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先輩とぼく

作者: いまじじょ

創立が古い高校などは妙な行事があることが多いようです。

通っていた頃は「めんどくせーな」と思っていても、卒業してみると別の見方ができるようになっていたり。

そんなことを思いながら書いてみました。


 変というのは大体後になってようやく判るものらしい。


 自分の卒業した高校は実は変だったと理解したのは、大学に入学してそこで知り合った友人たちに何か面白いことを言おうとしてだだ滑りとなり、微妙な雰囲気になったときに苦し紛れに自分の高校時代のあだ名の話をしたときだ。友人たちはあだ名よりもその由来の方に興味をもった。ぼくは多少むっとしながらもその由来を話すと「なんだそれ?」と返され、そこでようやく気づいたのである。



 キミ達は高校はちょっとアレなんだね、と。



 ぼくはそれを口にする事はなかった。後からそれとなくそっと教えてあげようと思った。

 世の中にはいろいろと事情のある学校があるのだ。



 あだ名の由来の話は友人たちによってぼくの鉄板ネタとされてしまった。

 自分が面白いとは思っていない話が他人の興味を引く。

 聞いているほうは面白くても話しているほうはつまらない。ちょっとストレスがたまった。



 コンビニエンスストアと夜の駐車場を隔てる自動ドアが開いたとき、僕はようやく気づいた。

 片手には電子レンジで温められたハンバーグ弁当。




 うちの高校は変だったのかもしれない。





 言うのが遅れたが、ぼくは高校のとき「ポストマン」と呼ばれていた。



 ◇◆◇


 生徒会の連絡係は各クラスのクラス長が兼ねている。


 連絡係と言うのは要するにクラス代表会議に出て生徒会役員からの伝達事項を聞き、クラスのHR時間にそれを伝えるりのことである。地味なことこの上なく、連絡係という役職があること自体知らない生徒が多い。ぼくは生徒手帳を読んで初めてその役職名を知った。


 ぼくがクラス長に選ばれたのは理由は単純だ。


 中学の時にクラス長をやっており、入学した高校のクラスに同じ中学出身者が多く、その中学出身で早々にスクールカースト上位ポジションを確保していた有田君が「めんどくせーな、クラス長なんて中学と一緒でアイツでいいじゃねーか」と言ったからである。スクールカースト上位の有田君に従うことが本能になっている同じ中学出身者たちは賛成した。


 そうしてぼくはクラス長になった。


 有田君はその一ヶ月後、小学生のパンチラを盗撮して捕まりそれ以来高校には来ていない。クラス内では彼を最初からいなかったものとして扱うのが暗黙のルールとなった。



 ◇◆◇



「キミに『ポストマン』の称号を渡すっす……」


「……」


「君に『ポストマン』の称号を譲ります」


「……」


「キミはもっと素直な男の子だったハズっす……」


 7月最初のクラス代表会議が終わった後ぼくは生徒会長に呼び止められた。彼女はブレザーの女子制服を着て髪が肩より少し下まで伸ばし、目は多少つり上がっており、唇は蕾のように小さい。読者モデル顔というよりも女優顔系の美人だと思う。言い換えれば妙な色気のある美人顔だ。


 まだ日の落ちない夕方のグラウンドを覆う天蓋はようやく一部が紫色に変色を始めていた。


「いやそんなこと言っても、ねー……」


「『先輩』っす。この呼び名以外は返事しないっす」


「じゃ、生徒会長」


「キミは意地悪っす……」


 一歳年上の先輩とぼくは幼なじみだ。

 よくある話で、ぼくと先輩は同じマンションの同じ階に住み、おまけに母親同士がママ友だったのである。ついでに同じ小学校だった。幼なじみにならないわけがない。


 非常に迷惑なことに先輩は小学生の頃から出来が良く、近所でも有名な優等生だった。そのためにいつも比較され、隣のお姉ちゃんと同じようになりなさい、と母親から言われ続けた。今の高校は県内トップクラスの進学校だが、先輩は当然のごとく進学してしまった。ぼくもその後を追うためにそれこそ気が狂うくらいに必死になって勉強をした。父親の本棚の奥に「思春期のノイローゼ入門」という本が付箋紙付きで隠すように置かれていたのはショックだった。エロ本があると思ったのに。




「先輩、その『っす』という語尾の付くキャラ、止めた方がいいですよ。

 他の人が聞いたら絶対誤解されますって」


「むふぅー、キミと自分が幼なじみっていうのは、

 この学校じゃバレバレなんだから別に気にすることないっす」


 そう言って先輩は握り拳でぼくの額をぐりぐりとする。痛い。

 昔からこの罰はあったのだが、目線の高さの差が小学の頃よりも広がっていた。


「いやいや。普段とは口調が違って身体をべたべたを触っていたら

 普通の人は普通は幼なじみじゃないほうと想像しますって」


 そう言いながら思い出した。中学時代の話になるが、あまりクラスでは話さない大人しい女子生徒が日曜日に駅前で彼氏らしき男性と体中をふにゃふにゃにさせて甘えた声で話していたのを見てしまったとき軽くショックを受けたことがある。一緒に見ていた先輩は「キミは女子の闇をしまったっす……」と目をキラキラさせながら言っていた。先輩の言葉が理解できない時はスルーすることを既にぼくは学んでいた。



