お義兄様は過保護です
またか、とフランシーヌはため息をついた。
「あらまぁ……卑しくも王家の血を引くかもしれないわたくしに、その口の聞きようはなんですの」
伯爵令嬢であるグレースと、子爵令嬢であるジゼルが睨み合っている。
「まぁ、どの家に養女に出されたか分かりませんのに、グレース様こそ王家に対して非礼ではございませんの?」
デビュー前の子供にも、社交場はある。
"小さなお茶会"と呼ばれるその社交場は、十二歳から十五歳までの子女が集まって、社交界の真似事をするのだ。
当然、優劣の取り合いが行われもするのだが。
「ジゼル様は子爵家の嫡男と婚約されていらっしゃいませんわよね?
それで養女だなんて片腹痛いですわ。
実娘を養女と偽って届け出されただけではなくて?」
ぽっちゃりフワフワレースのグレースがそう言うと、
「まぁ!?
グレース様こそ伯爵夫人にうり二つでいらっしゃるではありませんの!」
細いというより鋭い体つきのジゼルがそう噛みついた。
重たい色のドレスが余計に尖った印象をかもし出している。
お互いがお互いの指摘に歯がみをしている姿は、なんていうか非常に見苦しい。
公爵令嬢であるレオノールが先ほどからこちらをちらちら見てくる気配が伝わらないのだろうか。
彼女の母はれっきとした王妹。
国王の愛妾が成した娘、かもしれない彼女らよりも、王族としての価値は高いかもしれないのに。
「わたくしの髪をご覧になってもそう仰るの!?
わたくしのこの榛色の髪を見れば、陛下とうり二つということが良く分かるでしょうに!」
残念ながらグレースはレオノールの冷たい視線にも気づかないらしい。
「わたくしの藍色の目は、王太后様と同じ色でしてよ!?
発表があってから謝罪なさったって、遅くてよ!」
ジゼルも気づいていないようだった。
公爵令嬢レオノールの苛立ちに。
艶やかな栗色の髪に、凍るような青色の瞳が空恐ろしい。
はり付けたような笑みとともにゆらりゆらりと優雅に扇を翻す仕草は、かなりの苛立ちを示している。
明らかに、『あら、怒ったりなんてしておりませんことよ?』と気配が語っていた。
この場で逆らっちゃいけない人をなだめるべく、フランシーヌは震えがちな声でいがみ合う二人に話しかけた。
「ど、どうかもうお止めになって……?
陛下の庶子たる方が女性か男性かも分かりませんのに、余計な憶測は王族の方々への非礼に繋がるだけですわ」
王族とは、そこの席に優雅に腰掛ける公爵令嬢のことも指している。
「あら、フランシーヌ様……」
グレースとジゼルが、猫のようににんまりと笑った。
フランシーヌは最悪の予想が当たったことに内心ため息をつきつつ、そっと目を伏せて浴びせられる悪意に耐える準備をした。
「ほほ、オリオール辺境伯令嬢、フランシーヌ様。
陛下がご愛妾との間に生まれた御子を密かに養子に出されたと聞いて、慌てて各家が養子養女を募ったと聞きますけれど、オリオール辺境伯も当てが外れましたわね。
王家の血を引くとはとても思えない金髪! それに見たこともない紫の目!
貴女だけは違うと誰もが申しておりますのよ」
グレースも続けた。
「陛下から庶子とはいえ御子を預かるのですもの、それはよほど信頼を与えられた証。
心根の貧しい者らが我こそは陛下の信頼篤き忠臣、とばかりに養子養女を募ったと聞きますけれど、本当にオリオール辺境伯もお気の毒なこと。
偽者を養女にしたと、大きく知らしめる結果になってしまわれるなんて」
フランシーヌは唇をきゅ、と結んだ。
「お義父様もお義母様も、そんな卑しい心根の方ではありませんわ……!」
そんなことをしなくても、オリオール辺境伯は王国に、国王に忠実である。
そしてその忠実さを見せびらかすような、卑しい人間ではない。
「あら、でしたら例の噂は本当ですの?」
フランシーヌはいつもとは違う雲行きに戸惑った。
「なんのことですの、ジゼル様」
ジゼルはグレースと顔を見合わせ、うふふ、と笑った。
あれほどまでにいがみ合っていたのに、今では二人で手を取って踊り出さんばかりの気の合いようである。
「あら、ジゼル様もご存じでしたの、あの噂。
オリオール辺境伯が愛人との子を養女になさったらしいとの噂を」
同様にほほほと笑いながらジゼルも言った。
「えぇ、えぇ。
セドリック様もお気の毒なこと。
異母妹を婚約者に据えなければならないなんて。
きっと時期がくれば、貴女方の婚約は解消されることでしょうねぇ」
うふふおほほと笑い合う二人の令嬢を眺めながらフランシーヌは……クスクスと笑い始めてしまった。
