違和感と翻訳バグ
若干肩で息をしているアレッサは、僅かに目を大きくさせる。レナを見て驚いているようにも見えるけれど……レナはレナで、そんなアレッサを見て見事に固まっていた。一体、何なんだろう。二人に声をかけようとした瞬間、私よりも先にアレッサの口が開いた。少しだけ震えた声だ。
「ッ、お嬢様、ご無礼をお許しください。なんだか、胸騒ぎが、したものですから……」
「え?あ、ああ、いいのよ、アレッサ」
「何も、ございませんでしたか?」
「え、えっと、……うん、何も」
「そう、ですか、それならいいのですが……そうだ、そろそろティータイムのお時間です。本日は奥様のお菓子付きですよ。体調が良ければ参加して良いとのことでしたが……」
「本当!? 体調はもうばっちりよ! お母様のお菓子楽しみ!」
胸騒ぎ、というのはレナのことだろうか。私には見えないだけで、彼は何か禍々しい気でも放っているんだろうか、あの超絶美形は。しどろもどろになりながら視線を向けたものの、先程までレナがいた窓際には誰も居らず、そうこうしている内に動揺しているような素振りを見せていたアレッサも既に落ち着きを取り戻していた。二人が本当は知り合いだったんじゃないかとか、色々考えてはみたものの、納得のいく答えが出そうにもなくて、私は考えるのをやめる。二人がもし知り合いなら、きっといつか私に言えるようになったら言ってくれるだろうし、なんて気楽に。
そういえばお母様がクッキーを焼いていると言ってたなあ。こうしちゃいられない、と私は暖かくふわふわのベッドから降りようとする。アレッサは当たり前だというように、すかさず私の補助に回り、身の回りの支度をしてくれた。
しかしいつもとは違い少し思いつめたような表情をしている気がするが、本当に大丈夫なんだろうか?
「アレッサ? 大丈夫?」
「え? あ、えぇ、平気ですよお嬢様。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「ううん、大丈夫よ。きっとお母様のお菓子を食べれば元気が出るわ! 私も、ほら、何事もなく無事だから。ね?」
「はい」
そういっていつも通りの表情に戻るアレッサ。やっぱり、何か隠しているんだろうけど、きっと私に心配かけまいとしてくれているんだろう。ふ、とアレッサがいつからこの屋敷にいるのか、ここに来る前はどこにいたのか、どこの国の出身なのか、まったく知らないことに気が付いた。興味がなかったわけではないんだけど、なんというか、なんだろう?よくわからない。聞いてみようとも思ったけれど、本人に聞くよりも先にお父様やお母様に聞いたほうがいい気がする。もしなにか、こう、複雑な家庭だったら聞いちゃいけないような気がするし……
なんて私が一人百面相しながら考えているうちに着替えが終わり、ティータイムになったようだ。因みに今日は念のため安静にと言われて寝ていただけなので、決して引きこもってだらだらしていたわけではないと声を大にして言いたい。……誰に言ってるんだろう。
アレッサが扉を開けていてくれるので、お礼を言ってから廊下に出る。肌寒いだろうと薄い布を羽織ってきたのだが、どういうわけか廊下は全く寒くなかった。不思議に思ってアレッサに聞いてみたところ、マードック家は年中快適に過ごすことが出来るよう、私のおばあ様が魔術を使って屋敷を保護しているそうだ。あの指輪と言い、魔術と言い、いったいおばあ様は何者なのだろうか。お母様もなんていうか、人間離れした美しさだし……うん、アレッサのことも含めてお母様に聞いてみよう。レナも四つの血が混じってるって言ってたしね。おばあ様がこんなにすごい魔術を使えたのだから、お母様も、もしかしたら私だって魔術を遣使えるかもしれない。うん、なんだか、ザ・異世界!って感じでテンションが上がってきた。
ふふふん、と嬉しさ交じりに足の裏にも柔らかさが伝わってくる、如何にも高級そうな絨毯の上で歩みを進めていると仄かに甘い匂いが鼻腔をくすぐった。ああ、この匂いはまさしくお菓子の匂いだ。きっとお母様が焼いているクッキーの匂いだろう。風邪を引いたのだからとあまり食事をさせてもらえなかったので、匂いだけでも相当お腹にくる。しかし私は逸る気持ちを抑え、なるべく優雅に歩を進めた。何故かといえばこれまたお母様が恐いからである。廊下を走ろうものなら満面の笑みで咎めてくるだろう。女性は美しく、清らかに、が母のモットーだ。
厨房にやっとたどり着き、アレッサに扉を開けてもらう。中にはやはりエプロンをしたお母様が立っていた。手には丁度焼きあがったクッキーの鉄板を持っている。
「お母様、ご機嫌麗しゅう」
「あらぁ、レティ、もう身体はいいのかしら」
「はい、もうすっかり!お母様のクッキーの匂いでさらに元気が出ました」
「うふふふ、レティは本当にお上手ねえ、少し早いけれど、お茶にしましょうか。ほら、レティあちらで待っていなさいな」
天女のような微笑みに思わず息が漏れる。お母様のお菓子は絶品だ。厨房から出て、すぐ隣にあるガラス張りの扉を開けた。中庭に繋がる扉だ、流石に肌寒さを感じるだろうと思ったのだが、どうやらおばあ様の魔術は私の想像よりもすごいものらしく、少しも寒さを感じなかった。中庭はいつ見ても幻想的で、きれいだ。大きな正方形で、中心にそれはそれは大きな木が生えている。近くにいると落ち着くような、そんな木だ。その木の下に、これまた一切の汚れのない雪のように白く、まん丸のテーブルと五月蠅くない、上品で細かい装飾の施された椅子がぽつんと四つ置かれている。壁を囲むようにして花壇があり、たくさんの花が植えられているのも、この場所がひどく幻想的に感じる要因の一つだろう。ティータイムはいつもここで行っているのだが、今日はなんだが少しだけ様子が違うように思えた。なんだろう?