「キミは性に目覚めてしまったんっすね……」


 はぁーとため息をつく先輩。高校生に何言ってんだ、と思った。

 目覚めまくっているのに決まっているだろう。


 同時に中学生時代に彼氏がいたあの女子はもうすでにヤルことをやってしまったのか?と思いちょっと興奮した。そういえば先輩の胸は大きい方だと思う。



「……ポストマンってなんですか?」


 このまま先輩ゾーンに巻き込まれるとろくなことが起きないと思ったボクは話題を変えた。


「『すの付くキャラ』の話はもういいっすか?」


 古今東西ゲームのようなことを言う先輩。それはもういいです。


「先輩が中学時代にはまったゲームに出てくる、プレイヤーの前にいるときだけ語尾が変になるキャラクターのことなら今はおいておきましょう」


「昔から言っているけど、あのゲーム全年齢対象っす……」


「分かっています。ギャルゲーですよね」


「あれは『ギャルゲー』という枠に収まるもので無いっす。

 もっと尊いものっす……」


「……で、ポストマンって何ですか?」


 危ない危ない。もう少しで先輩ゾーンに再捕獲されるところだった。


「校内の郵便配達人、と言ったところです」


 にこりと薄い笑みを浮かべて、理知的な目で先輩は語ってきた。

 あ、キャラを変えてきたな。とボクは思った。生徒の前で生徒会長として振る舞う時はいつもこんな感じだ。


「配達人?」


「そう、生徒から受け取った手紙を宛名人の所まで届けるのです」


「直接届ければいいじゃん」


「そうもいかない場合があるの。

 校内では誰と誰がつながっているのかを知られたくない人もいますし、ね」


「……まぁ、そうですね」


 友達グループ内のカースト上位者には睨まれたくないけど、別グループの人と連絡を取りたい場合なんてあるからな。学校なんて人間関係が濃すぎる一種の村社会だし。


「そんな校内ムラ社会を生きる生徒によって自然と産み出された校内のポジション。

 それが『ポストマン』なのです」


「はぁ」


「運ぶモノは、手紙であったり、モノであったり、いかがわしい写真だったり、お下劣なビデオだったり、友情のハードディスクだったり……」


「は?」


「もちろん『ポストマン』は配達物の中身を見ることは厳禁。

 誰から受け取って、誰に渡すのかを漏らすことも厳禁。

 先生に生活指導室に連れ込まれても秘密を漏らすことは厳禁。

 妖麗な先生のハニートラップに落ちてもダメです。


 まさに死して屍を拾うものはいない、重要な役割なのです」



「はぁ……」


 なんだそりゃ。



 配達物の秘匿はまぁいいとして、ハニートラップって……。


「過去に女教師の黒のガーターベルトに堕ちかけたポストマンがいたそうです」


「……」


「血の涙を流して拒否したそうですが、

 結局大学時代にできちゃった結婚することになったそうです」


「それは単に狙われただけなんじゃ」


「キミは既に性に目覚めてしまったのね……」


「その話はもういいですから」


 しかし、やっぱり先輩のおっぱいは大きいと思う。


「あ、たまに宛名人が明確じゃないのもあります」


「は?」


 それは郵便ではないぞ。


「それは要するに差出人の希望を受けて『ポストマン』の嗅覚で宛名人を探す、

 ということです」


 それは配達人というよりも探偵のようなものではなかろうか。


「どうです? 『ポストマン』やりませんか?」


 先輩はぐっと顔を近づけ上目遣いのまま、指先でぼくの鼻先に人差し指を向けた。


「そんなこと言ったって……」


 ボクは一つ先輩に聞いてみたいことがあった。


「そういえばポストマンの地位を『渡す』って言っていましたよね?

 先輩は『ポストマン』をやったんですか?」


 手元にないものを渡すコトなんてできない。それは詐欺だ。


「はい」


 即答だった。


「いやー、さすがに生徒会長をやりながら『ポストマン』ってきついっす」


 キャラがチェンジした。


 あの先輩がキツいというのは、本当に大変なことなんだろう。



 ……うーむ。



「……いいですよ」


 ぼくは答えていた。


「本当ですか?」


 また先輩のキャラが変わる。指先をまるでトンボにする様にぐるぐると回しながら。



「はい、『ポストマン』やりますよ」


「良かった……」


「あと一つ、聞きたいことが」


「何?」


「先輩はどうしてでぼくを『ポストマン』に選んだんですか?」



 先輩の口元がにこっと笑った。


「それは、

 先生と生徒に対して人畜無害なキャラになりきっている所に命をかけているところとか、

 スクールカーストの網の目を本能的に理解しているところとか

 何も考えていない顔ですらっと嘘をつくことができるところとか、

 『ポストマン』の才能に溢れているじゃないですか?」




 ぼくって友達になりたくないタイプの王道だったのか……。





「本当に、―――いろいろなコトをよく見ていますね」


 そう言った先輩の表情はどこか寂しげなものだった。

 初めて見たような、久しぶりに見たような、そんな表情だった。



 ……そういえば先輩が一人の時、姉ちゃんはどんなキャラなんだろうか。



 ボクは知らない。



 ◇◆◇



 そうしてボクは高校二年生となり、先輩は高校三年生になった。

 先輩はどうせ東京の良いところの大学に行くのだろう。ぼくも結局その後を追うことになるのだろう。自分になりたいものなどないし、就職で食いっぱぐれない学部に入れたら御の字だ。先輩の行く大学に、入試が易しくて就職に食いっぱぐれない学部がありますように。同じ大学の別学部なら母親を説得できるだろう。父親は「それはお前が本当にやりたいことなのか?」などと格好良いことを言うかもしれないが、結局母親に折れるだろう。

 父親は就職で失敗し、しばらく同棲中の彼女――今の妻――に食わせてもらっていた。いわばヒモ状態のことがあってその時の苦労のことを言われると頭が上がらないらしい。



 ポストマンの仕事は、うまくやっていると思う。

 生徒と生徒がこんな風につながっているのかと驚くことが多い。たとえば合唱部の英田さんと、バスケ部の森さんが実の姉妹だったなんて驚きだった。他の生徒の話から総合すると、どうも小学校に入る前に親が離婚してそれぞれに引き取られていったらしい。


