げ、何かを言おうとして最終的に口を噤んだ。
「……お義兄様……」
ゆくゆくは……義兄と、結ばれるはずだった婚姻。
だが、急逝された王太子の代わりになるのならば、フランシーヌには国家を背負った結婚が必要になるのだろう。
「……ぃや……」
思わず小さく呟いていた。
跪くセドリックと目が合う。
近いようで遠い、その距離。
その日、フランシーヌは初恋を喪ったのだった。
それから、三年。
女王となるべく教育を詰め込まれ、だが結局は『どの男を』実質の国王とするかを選ぶ餌に過ぎないフランシーヌは、その身の上を受け入れてもいた。
というのも、元婚約者である義兄に並ぶような男性なんて、どうせいないのだから。
それならば、誰と結婚したって同じだ。
ならば、国を良く導いてくれる男性と結婚すればいい。
叶わない初恋の代わりに、国の頂点から彼が暮らすオリオール辺境伯領を守ってみせる。
そう決意していたのだけれども。
「フランシーヌ殿下、こちらが新しい近衛騎士でございます」
王太子の執務室に連れてこられたのは、あろうことか義兄だった。
お義兄様、と言いかけた口を無理やり閉じて、息を吐く。
「セドリックと申します、殿下。
これより、殿下を守る盾となり、殿下の敵を斬り伏せる剣となりましょう」
三年前と同じ距離だった。
綺麗な銀髪は変わらない。
こちらを見上げる赤褐色の目も。
美しい面立ちも。
「――よろしくお願いしますね、セドリック卿」
にこり、と微笑ったフランシーヌは変わっただろうか。
三年前、王宮で暮らすようになってからは泣くことが多かった。
愛妾の娘であるフランシーヌを馬鹿にする貴族は多かったし、学ばなければならないことも多かった。
セドリックとの婚約は自然消滅し、何人もの男性が候補に選ばれては消えていった。
実父である国王との仲はぎこちなく、早くに亡くなった実母の墓には一度しか参ったことがない。
何かがあれば助けてくれる義兄の手をなくし、一人で立って楽しくもないのに笑顔を浮かべ続けたフランシーヌは……セドリックの目に、どう映っているのだろう。
目を伏せ、離れていた間の三年に思いを馳せて感傷に耽った時期もあった。
あったのだが。
「殿下、段差が」
いちいち小さな段差で手を差し出され、少しでも不穏な気配を感じればフランシーヌの前に出て守る素振りを見せるかつての義兄に、フランシーヌは半笑いになっていた。
「セドリック卿、過保護すぎますわ」
今日も今日とて、いつも通る廊下の段差で手を取られ、苦笑するしかない。
「転んだりしたら大変でしょう、菫姫」
昔義兄が呼んでいた愛称でいたずらっぽく笑われれば、頬が染まってしまう。
「これで結婚できるのかしら、わたくし……」
ほぅ、と小さく零した呟きに、義兄はにこりと微笑った。
「少なくとも私が認めた男性でないと無理ですね」
思わぬ返答をもらい、端正な顔を見上げてフランシーヌはもう、とむくれて見せた。
結婚相手が決まれば、こんな親密な時間もなくなってしまうのだろう。
それでも、今だけでも。
妹としてでいいからこの距離で、もう少し。
そんな風に切なく祈るフランシーヌに、セドリックは艶然と笑った。
「私の菫姫には、少しの怪我もしてほしくないのですよ」
にこりと微笑う義兄に、もう、と言いつつもフランシーヌは思わず微笑んでしまうのだった。