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風が鳴いてるね  作者: 伊井下 弦
6/15

優美な曲線や巨大な三角柱から溢れ出した群衆の固まりが、イルミネーションに彩られた街路樹を従えて、遙か彼方で大きな口を開けている地下通路に、雪崩れ込もうとしていた。

特別な金曜日の夜、そこに漂う様々な期待と相反して、修治を包み込む空間には、何一つ漂う物は無く、混沌とした淀みさえも一掃されていた。

唯一隣で揺れている大きな肩を感じながら、ふと空を見上げると、とうとう堪えきれなくなった雨雲から小さな綿屑たちが、舞い踊り始めていた。


「雪ですね。」修治が、立ち止まり重々しい空を見上げた。

「おお、雪かこりゃホワイトクリスマスになるのかな。」太も立ち止まって、空を見上げ手をかざした。


そのとき綿屑の一片がまだ結晶の形を保ちながら、太の手のひらに落ち、―瞬の内に解けて手のひらに小さな水玉を形作った。それを見た二人は、顔を見合わせ、柔らかな微笑みを投げ合った。


「でも、東京じゃこの時期、雪は、積もりはしませんよ。」

「それはそうかもしれないけど・・」そこまで言うと、太は再び夜空を見上げ、くすんだ空に両手を精一杯広げて、こう言った。

「やっぱ、積もるよ。」 修治は、もう反論はしなかった。

ただ、「そうですね。」とだけ言って、修治も夜空を見上げた。

暗闇から無限に生まれくる綿屑、彼らは緩やかな弧を描きながらやっとのことで二人に舞い降り、次々と水滴へと姿を変えた。そんな空を眺めている内に修治は、暗黒に支配された綿屑たちの起源へと、吸い込まれそうな錯覚を感じた。



二人は再び大流に紛れ込み、巨大なチューブの入り口へと身を進めた。鍾乳洞の大きな口にたどり着いたとき、修治は思い出したようにこんな話を始めた。

「此処、何か変だとは感じませんか?」

「えっ、何が。」太が、そう言うと、修治が後を続けた。

「こんなに大勢の人たちが、皆同じ速度で同じ方向へ歩いている。朝なんかもっと変。今よりもっとたくさんの人たちが、まるで無機物の品物がベルトコンベアーに乗って、次のセクターへ移送されているみたいに流れている。誰も、この流れに逆らおうともしないし、逆らおおもんならなかなか先へは、進めない。」修治がそう言うと、太がこう続けた。「そう言われると、そうだね。俺も感じる。」


修治は、僅かにその歩みを緩めながら、こう続けた。

「俺ね、まだ新人だった頃、此処歩くといつも気分が悪くなっていた。酷いときなんか吐きそうになったりして。」

「今でも、そうなの。」と太が聞くと、

「ううん、最近は少なくなったけど。でもそんなときは、此処は通らないようにしているんだ。ちょっと遠回りして行くようにしている。」と修治が答えた。

「そりゃ、大変だ。」

「えっ、ああ、俺って変でしょ。・・・そうか此処が変なんじゃなくて、きっと俺が、変なんだ。」と修治が言うと、

太は、「そんなことはないよ。そんな風に感じているのは、君だけじゃないと思うよ。返ってその方が健全なのかもしれない。」

修治は、前を行く人影の足下を、じっと見つめながら、独り言のようにこう続けた。

「そのうちに、不良品検出センサーにでも引かかって排除されてしまうかも知れないね。」


太は、あえてこの言葉の返答をしなかった。そのため、二人は雑多な音だけに囲まれながら、薄汚れた灰色の流れに身を任せなければならなかった。駅近くの茶色の煉瓦造りのビルの地下口にさしかかったとき、太は、ふと立ち止まって、修治を招き寄せこう言った。


「今日も、遠回りして行こうか。」そう言うと太は、人差し指で地上階を指し、小さい瞳を精一杯大きく拡げ、修治を凝視した。そんな太を見つめている内に、修治は、ほんの少しだけ太のことが解った様な気持ちになった。


若干の時間が、二人の間を行き来し、その後で修治は、満面の笑みを蓄えながら、

「うん。」とだけ言い放ち、太の横を全速力でダッシュし、地上を目指した。

太が、肩で息をしながら地上に這い上がると、すでに修治が舗道で待っていた。

「運動不足じゃ無いんですか?」修治がそう言うと、太は修治の髪できらきら光る水滴に目をやりながら、こう切り返した。

「うん、確かにこの年になると、瞬発力は著しく劣った。でもこう見えても持久力には、かなりのものだよ。どうだい、今夜あたり試してみるかい? あれやこれやと、じっくり伝授してあげるよ。」

と太は、両手を膝に付け少し前屈みになり、ゼイゼイと肩息をしながら言った。


「その手のジョークは、もうちょっと息が整ってから、言うべきだと思います。はっきり言って、とっても滑稽。それに、この歳と言うほどの、年でもないでしょうに。」



二人が、ラーメンをすすり食事を済ませ、見慣れた扉を開くのにさほどの時間はかからなかった。太は、洒落た洋食屋にあたりを付けていたが、修治が、それを頑なに拒んだからである。修治にとってみれば、洒落た洋食屋は、恐ろしく白けた場所になるだろうことは、なによりも彼にとって明白なことだったのかも知れない。



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伊井下弦 風が鳴いてる

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