 宛先のない手紙もいくつも預けられた。

 自分の校内の人間関係ネットワークを頼りに該当する人物を探し出す、これがとにかく時間がかかった。鰐を飼ってくれるひとなんてどうやって見つけるんだ……見つけたけど。岩永先生の実家がワニ園だったとは……。


 慣れてきたモノで、最近は宛先のない手紙の方がやる気が湧いてくる時がある。


 先輩もよくやってるね、と声をかけてくれるときがある。

 嬉しいと思う。思い出しても顔がにやけてくる。



 そして夏休み明けのある日の昼休み、ぼくはまたしても宛名のない手紙を受け取ったのだ。



 差出人は一年生の見知らぬ――いや、クラス代表会議で顔をみたことがある女子生徒だった。生徒会室の前で彼女は待っていて、ぷるぷる震える手で白の封筒を持っている。ぼくは直感した。ラブレターか、参ったな、と。封筒はちょっと素っ気ないが、急いで用意したのだろう。女子の気配はない、つまり罰ゲーム告白の可能性は限りなく低いということだ。さてどうしよう。


「やぁ、なんだい?」


 ぼくは気さくな先輩風のキャラを選択した。


「ポストマンさんに、お願いがあるんです」


「……」


「あ、あの、ポストマンさん……?」


「……判っていた、うんそうじゃないかなーと判っていたんだよ」


 おかしいな、ぼくってこんなに低いトーンで声を出せたっけ?


「あの、手紙をお願いしたんですけど……」


 そう言って彼女は封筒を差し出す。

 再度確認しても素っ気ない白封筒だ。



「んー?」


「宛名人は『優しい人』です」


「んー? 了解」


 ぼくはいつも通りにその封筒を受け取った。


「じゃ、無理はしない程度に、少しでもダメだったらすく諦めるように

 未配がばれないようにこっそり処分もOKですから

 ……おねがいします」


 そう言って睨み付けるような一瞥を放った後、彼女は立ち去っていった。



 こんなやる気が削がれる依頼は始めてだ。

 まるで届けるな、と言われているかのようだ。



「ポストマン、の依頼かしら?」


 自分の中にあるやる気スイッチを総点検していると、背後の生徒会室のドアから先輩が現れた。

 いまはそっちのキャラか。


「秘密厳守ですので……」


 ぼくは封筒を制服の内ポケットにしまった。


「ま、頑張ってね」


 先輩はそう言うと、廊下を歩いていった。




 結局自分のやる気スイッチは自分の美学の中にあるようだ、と考ええながらぼくは廊下を歩いていた。

 すると目の前に女子生徒が一人。先ほどポストマンに手紙を預けた一年生だ。


 どうかしたのかな? と思う。


「渡しましたね?、わたし渡しましたね!」


 女子生徒は妙に血走った目をしながらそう言った。


「お、おう」


 ぼくは思った。


 思ったより心配性なんだな、と。


 一年生は一度頷くと、深く息を吐き心を落ち着かせているようだ。





「――では、奪いますっ!」




 彼女は獲物に飛びかかる豹のように襲いかかってきた。




 ぼくは思った。


 思ったよりカラフルなパンツ履いてんな、と。



 ◇◆◇



 いったい何なんだ。


 ぼくは廊下を息を切らしながら走っていた。

 校内であれほど濃厚なパンチラ時間を味わったことはない。

 というか飛びかかる度に一年生女子のスカートがチラリズムを粉砕するがごとくまくれ上がるから、パンチラではなくパンモロ時間と言った方が正しい。そう記憶を再認識するととたんに思い出の価値が下がるような気がしてちょっと悔しい。


 それはそれとして。

 ぼくは後ろをちらりと振り返る。もう女子一年生の姿は見えない。


 うむ。ポストマンとしての錬磨の結果、校内の構造とそれに伴う死角やショートカット方法を知り尽くした自分に素人がかなうはずがないのだ。一般の生徒からは注意を向けられない校内の死角を極めた結果、校内のカップル把握率も異常に高くなってしまったが。女の子同士でのエッチが本当にこの世にあるとは……。


 すこしペースを落として、廊下をあるく生徒の間を抜けていく。

 もう少しで昼休みが終わるのにやけに廊下に生徒が多い。しかし、あと十分も経てば廊下にたむろしている生徒達はすべて教室に収納されてしまう。もちろんぼくも格納されてしまう。



 校舎は生徒が普通に入学して、普通に勉強をして、普通に卒業することに特化した歪な建物だ。

 その歪さからクラスカーストが生まれ、そのカーストの監視の目をくぐり抜けるためにポストマンという非公式な制度――それは文化ともいえるかもしれない――がいつの間にかできてしまった。


 自分の身が安全なレベルでこの纏わり付くモノを壊してやりたい――そうみんな思っている、多分。



 その時、校内放送を告げる電子音が鳴った。ぴんぽんぱんぽん。

 ぼくは思わず、げっと声を漏らした。

 スピーカーから聞こえる声があの一年生女子のものだったからである。



「――生徒の皆様にお知らせがあります。


 ポストマンを――倒してください。


 以上です」



 ぼくはヒーローアニメの悪役かっ!

