公爵家の娘
「ほら、レティ、貴方の好きなババロアよ」
「バーロア!」
眩い光に包まれた後、私は本当に転生していた。
目が覚めたら見慣れない小さな手。
それが自分の手だと気がつくのにそれほど時間は掛からなかった。
前世で突然死んだ私は、女神の気まぐれによって マードック という公爵家の娘に生まれた。
名前は ヴァイオレット・マードック。愛称は レティ。
自分で言うのもなんだけど、金髪に薄い琥珀の様な瞳でとても可愛らしい。
私の目の前で、私のお気に入りのババロアを笑顔で食べさせてくれているのが母。
母は金髪碧眼で綺麗な髪を、所謂夜会巻きの様にまとめている。とっても美人な女性。
父は声は聞いたことがあるけれど、姿はまだ見たことがない。
あまり夫婦の仲は良くないんだろうか?
父がいないことで何か困ったこともないようだし特別気にはしていないけれど。
一歳の赤子に、私という意識が芽生えてから二週間。
私は既に簡単な言葉なら喋れるようになっていた。
女の子は喋り始めるのが早いと聞くけど、中々驚いた。
「奥様、旦那様が……」
「あらぁ、どうしたのかしら。
待っていてくださいな、今行きますから」
メイドのアレッサが母に話しかける。
アレッサはなんというかとても日本人のような顔立ちだ。
黒髪に黒い瞳。身長も結構高めでモデルさんみたい。
私のババロアが遠のく。それにしても、父はなんで私に会いに来ないのかしら。
「おーとーさんま」
「あら!あらあら、レティ、お父様に会いたいの?」
「あい!」
「そうねえ……ううん……どう思う?アレッサ」
「旦那様もお会いしたいと思いますし、よろしいのではないでしょうか」
「そうよねえ……じゃあ、一緒に行きましょうか、レティ」
「あい!」
やった、やっと謎に包まれた父に会えるではないか!
嫌がられたりしないかしら、本当は子供嫌いとか?
さっきアレッサが旦那様も会いたいと思いますしー、とは言ってたけど。
……ならなんで会いに来ないんだろう?
小さな私がうんうん唸って悩んでいても、解決しない。
アレッサに抱き上げられて、私は母と共に自分の部屋を後にした。
連れて来られたのは初めて入る父の書斎。
今日は仕事はお休みなんだろうか?
こちらの世界の仕事はよくわからない。
どんな人がいるのか、どんな人がどんな風に暮らしているのか。
まだこのお屋敷の外に出たことはないから、そんな風に考えてしまう。
書斎に入るとまず、アレッサが軽くお辞儀をする。
書斎の机に腰掛けて何やら書類を見ている男性がこちらを見て目を見開く。
「……何故ヴァイオレットが?」
「貴方に会いたいみたいだから、連れてきてしまったの。
いけなかったかしら?」
「いや、良いが」
やっぱり嫌われてる?
なんだか顔色の優れない初めて見る父の顔。
まあ、一言で言えば強面。
顔が怖いだけじゃなくて体も大きい。
私が小さいせいもあるんだろうけど大きい。
なんていうか、クマとライオンが合わさったみたいな感じ。
髪と目が金色でとても綺麗。オールバックにしたやや長めの髪。
襟足は三つ編みにしているようで、可愛らしく首筋に垂れている。
「とーさま!」
「あら、お父様がわかるのねえ。
流石我がマードック家の子だわあ」
「……うむ」
母はベタ褒め、父は目を閉じて頷いている。
これは案外親バカなのでは?
父は書類に向けていた視線を私に向けている。
ずっと見ている。なんだろう、この、蛇に睨まれてる感じ。
きっと本人はそんなつもりではないんだろうが、威嚇されている。
そんな気分になってきた。
「……泣かないな」
「泣きませんねえ。
貴方の気にしすぎなんですよ。
顔が怖いからレティが怖がるだろうなんて」
「いやしかしな……先日第二王子に泣かれて……」
「いやだわ、貴方まだ気にしていたんですか?」
「…………うむ」
つまり、自分の顔が怖くて私が泣き出さないか心配だったってこと?
だから会いたくても会いに来なかったと……?