「まぁ……ふふ、とっても楽しい噂話ですのね……ふふ」
あの義父が浮気。
ないない。それは絶対ない。
確かにフランシーヌも、己の実父と実母が誰か想像したことはある。
そして確かに一度はフランシーヌもどちらかの不義の子では、と思いはしたのだ、一瞬だけ。
だが、それはない。
『あぁ私の百合姫。
今日もなんと美しく芳しく咲き誇っていることか。
貴女の甘やかなさえずりを耳にしたいと願う愚かな私に、朝の挨拶を与えてはくれないだろうか』
と、毎日毎朝妻に囁きかける義父が浮気とかちょっと考えられない。
それに一見冷静に聞き流しているような義母も、ある瞬間までは耐えきるのだが、それを超える賞賛を受けた瞬間にポッと頬が染まるのだ。羞恥に。
……端的にいって、ものすごく可愛い。
とても十八歳の息子がいる母親とは思えない。
「それにわたくしとお義兄様が異母兄弟だなんて、誰が想像しますでしょうか?」
先ほど金髪と言われたが、より正確にいうならばフランシーヌの髪は明るい茶色だ。
見ようによっては金髪にも見えるが、あくまでも茶色が入っている。
義兄であるセドリックは琥珀色というけれど、まぁそんな感じの色だ。
一方でセドリックの髪は銀色だ。
銀髪に、赤褐色の瞳をしている。
そして何よりここが一番重要なのだが……ものすごい美形なのだ。
氷でできた人形みたいに美しい男性、それがセドリックである。
あまりに整いすぎた容姿と、騎士としての実力を加味して名付けられた二つ名が『冷酷騎士』というほどの美形。
一方のフランシーヌといえば……まぁ、そこそこ可愛いかな、という容貌である。
並べて見比べた時に、兄妹とはちょっとお世辞にも言えない。
「あ、愛人の血が濃いのかもしれないでしょうっ?」
グレースの言葉に、フランシーヌはう~ん、と首を傾げた。
義両親の良好な仲、それに義兄と全く似ていないことなどを合わせて、フランシーヌが自分の両親に当てはめたのは親友、というものだ。
義両親ととても仲が良い、古くからの親友。
恐らく貴族家の次男か三男といったところだろう。
その二人が、ある日幼い娘を残して事故死した。
親友の死を悼み、残される娘を憐れんだ義両親がフランシーヌを引き取った――実際はそんなところではないかと思う。
実の両親がどういう人間か教えてくれないのは、きっと死の原因が悲惨だったとかそんなのではないのだろうか。
もしかしたらお家騒動に巻き込まれたのかもしれないし。
というわけで、グレースやジゼルにどう言われようが、傷つく筋合いはない。ないのだが。
「――フランシーヌ」
大人のお茶会が行われている庭の一角で行われていた"小さなお茶会"には、大人からの出入りは自由だ。
つまり、デビューを済ませたセドリックの出入りも自由なわけで。
「お義兄様、あの、お、落ち着いてくださいませ……?」
フランシーヌは背筋に脂汗を感じながら振り向いた。
予想通り、セドリックの目は氷のように冷たく令嬢達を見据えている。
そして腰の辺りを指先が彷徨っているのだが、フランシーヌはお茶会が帯剣不可という決めごとに深く感謝した。
「私の菫姫、会いたかったよ」
だがセドリックはまずはフランシーヌへの挨拶を優先したらしかった。
令嬢達へ向ける視線とは異なる、蕩けるような眼差しにフランシーヌは困ったように微笑った。
「お義兄様、あまりお怒りにならないで?」
ふんわりと肩にかかる髪を撫でるセドリックを見上げてそう訴えれば、彼はムッと眉を寄せた。
「君が愚弄されたのだよ?」
「冗談だわ。本気にすれば笑われるのはわたくし達ですわよ」
囁き交わしていれば、ごほん、とわざとらしい咳払いが聞こえた。
結婚相手を見つめる猟師の顔をした、グレース達だった。
フランシーヌは困ったように微笑った。
妹を溺愛する義兄の姿をこれまで散々目にしているはずなのに、未だに彼女らはフランシーヌへ喧嘩を売ることをやめようとしない。
仲良くしておいた方が義兄の当たりも優しくなるだろうに、と思いつつも、こうして困った時に助けに来てくれる優しくて頼り甲斐のある義兄が、嬉しくてしょうがない。
「さぁフランシーヌ、帰ろう」
手を取ってその甲に口づけるセドリックを見て、フランシーヌは頬を染めつつ目を逸らした。
そして怒りを露わにしたグレース達を見てため息をつく。
軽く扱われるのは構わない。
けれど、セドリックだけは渡さない。
初恋の王子様。
血が繋がっていなくて誰より安堵したのはフランシーヌだったのだから。