 廊下の天井に張り付けてあるスピーカーを見上げながら無言で抗議した。



 ぴんぽんぱんぽん、と放送が終了すると生徒が立ち止まって、今の放送なに?とか言っている。ポストマンは校内ではあくまでも隠れた噂的存在。ほとんどの生徒がその存在を知っているわけではないのだ。ヒーローは孤独なのだ。


 まぁ、ほとんどの生徒は知らないと言うことは、知っている生徒もいるという論理的帰結が成り立つわけで。


 がしっと、ぼくは誰かに肩をつかまれた。

 ――ほら、こんな風に。


「お前、……倒されるのか?」


 そう声をかけてきたのは、以前友情のハードディスクの運搬を頼まれた田中君だ。そのハードディスクはしっかりと星野君に届けたぞ。


「……悪戯だろ?」


 ぼくは思わず笑みを作っていた。

 対人スキルが強化されると人はとりあえず愛想笑いが無意識にできるようになる。

 つまり無意識の行為をしてしまうほど事態に自分の理解が追いついていない。


 また、ぴんぽんぱんぽん、と校内放送が始まる。



「――ぐすっ、生徒の皆さんにお願いです。


 ポストマンはわたしたちの大切なモノを奪おうと……ぐすん……しています。


 ぜったい、ぜったい、倒してください。


 わたしたちの大切なモノを、取り返してくださぁい!」



 ぴんぽんぱんぽん。



 女子生徒の嗚咽混じりの放送が終了した。



「お前っ!、何をやった!」


 肩をつかまれたまま田中君は足払いをかけてきた。身体をひねってそれを交わすぼく。

 廊下で始まった喧噪に生徒達の注目を集めてしまう。


「落ち着けよっ! 田中っ!」


 ぼくにも事態が理解できないんだ、と続けようとした。

 しかし、理解はできないが原因は自分が今持っている封筒だろう、と思うと言葉が途切れた。

 その沈黙が田中君の顔を歪ませる。嫌な方向に。


「……おまえ、なにか心当たりがあるのか?」


「無いとは言い切れん……」


 そう言った瞬間、ぼくはしまったと思った。

 いまの言葉の流れだとすると、ぼくは一年生女子の大切なモノを奪おうとしていることを認めたことになる。大切なモノを奪うなんてちょっとイヤラシイな、と思った瞬間、身体が勝手に後ずさり、田中君との間を広げていた。


「……脅迫、したのか?」


 田中君と距離を置いたのは殺気を感じたからだ。


「は?」


 わけがわからない。


「だから、成宮さんを脅迫したのか?

 その……彼女の純潔を奪おうとしてっ!」


 畜生、どうやら田中君とぼくとの連想回路は同タイプらしい。

 大切なモノを奪う=処女陵辱とは、童貞同士お互い大変だなっ!


「おちつけよ、田中」


 どうどうとぼくは気を静めるようジェスチャーをした。


「お前は、オレが倒すっ!」


 だがヒーロースイッチが入った田中君は止まらない。



 周りの生徒達はざわざわざわとぼく達を遠目で見ている。

 その中の囁き声の中に「田中君、成宮さんのこと好きだったんだよな……」という言葉が混じっている。なるほど、こいつはあの手の女子が好みか。


「誤解だ、田中」


「お前を一発殴らねぇと、オレの気が収まらねぇんだよっ!」


 こいつ人の話を聞いちゃいねぇ。

 自分の言いたいヒーロー台詞を言い切らないとこのスイッチは切れないのか?



 キーンコーンカーンコーン。


 予鈴が鳴った。



「おーい、みんな教室に戻れー」


 いつも岩永先生が手をぱんぱんと叩きながら廊下を歩いてくる。

 こういうことはあまりやらない先生なのだが、今日は通常と違う生徒の様子をみてこのようなアクションを取ったのだろう。



「放課後、体育館裏で待ってる、逃げるなよ」



 田中君はぼくに非常に敵意のこもった一瞥を残して去って行った。案外淡泊だな。


 ぼく、絶対行かないけど。



 岩永先生はぼくに顔を向けると、天井のスピーカーを指さして言った。



「あと、コレのことちょっと聞きたいから

 後で指導室に来るように」



 ぼく、多分行く……。



 ◇◆◇



 放課後になってしまった。


 田中君との約束は当然無視する。こっちは忙しいんだ。


 岩永先生との約束は可能な限り尊重する。

 言い換えればできるだけ生徒指導室への到着を遅らせる。

 というか、どう説明すればいいんだよ、この事態。


 周囲に自分を狙っている生徒がいないことを確認して、教室から一歩廊下へと足を踏み出す。

 あの放送のせいで授業中も気が抜けなかった。廊下にいる生徒もみんな自分を狙っているような気がしてくる。あの放送じわじわと自分の精神に効いてくるな。



「ポストマンの仕事、頑張っますー?」



 そんなぼくの肩を背中側からぽんと叩く手。

 体中がぞくりと波打った。


「せ、生徒会長」


 自分の背後には生徒会長が立っていた。


「が、頑張ってますよ。

 ……今ちょっと、岩永先生に呼び出し食らってますけど」


「へぇ、岩っちが生徒指導ですか」


 ぼくと先輩は廊下を歩きながら話している。


「岩っちって……、そうだった先輩の担任だ。岩永先生」


 実家がワニ園という属性がインパクトが強すぎて、先輩との関係を忘れていた。


「何をやらかしたんっす?」


 なぜその口調?と思ったら廊下の周囲に生徒の姿はなかった。

 人に見られる心配が無くなったからキャラを変えてきたのか。


「昼間の放送を聞いたでしょ?

