神秘的な緑色
私の誕生日は夏の終わり。あの素晴らしい誕生日が終わってから秋が訪れるのに、そう時間はかからなかった。ゆらゆらと風に揺れ今にも落ちそうな茶色の枯葉を眺める。
「ふぇ……ッくしゅ」
くしゃみが出た。季節の変わり目。そんな時期に、普通に風邪を引いた。前世の私は割と身体が強いかったんだけれど、やっぱり子供の身体ともなると無理がきかないらしい。いつもなら暇なとき、本でも読んで勉強をするのだけど今は休むのが仕事だ、と本も禁止、刺繍も禁止。なんなら立ち上がるのさえ禁止された。お母様もお父様もアレッサも、この上なく心配性だ。
汗でべたべたする身体はたまに様子を見に来てくれるアレッサが、濡れたタオルで拭いてくれるからいいものの、やっぱりお風呂に入りたい。この世界でもお風呂はあるんだけど、やっぱり習慣付いてはいないみたいであまり入る機会はない。クリーンなんて生活魔術があるんだから、習慣にならないのもわかるけど。
しかし、この世界には割と地球の言葉と同じ意味の言葉がある。どうしてかは分からないけれど、私がこうして転生したことと何か関係があるのかな、なんてぼんやり考えてみた。
――……それにしても、暇だな。
揺れていた葉が落ちていくのを、ぼんやりと目で追う。そこで、ふと視線の先に緑色が現れた。よくよく目を凝らしてみると、地面に付きそうな程長い髪の毛だということが分かる。どことなく神秘的な髪。つい、それから目が離せなくなった。その髪の持ち主がこちらに振り返る、と思った瞬間視界から一瞬でその緑が消える。驚いて思わずベッドから思い切り身を乗り出した。それと同時にがくん、と身体が揺れる。
しまった、手をつく場所が縁過ぎた!
なんて思った時にはふらり、と身体が傾いていた。このままじゃ、落ちる……ッ!!
「……注意力散漫だな」
「……えっ?ッわ、わわ」
衝撃に備えていたのにもかかわらず、身体はいつまでたっても地面につくことはなかった。ぎゅっと閉じていた目を恐る恐る開いてみる。先ほどまで見ていた緑が、眼前に広がっていた。状況を把握しようと、視線のみを動かしてみると、落ちかけた私の身体を見知らぬ男性が支えている。さっきまで遠くに見えていた緑色が、今は目の前にあった。それから、彼の緑色の瞳が真直ぐこちらを見ていることに気が付く。そして、その表情が酷く呆れたようなものだということにも。
でも、驚いた、どうやってここに……?
呆れた顔のまま、"緑の人"は私の身体をベッドに戻す。彼が指先を軽く一振りすると掛布団のしわが伸ばされ、私にしっかりと掛けられる。魔法使い?魔術使い?どちらかはわからないが、彼はどうやらそのどちらかのようだ。その証拠に、本で読んだ通りのローブを身にまとっている。本で読んだものよりかは、酷く高価そうだけれど。
しかめっ面は相変わらず、少し困惑したように緑の瞳を揺らすのが見えた。
「あ、の……」
「……『リベロ』」
「きゃ!?」
聞いたことのない単語が耳に届いた後に、私の身体を白い靄が包む。不愉快な身体の熱が冷めていくのを感じると同時に、その靄が深い深い紫色に染まった。身体が軽くなる。それに比例するかのようにその紫はどんどんと色を暗く染めていく。
いったい、これはなんなんだろうか。びっくりして声を上げてしまったけれど、熱を下げてくれた……のかな。
「やはり、……」
「あ、あの……?」
「リーベの使いか。それとも、新しい候補か」
「え?あの、リーベって、女神様、のこと……ですよね」
「そうだ」
愛想のないこの男性は、未だ不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、こちらを見つめている。っていうか、知らない人が部屋に入ってきているのにどうして私は普通に話をしているのだろうか。リーベ、と呼び捨てにしていたけれど、なにか関係が?女神さまを知っているっていうことは、まさかこの人も転生者だったり――……
「お嬢様、お加減いかがですか?」
どんどんと湧いてくる疑問は、ノックの音にかき消された。数回の規則正しい音の後、数秒だけ間を開けてアレッサが入ってきた。あわあわしている私をよそに、彼はじっと、真直ぐ私のことを見つめている。音を立てて扉がしまったのが聞こえた。知らない人が部屋にいるのに、警戒しないわけがない。でも、この人は平然と私の部屋にいて、私のことを見つめている。だとすれば、私はこの人のことを知らないだけで、アレッサは、この家の人だったら知っている人間、とかだろうか?
そんな期待を抱いてアレッサの方を見る。いたって普通の表情だ。
ああ、よかった……
「あの、アレッサ、この方……」
「?」
「ええっと、どなたか知ってる?」
「……この方、とは?」
「え?」
その疑問の声と共に、彼がいた窓際に身体ごと振り返る。先ほどまでそこにあった緑はどこにもない。突然現れて、突然消えてしまうなんて、一体全体どういうことなんだろうか。本当に、さっきまで、そこにいたっていうのに。来た時と同様、消えるときもいきなりで、そして一瞬だ。心配半分、不思議さ半分な表情でこちらを見つめてくるアレッサに夢を見ていたと告げる。
さっきの、いったい誰だったんだろう。