なんだか、拍子抜けした。
顔が怖いのは心底同意するけれど、まさかそんな理由だったとは。
気が抜けて、私は父に手を伸ばした。
初めて会ったんだし、抱っこくらいしてくれてもいいと思うんです。
「とーさま、おかお、こわくない!」
「……う、うむ」
「とーさま、かっこいい!だっこ!」
「う、うううむ。抱けば良いのだな」
「わー!」
アレッサが満面の笑みを浮かべて私を父に渡す。
父は酷く慎重に、それこそ高級なツボでも持つかのように大事に私を抱き上げてくれた。
大きな手が私を支えると、なんだか安心する。
ああ、この手はきっと私を傷つけない手だなあ。
なんだか嬉しくなって私は思った以上にはしゃいでしまう。
ふ、と父の顔を見るととても優しい顔で私を見ていた。
さっきまでのライオンはすっかりなりを潜めている。
しばらく腕に抱いていた父だったが、不意に何か思い出したような様子で顔をあげた。
「……そうだ、忘れるところだった。
明日から城の方にこもらなければならなくなった。
二、三日といったところか……」
「あらまぁ、それは忘れてはいけないことですよ」
「いや、ヴァイオレットを眺めていたらつい」
「もっと早くに顔を出せばよかったのに、貴方ったら頑固なんだから」
確かに。
しかし、先ほどから第二王子とか城とかいっている……
もしかして父は結構偉い人なんだろうか?
「おとさま、おしごと?」
「そうよぉ。
お父様は、国の宰相様なのよ」
うわあ……結構どころじゃなく本当に凄い人だった……
宰相って……君主の政務補佐でしょう?
それって物凄くできる人ってことだよね。
そんな家に産まれちゃったの私。
確かにこの家公爵家だからやけに地位的なものが高いなーとか思ってたけど。
まさかまさかの宰相。
もしかして私、将来政略結婚とかさせられるのかしら。
そんなことを延々考えていると、いつの間にかアレッサの腕にいた。
あれ、いつ受け渡しされたの私。
残念そうに眉尻を下げて見る。アレッサが微笑んだ。
「ヴァイオレットお嬢様、私たちはお部屋に戻りましょうか」
「あいー、おとーさま、またね」
アレッサの腕の中から小さく手を振って父に挨拶をする。
父は少し放心した後、何やらパァン!と勢いよく顔に手を当てた。
え、何事なの。
顔面に思い切り手形のついた父は少ししてぎこちなく手を振り返してくれた。
なんていうか、本当に大きな動物みたいで可愛い。
神妙な面持ちで話し込む母と父を名残惜しみながら私はアレッサと部屋に戻った。
……………………
アレッサは私のお世話を本当によくやってくれる。
朝の目覚ましから着替え、食事、入浴、手慣れた様子で次々こなす。
母は公爵家の『奥様としての仕事』があるので休みの時に私に会いにきてくれる。
母も父も以前と変わらず忙しいけれど私に会いにきてくれることには変わりない。
なんとなく寂しいなー、なんて思うこともあったけど時間を作って会いにきてくれるというものは何にしても嬉しいものだった。
最近のブームは父の持ってきてくれる花。
どこから持ってきているのか、はたまた頼んでいるのか。
会いに来るたびに花を持ってくる。
なんだろう、この、女性には花っていう考え。
一生懸命考えてくれたのかな……お父様本当可愛い……
母はよく食べる私を気に入っているのかいつもお菓子を持って来る。
こちらの世界の食事は日本のものよりも味は劣るけれど、お菓子に関しては別でとてもとても美味しい。
こんなに美味しいお菓子は食べたことがない!ってくらい。
もう少し大きくなって一人で出歩けるようになったら絶対に料理をする。
外に散歩にも行きたい、早く大きくなりたい。
「お嬢様、そろそろ就寝のお時間ですよ」
「あい」
「はい、お嬢様は本当に偉いです。
寒くありませんか?大丈夫ですか?」
「うんー、あれっさ」
「なんでしょう?」
「いつもありあとー」
「……こちらこそ、いつもありがとうございます。
おやすみなさいませ、お嬢様」
ふんわりと微笑むアレッサは本当に綺麗で困る。
思わず照れ笑いをすると同じようにアレッサも笑ってくれた。
それから寝心地の良い布団に身を任せて目を瞑る。
身体の内側からじんわりとした眠気が湧き出る。
毎日が楽しい。
こんなに幸せで、私はとても不安になった。