 あれはどういうことだって」


 ぼくは廊下上のスピーカーを指さしている岩永先生のことを思い出す。


「へー、岩っちはキミがポストマンであることを知っていたんっすか」


 あの放送ではぼくの名前を言っていない。

 だけど岩永先生はまっすぐぼくの方を見ていた。


「そりゃ、鰐を飼ってくれる人を探すのに世話になりましたから」


「キミは自分がポストマンであることを岩っちに名乗ったんすか?」


「いや、そんなことはしませんよ。

 ……でも、薄々気づいていたんじゃ」


「そうっすか」



 先輩は立ち止まり廊下の窓からグラウンドの方を見た。

 まだ日は高い。情緒的なモノが抜け落ちた乾いた光がグラウンドに降り注いでいる。

 乾いて、乾ききって、窓の外の風景は今にも蒸発しそうに思えた。



「……理解されているんっすね、キミは」



 乾ききった光をうけた先輩は一瞬生気の抜けた、まるで人形のように見えた。



「り、理解……?」


 何を突然言っているんだこの人は。


 先輩はぼくの言葉に、あれ?今の独り言聞こえていたの?とでも言いたげな微笑を返してくれた。


「キミはその封筒の中身が気になるっすか?」


 先輩はぼくの左胸あたりに視線を向ける。

 制服の裏ポケットに例の封筒は入っている。


「ならないと言えば嘘ですけど、

 でも、見ちゃイケないでしょ? こういうの」


 トントンとぼくは自分の左胸を指先で叩いた。



「……見ればいいじゃないっすか」



 先輩はそうぽつりと言った。


「え?」


 ぼくは自分の耳を疑った。



「見ればいいじゃないっすか。封筒の中身」



 先輩は繰り返す。


「はぁ?」


 ぼくは間抜けの声を返す。



「見てもいいと思うっすよ、中身」



 そういう先輩の表情は――こういう言い方が許されるのであれば――とても幼く感じた。


 迷子になってまわりをきょろきょろと見回す子供のようだった。



 不思議なものを見るようなぼくの表情が先輩に伝わったのだろう。


 先輩はごほんとわざとらしく咳払いをして


「それじゃぁっす」


 と言って階段を降りていった。



 ◇◆◇



 なんなんだ。


 理解不能なことが次々とおきる今日という日にぼくはちょっとだけ疲れ始めていた。

 廊下を歩く今でもまわりから襲われないかとびくびくしている。


 早くこの手紙を誰かに渡してしまえばこんなことから解放されるのに。


 そうこうしているうちに生徒指導室の前まで来てしまった。



「しつれいします」


 ドアをスライドさせる。

 生徒指導室には向かい合わせにソファとその間に木製のテーブルが置いてある。


 入り口から見て向こう側のソファに岩永先生が座っていた。



「来たな、さっその封筒を渡してもらおう」


「嫌です」



 反射的に答えてしまう。

 これはポストマンの職業病なのではないだろうか。


「まぁ、座れ」


 岩永先生は向かいのソファを指さす。

 順番が逆だろうと思いつつ、ぼくはそれに従いソファに座る。



「何があった」


「こっちが聞きたいくらいです」


 封筒を女子一年生から受け取ったと思ったら、おなじ女子に奪われようし

 あげくに校内放送にてポストマン打倒指示が出されたかと思うと、

 大切なモノを奪おうとする悪者にされ、それが田中君のヒーロースイッチに火を付け

 こうして生徒指導室にまで呼び出されている。


 脈略、というものが行方不明だ。

 何がどうしてこうなった。



「というかあの放送が職員室で話題になっていてな

 事情を知っている先生方は、とりあえず放送部が間違えて放送をした、という風に

 丸く収めようとしているのだが……。


 教頭が、とりあえず職員室で一番若くて元ポストマンのオレになんかとしろと言われてな、

 こうして慣れないことをやっているんだ」


 最後は愚痴めいた口調で岩永先生は言った。

 それよりも。


「えっ、岩永先生、ポストマンやってたんですか?」


「やってたよ」


「知らなかった……」


「そりゃ、おおっぴらに言うことでもないしな」


 そりゃそうだな、とぼくは思った。


 しかし、実家がワニ園と先輩の担任に加えて元ポストマンとは。


「キャラ属性が贅沢な人ですね」


「何を言ってるんだ?」


 腕組みをしている岩永先生は顔をしかめる。



「だからオレなりにポストマンの苦労はわかる。

 面白がって無理難題を押しつけてくる連中もいるからな。

 ……まぁこれは大人になっても変わらんが」



 先生は愚痴を言いたい年頃なのだろうか。

 たしかこの先生、ことし大学院を卒業したばかりではなかったろうか。

 新任教師を受験を控えた三年生の担任にするとはこの学校も無茶をする。



「……無理難題じゃ、ないですよ」


 言ってから気づく。思ったより自分の声は真面目なトーンになっていた。

 そんなぼくを見て岩永先生はほぅと言って目を細めた。



「そうか。

 ……ポストマンは任務に誇りを持つモノを選ぶべし、という伝統は健在か」



 オレも周りからやっかいな生徒と思われたたのかなぁ、と岩永先生は独り言を言う。

 それ暗にぼくがやっかいな生徒だと言っていませんか?


 先生はふぅーと息をついてから頭を左右に振った。

 何かを吹っ切ったようだ。



「面倒くさいことは止めだ。

 そのポケットにしまってある封筒、先生に渡しなさい」


「嫌です」


 そして最初の入り口でのやりとりに戻る。ザ・不毛。


 岩永先生はそこでひどく悪い顔をした。


「おめぇ……大学への推薦欲しくないのか……」


 どこの言葉だ、と思った。つーか、これ脅迫か?



「一般入試で大学に行きますから、別にいいですよ」


 ぼくはクールに返した。



「……ちなみにどの大学?」


 岩永先生はちょっと好奇心に満ちた顔でそう尋ねてくる。


「先輩と同じ大学です」


 何も考えずに自然とそう答えてしまうぼく。



「先輩? ――ああ、生徒会長のことか」


 そう言ったときの岩永先生の顔はちょっと曇っていた。

 そして握りしめた右手をぷるぷると振るわすと、そのまま机をドンと叩いた。


「じゃ、その封筒を先生に渡せっ!」


 怒号だった。

 ぼくが大きく目を開くと、先生もまた大きく目を開いていた。

 先生は自分が大きな声を出してしまったことに戸惑っているらしい。こういうところが新米の先生らしい。



「……詭弁に打ち勝つ絶対の方法は対話を打ち切ることだそうだ」


 先生を自分の右手を開いたり閉じたりしながらそう言った。

 まるで何かを思い出しているかのように。


「だが打ち切るにはいろいろなモノの犠牲が必要だ……」


 オレにはできなかったんだよなー、とまるでそこら辺のチャラい学生のような口調で言う岩永先生。



 先生、何言ってんの? となんだかぼくは居心地が悪くなるのを感じる。

 もともと生徒指導室なんて居心地の悪いものなのだが。



「オレは先生の立場を捨てるぞぉ!……クビにならない程度に」


 いきなり叫びだした岩永先生。

 やばい、よく分らないけど、やばい。これはやばい。



「勝負だ! ポストマンっ!