うーんと私が違和感に唸っている間に、お母様がいつもの服装で中庭に入ってくる。その後ろから、籠に敷き詰められた大量のクッキーとお茶を持って、我が家のメイドさんが中庭に足を踏み入れお茶の準備をしてくれた。お茶を淹れるのは大体いつもアレッサだ。たまにお母様も淹れるけれど、アレッサには敵わない、と零していた。アレッサによれば、経験の差です、とのことだったが、彼女はいったい今までどれだけのお茶を入れてきたのだろう。想像がつかない、というか、見た目が20前後なのに貫禄があるような気がする。
てきぱきと用意がされる中、私とお母様は椅子に腰掛けた。
「よい、しょ……あの、お母様?」
「なぁに?」
「なんだか、中庭がいつもと違う気がするのですが……」
「まあ!気が付いてくれたのねえ、嬉しいわあ。つい先日、あそこの一角に新しく『オブリスティト』を植えてみたのよぉ……そうしたら、なんだか凄く鮮やかな青い花が咲いてしまってね?赤が咲くはずだったんだけど……」
「オブリス、ティト……?」
またもや知らない単語が出てきた。
この世界に来てからというもの、とりあえずで覚えた会話は日本語のように聞き取れ、私も同じく日本語のように喋っているんだけど、たまにこうした翻訳不可のような現象が起こる。とりあえず、オブリスティトって花なのね……私が知らないだけで、地球にもあったのかな。うーん、花には詳しくないからなあ……
「あら、知らないかしら?アレッサ、一輪摘んできてくださる?」
「はい、奥様」
そういってアレッサは手を止めお母様が言っていた中庭の一角に向かっていく。遠くでアレッサが作業をしている間に、私は先ほどまでの疑問をお母様に投げかけることにした。
「あの、お母様、もう一つ」
「なにかしら?」
「アレッサのことなんですけど……あの、えっと、私、アレッサのこと、何も知らないな、とおもって……その、なんでもいいので、知りたくて」
「アレッサのこと?そうねえ、私もあまり知らないけれど、私が子供の頃からあの姿でずっといるわ」
「え!?お母様が子供の頃って……」
「うふふふふ、何年前かしらぁ、忘れたわ。あとはそうねえ……故郷は東の方で、一族から追い出された所を私のお母様が雇ったそうよ。種族も知らないわぁ、長生きだからエルムか、ネム辺りかしら。魔法を使っているのを見たことがないから、ネムの可能性はないに等しいけど……エルム特有の髪色でもないから、どうなのかしらねえ」
お母様、目が笑ってない……でも、少なくとも20年は前、よね。それだけ年を取るのが遅い種族といえば、エルムか、もしくはネム……アズリムの三種族、ってことになる。エルムって考えるのが妥当だけど……さっきのレナとのことといい、なんだか、ネムなんじゃないかって思えてきた。そして、お母様も昔からの馴染みでズルズルと来ているけれど、アレッサのことはあまり知らないみたいだ。まあ、お母様が子供のころからここにいるんだからそれも仕方ないと言えば仕方ないんだけど……
「あ、あと、お母様、とても綺麗で、ヒュームとしては珍しい髪色だけれど……」
「あらあ、ありがとう。レティもとても綺麗な髪と珍しい瞳よぉ。うふふ、因みに私はエルムとヒュームのデミよ」
「えっ、そうだったの!?」
「言っていなかったかしら?お父様もドラムとラムダのデミなのよぉ、レティはそのデミだから、薄いけれど四種族の血が混ざっているわねえ」
し、知らなかった……でも言われてみれば、ドラム特有の屈強そうな身体と、熊とライオンが合体したみたいな風貌だったものね、お父様……衝撃的過ぎてなんだか疲れてきた。そんな話を夢中になってしている間に、アレッサが戻ってきた。片手にはバラのような花を一輪、大切そうに持っている。っていうか、完全にバラ。オブなんとかって品種かな……
「そうそう、これがバラよぉ」
「え?さっきオブ、リスティ……ト?って」
「そうよ」
「えっ、えっ、あ、えっと、とっても綺麗です、その、バラ……」
「そうでしょう?でも何故か青が咲いてしまって……」
なんだなんだ一体、翻訳がバグっているの!?オブリなんとかって名前はどこに!?
なんだか相次ぐ新事実と意味の分からない翻訳バグで、私の頭はオーバーヒートし、また熱を出した。もちろんお母様とアレッサには具合が悪いなら言いなさいと酷く叱られ、お父様は心配のあまり仕事を放棄して帰ってきたのだった。
うん、先が思いやられるぞ、私の人生。