前編
全二編。本日中に後編を出します。
「ねえ、恋にその要素は必要だと思う?」
部長の質問の意図は分からなかったが、部室には部長と僕しかいなかったのだから、僕に向けての発言だったのだろう。
新聞の取材の際に使用するボイスレコーダーや紙束に囲まれたこの新聞部の部室で、部長は不機嫌そうにお茶をすすっている。
僕は読みかけの本から目を離して部長に訊き返す。
「その……というのはこの小説のことですか?」
手に持っていた本を持ち上げると、部長が深々と頷く。
「ええ。正確にはその小説のタイトルと本編の内容のことだけれどもね。」
しおりを挟み、本の表紙を見返す。そこには大文字で『プリティ☆ラブ対絶世の美人探偵』と書かれていた。
何の気はなしに部室にあった『探偵』とタイトルにつく本を手に取って読んでいただけなのだが…
通りで推理小説にしては恋愛描写が多く、中々事件に遭遇しないと思った。これは恋愛小説だ。
だが部長はこれを推理小説だとでも思っているのだろうか。そうなると部長が言いたいことは…
「恋に謎解き、ミステリーの要素…ですか。確かに二つの要素を絡めるのは難しいですね」
「何が『プリティ☆(ほし)ラブ対絶世の美人探偵』よ。そもそも部長としては謎を絡めた回りくどい恋なんて煩わしくて嫌なのよ」
タイトルの☆は発音しなくてもいいと思いますよ、部長。
「はぁ……確かに回りくどい暗号付きのラブレターの話とか、小説でみかけますけれど、現実には起こりえないんじゃないですか?」
暗号、いや、この世で作られている謎というものすべてに当てはまることかもしれないが、解かれることを前提として成り立っているものだといえる。
解くことで相手が喜ぶ、相手が苦痛を覚える、絶望する。相手が何を思うかを想定して初めて謎は価値を持つのだから。
それに対して恋というものは総じて相手に自分の好意を伝えることから始まる。つまり『伝え方』よりも『好意を知ってもらうこと』が重要なのだから、分かりやすい、直接的な告白方法をとるのが一般的ではないだろうか。
「そうなのだけれども、たまにそういう趣向をこらそうと変な真似をしてる人がいるでしょ?私はそんな現実には起こりえない、あからさまに創作じみているというかテンプレだというか……そういうことを何ていうのかしら、現実で起こされても感動できないのよね。漫画でよくあるエッチなシーンを見て鼻血をドバドバ吹くようなものもそうね、心に響かないのよ。」
そのたとえは何かおかしい気がするが。部長にとっては謎はそれ単体を楽しむものであって、そこにほかの味付けはいらないということだろうか。
でも冷静に考えると確かに部長の言おうとしていることは分かる気がする。
例えば告白場所を暗号で示したとして、謎を出された人がその謎を解き明かしてくれるとは限らない。時間指定までされているとなおさらだ。そして回答者が正解にたどり着けないと、謎を出した側からしてみれば「あの人は解いたうえでわざと来なかったんじゃないか」という考えも持ってしまう。
要するに『謎解きの要素を入れると、普通にすればかなう恋もかなわなくなる可能性が出てくる』ということだ。
「もし好きな人からそんなサプライズをされたらどうするのですか?」
少し気になったので、部長に訊いてみると、少し悩んでから部長は答えた。
「……きっとそれがどんなにいいものだったとしても、ぞんざいな反応を返してしまうでしょうね。
私からしたら情熱ある偽りよりもぬるい現実がより良いものなのよ」
「はぁ、女性からしたらそんなものなんですかね?」
相変わらず部長の考えはよくわからない。
本題からそれてしまっているような気がするので、改めて質問する。
「それで、何でそんなことを思うに至ったんですか?」
「ああ、まだ言ってなかったわね。学校のとある場所を盗聴していると、とてもおかしな告白を手に入れたから、あなたの意見を教えてほしいの。」
そういって部長は机の上に一台のボイスレコーダーを置いた。
どうやら部長はそんな「謎」を秘めた告白をすでに見つけていたらしい。
「って盗聴!?……どこに設置してたんですかそんなもの」
「語学室の裏よ。よく外国人ボランティアの人がパーティを開いてるし、怪しい取引の現場にもなっているから、何かしらの情報を得るにはなかなかグッドな立地なのよ。」
更衣室ではないだけ良しとしよう。
「そうはいっても盗聴なんてそんな……やることが犯罪染みてませんか、この新聞部は」
「うちは実績があまりないからね。普通なら部費がほとんどもらえないのを便宜を図ってもらうためには何でもしてるわ。力づくの手段もね。まあ黙ってなさい。10分程度だから。」
そういって部長はボイスレコーダーを再生した。
少々くぐもった声になっているが、内容は正確に聞き取ることができる。
どうやら二人の生徒が話しているようだ。
「伏沼さん、来てくれたんですね……」
「ええ、田中君。あなたの口からもう一度手紙の内容について聞きたくて。」
話しているのはどうやら伏沼さん、田中さんの二人らしい。
この二人については僕も記憶にある。
田中という生徒は今年の風紀委員長だ。校則を第一に考えており、身だしなみや持ち物検査などを行っては風紀を守る、よく言えば誠実、悪く言えば融通が利かない人物として有名だ。教師からの評判はいいのだろうかが、周りからはあまりいい評判は聞かない。
もう一人の伏沼についてはもっと有名だ。有名とはいっても悪名だが。問題行動ばかり起こす三年生で、教師からの風当たりは強い。
この二人は顔を合わせればすぐけんかをしている印象が強いが、なぜこの二人が人目を忍んで話しているのだろうか。
「なら今からまた言おう。これからいうことに本当のことはないよ。」
本当のことは何も言わないのに、わざわざ呼び出すとはどういうことなのか……ただの嫌がらせなのか?