 元ポストマン《レッド・ティアーズ》がお前を倒すっ!」



 ヒーロースイッチは量産品だったのか、この学校限定の。

 二つ名があるのは何となくわかる。



「何言ってんの、センセっ!」


「オレはもう先生ではないっ。

 ダークサイドに堕ちた仲間に救うために過去からやってきた蘇らしポストマンだっ!」


「堕ちてねぇよ!」


 ぼくから見ると岩永先生がダークサイドに転がり堕ちているように思えるんだが。



「あの日誓った――。

 この部屋で見た黒のガーターベルトを見ても血の涙を流して拒否した自分に誓った――。


 お前はオレが倒すっ!

 そして封筒を奪うのだっ。ふぁーはっはっはっはっ」



 あのハニートラップに堕ちそうになって、結局大学時代にできちゃった結婚をしたポストマンって岩永先生のことだったのか。そういえば左手の薬指に銀色のリングがあるな。この生徒指導室で岩永先生は女教師から誘惑されたわけか。居心地の悪さが生理的嫌悪レベルまでにこみ上げてきたな。いやそれよりもあの笑い方なんて明らかに悪役の笑い方だよね。ダークサイドじゃなくてダークの底まで堕ちちゃったんじゃねーの。あーあ、靴のママでテーブルの上なんて飛び乗ってさ。足跡付くんじゃねーの。うわぁ、見下ろされた。先生に見下ろされた。ぎぎぎっ、映画の人造人間のような表情で見下ろされた。ぼくヤバイじゃん、このポジション、完全に逃げ場塞がれているじゃん。



「死ねぇ!」


 それ先生の台詞じゃねーよ。飛びかかってくる岩永先生に対してぼくはソファを後ろに倒しながらその勢いで後ろに後転した。ばきっとソファが嫌な音を立てた。先生はほぶぅと声を上げてもんどりをうっている。どうやら蹴り上げた足がちょうど良いところに当たったらしい。


 そのままぼくはドアを壊すようにあけると廊下へと転がり出た。



「もぉー、いーかげんにしなさいっー」


 ぼくは廊下を走りながら自分の運命にたいしてつっこみを入れていた。



 ◇◆◇



 しかし、なんだ。この手紙の宛名人の「やさしい人」とは一体なんなんだろう。

 よく考えてみればこの手紙の中身はなんなんだろう。すごく気になる。


「くそっ、先輩があんなこと言うから気になってしかたねーじゃねーかっ」


 ポストマンは配達物の中味を見てはいけないのだ。

 だけど気になる。この封筒の中身はいったい何なんだ?


 「やさしい人」、優しい人って何だ?

  最初は子犬のもらい先とかそんなのを想像していたけど、多分全然違うぞ!

 大体子犬ごときで岩永先生や女子生徒ーー成宮さんだっけーーがダークサイドに墜ちるわけがない。…‥いや、墜ちるかもしれないなぁ。


 とにかく落ち着いて考える場所が必要だ。

 となるとあそこか。



 ◇◆◇



「よく来たな」


「えっ、本当に来た」


 げ。


 状況を説明しよう。

 人気のない場所に移動したら田中君と成宮さんがいた。


 そういえば、ここ、体育館裏だったわ。


 何か驚いている成宮さんと

 腕組みをし不敵な笑みを浮かべる田中君。


「言ったろ、奴は約束を守る男だ」


 そんな約束を守る気なんて最初からさらさら無いし、

 というか約束自体すっかり頭から抜け落ちていたわ。


「…‥フン」


 場に流されたぼくは思わずクールに決めた、はずだ。

 やっべ、どうしよう。


「行くぞっ! 悪党っ!」


「誰が悪党だっ! …‥成宮さんぼくを指ささないで、地味にショック受けてるから」


 突進してくる田中君にぼくは取りあえず逃げた。


「なぜ逃げる!?」


「危ないからだろ」


 突進してくるから、避けた。

 それは当たり前のこと。


「……そうか」


 田中君は納得した。

 こいつひょっとしてチョロい奴かも。


「だが、オレは諦めんっ! そこに悪がいる限り!」


 また単純に突っ込んでくる田中君。


「誰が悪党だっ!

 ……わかったよ、ぼくが悪党だろっ! 両手で指さす成宮さん!」


 成宮さんが無表情のまま両手でぼくを指さす姿はちょっとシュールだ。


 突っ込んでくる田中君からまた同じく逃げようとする。


「あっ」


 足に何かが引っかかった。

 バランスを崩し、つんのめる。


「破っ!」


 そして全体重がかかった左足にすぱーんと綺麗な足払いがきまった。

 足払いをしたのは……成宮さんだ。そのまま腕をつかまれ地面に背中から叩きつけられた。


「観念なさいっ!」


 仰向けに倒れたぼくの胸のうえにダンと右足を置く彼女。ゲフォとぼくの口から息が飛び出す。

 成宮さん、この身体裁きは格闘技やっている感じだ。最初襲われたときの動きも凄かったし。

 

 ……何度見ても成宮さんのパンツはカラフルだ。


「田中さん、内ポケットっ!」


「お、おう」


 状況についていけない田中君がソロリソロリとこちらに近づいてくる。

 信じられないものを見るようにして成宮さんに視線をチラリチラリと向けながら。多分彼女は田中君よりも強い。


「制服の内ポケット。そこに封筒があるわ」


 成宮さんの指示に従い、屈み込んでぼくの制服をまさぐる。

 鼻息が聞こえる距離で男子に近づかれるというのは生理的嫌悪以外何物でもない。


 がさりと田中君の指先が封筒に触れる音が聞こえた。


「あ、パンツ」


 無意識の言葉だった。

 ぼくは見ていたものをそのまま口に出した。


「えっ?」


 田中君はぼくの視線の先に顔を向けた。


「きゃあ!」


 成宮さんは慌ててスカートを抑え、ぼくの胸に乗せていた左足をそのまま田中君への顔面キックに使用した。見せそうで見えないパンツも良いものだ。吹き飛ぶ田中君。


 その彼の指先には白い封筒が摘まんであり、そして指先から離れた。


 地面に落ちた封筒は、その中身を吐き出した。

 どうやら封をしていなかったらしい。


 ぼくは慌てて立ち上がり、そのちに落ちた封筒に近付きーーそして足が止まった。


 封筒の中には薄手の丈夫そうな紙だった。


「なんなんだ……畜生」


 内向きに折り畳まれた紙から透けて見える文字に、ぼくは全てが判ったような気がした。

 女子生徒と岩永先生が立場や羞恥心を捨ててまで必死になる理由を。

 田中君はどうでもいいや。


 この手紙を渡すべき相手はわからないが、絶対渡してはいけない人はわかった。



「葵くーん、その手紙、わたしが届けてもイイっすよー」



 その渡すべきではない人が、校舎の陰からふらりと自分の前に現れた。


 ぼくは地面からその封筒を拾い上げた。


「だめですよ」


 拾い上げた封筒に飛び出ていた紙を戻す。

 再度確認した。この書類は間違いない。



 ◇◆◇



「見ちゃったんっすね」


「見れば? と言ったのは先輩でしょ」


「あー、そう言えば言っちゃったすねー」



 ひょうひょうとした表情で、まるで冗談を言っているかのような表情で

 頭をぼりぼりとかきながらぺたりぺたりと近づいてくる先輩。


 そのキャラはぼく以外の前では見せないはずだったのに。


「生徒会長……?」


 成宮さんは口に手を当てて戸惑っている。あんな姿の先輩を見たのは初めてなのだから。


「くくくくっ、もう何でもいいっす」


 心なしかいつもよりキャラ臭さがきつくなっているような気がする。

 はっきり言って変だ。



「わたし、もうこの学校にいたくないんっす……」



 先輩はゆらりゆらりとぼくに近づいてきた。


「えっ!」


 驚いたのは成宮さん。

 ーーぼくは驚かなかった。


「キャラの限界ってやつですか? 先輩」


 話してから自分で驚く。

 ぼくはこの状況に全然驚いていない。

 いや、むしろ。



「そぉっす。もう疲れたっす。

 予習復習は当たり前な模範的な生徒を続けるのにも

 品性方正を学校でも家でもずっと続けるのも

 成績優秀で誰からも慕われる生徒会長をやっているのも

 浅学菲才の謙遜をバカのバカのバカにキープし続けているのにも


 ……もう、疲れたっす」


 そう吐き捨てるように言った先輩の方が、

 ずっと人間らしく、ずっと彼女らしいと思った。


「で、そのキャラを『無かったこと』にするために退学届を出したいと」


「そうっす」


 退学届を出すにはまずは担任と保護者との三者面談が必須だ。

 先輩の両親はともかく担任も簡単に優等生の先輩に対して許可を出すとは思えない。

 あれ?先輩のクラスの担任って確か……。


「岩永先生には非常に申し訳ないことをしたっと思ってるっす……」


 なるほど。

 生徒指導室の岩永先生の鬱屈からの大爆発の原因は先輩か。

 よっぽとボコボコに論破してしまったのだろう。


「なんていうか、

 ……先輩、いろいろ浅はか」


「にゅ?」


 新キャラが爆誕した? いやそれよりも。


「退学届けしたところでそのキャラが無くなるなんてあり得ませんよ。

 学校からいなくなったらそれこそ神話のヒーローになっちゃいますって。

 先輩は最後に立派な器を用意してしまったんですから。立派な器があればみんなが一杯その器に似合うエピソードを注ぎ込んじゃいますから。そうして学校の英雄の誕生だ。

 優等生じゃなくて英雄になっちゃうんですって。そして先輩は英雄のペルソナを一生かぶり続けるでしょうよ。先輩は結局真面目なんだから。

 ほとんどの偉人は一生偉人のままではいられないじゃないですか。エジソンも昔はエライ人だった。

 英雄は、良い所で死んじゃうから英雄なんですよ。人間臭が出る前にいなくなっちゃうから英雄なんですよ」


 やばい。途中で自分が何を言っているのか判らなくなってきた。


「何を言ってるかよくわかんないけど、

 わたしヒーローよりはヒロインになりたいっす……」


 ちょっと手をもじもじさせる先輩。

 うっかりときめいてしまった。


「あー、だからっ!

 先輩はぼくの前から消えちゃダメなんだっ!」


 自分のときめきを誤魔化すように声を張り上げて言い切ってしまった。

 

「え、ええっ?」


 先輩は一瞬だけ、目をぱちくりさせると

 顔が真っ赤になってしまった。


「な、何を言ってるの? キミ?」


 顔を真っ赤にしながらも、本能的に冷静さを保とうとする先輩にちょっとだけ生徒会長のキャラが戻ってきたようだ。頬を両手で押さえて、ぼくに視線を合わせつつ息をつくように横にずらし、またぼくを見るという小動物のような動き。


「何を言ってるって……」


 うん、ぼくは何を言っているんだ?