「ええ、聞かせて頂戴」
伏沼がそう相槌を打って、田中さんは話し始めた。
「伏沼さん、まずはこの言葉を送るよ。……なんと素晴らしい生徒だ!本当にわが校の栄光は伏沼さんのために輝くというのも過言じゃないね」
いきなりの賛辞に思わず驚く。なんだろうこれは。
「なんというか、やはり伏沼さんという人の魅力はどんな服装も着こなすその見た目だよ!浴衣も良いと思う!もちろん外見以外にも喧嘩早いところはないし普段の無駄なく流麗というか、落ち着いた所作そのものも素晴らしい!ベストオブ女子高生!誰だろうと最高だろうと思うよ!伏沼さんの事は!だから今度からまともにテストを受けようね!」
矢継ぎ早に誉め言葉を並べて、最後に注意した田中さん。
結局はテストを前回さぼっていたためにそれを注意しようとしていただけなのだろうか。
……なんというか、必死に覚えてきた言葉を一言一句間違えないように唱えているだけで、心がこもっていないように感じる。
ここまで一気に言っていた田中さんは言葉を止めた。そして少し深呼吸してから、また言葉を紡ぐ。
「おわり。……伏沼さんに僕の思いは伝わったかな?」
それに対して伏沼さんはすこしうーんとうなってから、答える。
「いいよ、うれしかったし、いいよ!」
「本当!すごくうれしいよ!」
声のトーンからも田中さんの喜びが伝わってくる。
うれしい?そこまで伏沼さんがテストを受けることがうれしいのだろうか?
会話はまだ続いていたが、部長はここでレコーダ-の再生をとめた。
「……これでおしまいよ。さぁ、あなたの答えを聞かせて頂戴?」
「答えと言われても……これが本当に告白なんですか?」
ただ単に人目につかないところで不良をよいしょしながら注意していただけの気がするが……
「ええ、そうよ。一応隠されたメッセージがあるのだけれども、分からなかったのかしら?」
部長の言葉に思わずカチンとくる。なぜ謎をとけないだけでここまで言われなければならないのか。
「このレコーダーだけでは推理の材料が足りません!もっと情報を集めたらこんな謎、簡単に解いて見せますよ!」
部長はにやにやと笑いながらこちらを見ている。
「ふーん?これを聞いただけじゃわからないのね?それなら今すぐ調べてみたら?語学室の裏に行けば何かわかるかもしれないわよ?」
「ええ、行きますとも!そしてこんな謎なんてすぐ解いて部長をあっと言わせてやります!」
そういってボイスレコーダーを手に取り、部屋を出ようとすると、「まちなさい!」と部長が大声で僕を呼び止めた。
「ついでにもう一つ、ボイスレコーダーを持っていくといいわ。予備もあったほうが、聞き込みをしやすいでしょうし、持っていきなさい。」
そういって、もう一つのボイスレコーダーを僕に手渡す。僕は何も答えず、部室から出て行った。
少し歩いて何の気はなしにもらった予備のボイスレコーダーを再生しようとすると、どうやら録音ボタンが押されていた。
巻き戻して確認すると、部長の「ねえ、恋にその要素は必要だと思う?」という声が再生された。
その時、何かが頭の中を駆け巡った。
何かがおかしい。部長の話。伏沼さんが言っていたこと。田中さんの誉め言葉。そしてボイスレコーダー……
そして、すべてが結びつく。
今はただの仮説に過ぎないが、もしこの推理が正しいのであれば、
もしも、あの人の発言の意図がそういうことなのであれば……
今向かうべきは語学室の裏ではない。伏沼さんと田中さんから聞き込みを行う必要もない。
すべての鍵は――――――――――この手の中にもうすでにあるのだから。