 ぼくが言いたいのはそうじゃなくて……。



「……ぼくは、先輩の声が聞きたい。


 ――昔みたいに」



 いつも隣にいたはずなのに、

 何時の間何か距離ができてしまった年上の女の子。


 それが先輩。


 その距離がいつか絶対的なものになるような気がして

 ぼくはずっと怯えていて、何もできずにいた。


 今なら、何か勢いってやつで、出来そうが気がする。



「先輩、ぼくはずっと先輩のことが、その、す……」



「す?」


 先輩はちょっとシリアスな表情をぼくに近づけてきた。


 

 勇気粉砕。


 ごめん、やっぱ無理。



「その言葉の続きが言いたいのなら……」


 先輩は両手でぼくの頬を固定し、背伸びをしてずいっと顔を近づける。

 なんか昔こういう風に怒られた気がする。道端の水路に落ちそうになった時かな。



「わたしの顔を見て。

 わたしの声を聞いて。

 わたしの名前を呼んで。


 ……わたしをちゃんと見てよ、ずっと。ずっと――」



 ウィスパーな声がぼくの心をなでた。

 昔とは違う、恋の領域の声だ。



「ーーうん」


 なんだろう。

 果てしなく言葉が足りないのに、

 限りなく満たされている、この感じ。



 先輩の瞳を見ていたら、そのまま吸い込まれそうで。

 だから、この世界に、この現実に、先輩がいるこの場所に留まろうとして

 

 

 ―――ぼくは先輩の唇にキスをした。



 するともの凄い勢いで先輩はばっとぼくと距離を置いた。

 そりゃそうだよな。



「え、え、ええー、

 何キスしてるんっすか!?」


「……いや、なんとなく」



 くるりと背中を向けて大きく息を吸って吐き出す先輩。


「そ、そういうのは後からいくらでも……」



 しばらくもじもじと身体をくねらせた後、よしっと呟き

 もう一度くるりとぼくの方に向き直った。



「こんにちは。

 わたしの『優しい人』♪」



 そうにっこりと微笑む先輩はとても可愛いと思った。



 

「……」

「……」


 田中君と呆然としていた。

 成宮さんは目をキラキラさせていた。



 後日、ぼくは女子生徒には生暖かい目で見られ

 男子生徒には「死ね!」と罵倒される日々が続いた。



 ◇◆◇



 ポストマンのルールを破ったぼくはその場で資格を剥奪され

 次のポストマンは成宮さんが収まった。


 ここから「葵色女豹」成宮さんの疾風伝説が始まるのはまた別の話。




 結局、先輩は高校を退学しなかった。

 優等生ぶりを継続したまま卒業式をクリアした。



 岩永先生は「オレにはアグレシップ足りなかったんだ」と悟ったような声で、聞きもしないのに廊下ですれ違ったときに言われた。翌年、妻との間に子供が生まれた。



 岩永先生とポストマンの戦いは高校の風物詩となった。

 何故か生徒にヒール岩永先生の人気が高まり「最近の生徒はよく分らん……」と愚痴られた。

 だから聞いてないっつうに。




◇◆◇



「他の高校にはポストマンって無いのか……」


 サークルの新入生歓迎飲み会の帰り、ぼくはそう呟きながら一人暮らしを始めたアパートへと向かう。足下がおぼつかないのは、きっとポストマンが存在しない高校の存在が衝撃的過ぎたせい。




 階段を上り、鍵とドアを開けると室内には明かりが付いていた。


「おかえり」


 彼女はコーヒー片手に座布団に座り、傍らのテーブルにあるノートパソコンでなにやら打ち込んでいた。


「……ただいま」


 ぼくは靴を脱いだ。

 そして彼女の隣に座った。


「座布団」

「あ、ありがと」


 ひょいと渡してくれた別の座布団に座り直すぼく。



「ちょっと聞きたいんだけど」


「ん?」


「なんで居るの?」


「変なこと聞くなぁ……キミの彼女だからに決まってるでしょ」


「そっか」


 ドアを開けた瞬間に巻き起こった疑問は解決した。



「いやいやいやいや」


 よく考えたらそれは期待した答えではない。

 アパートの鍵とかどうしたの?


「息子をよろしくって、お母様が」


 彼女はノートパソコンの横に置かれた鍵を指さした。

 実家にあるはずのスペアキー……。



「よろしくね♪」


 そう言って彼女はにっこりと笑った。

 ああ肉食獣って時々こういう嬉しそうな顔するよね、とぼくは思った。

 とりあえず返事だけしておくか。凄くこの人が可愛いと思ったし。



「……よろしく、先輩」



 まだ先輩なんて言ってるぅー、わたしは彼女、いい、キミの彼女なんだよっ。何度でも言わせないでよっ。



 そう言っていつのものようにじゃれ合ったあと、

 ぼくと先輩は口づけを交わす。キスの数を数えるのを止めたのはいつ頃だっけ……。



 ぼくと二人きりの時の先輩は、甘えん坊で、わがままで、嫉妬深い。

 モテない人選手権の常時ランカーを誇るぼくに嫉妬しても無駄でしょ?と言ったら、ダメ男が大好きな女子はいるのっ!と答えられた。ちょっと傷ついた。




「ねぇ?」


「うん?」


「わたしこと、好き?」



 一緒に夜のベットで寝ていると、いつものように彼女は尋ねる。

 ぼくもいつも通りに答える。





「好きに決まってるじゃん」




 彼女はふふふっと笑って目を閉じた。



「パンモロには華があるが闇がない。」蓋し名言だと思います。

今適当に書いたモノですけど。

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