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風が鳴いてるね  作者: 伊井下 弦
3/15

部屋

「おい、朝だぞ、起きろよ。」

太は、カウチソファ-で毛布を頭から被ぶって寝息を立てている修治の肩を、揺さぶった。ずしんと重い痛みを後頭部に感じながら修治は、やっとのことで、頭を持ちあげた。修治を覗き込む太の肉厚の穏和な瞳が、修治の視線と重なり合い、僅かながらの沈黙が二人の間を漂った。その沈黙を破ったのは修治の方だった。


「ああ、結局俺、家には帰らなかったんだ。」そう言ったとたん、修治の頭に再び痛みが走った。

「痛たたぁ・・・。どうもすみませんでした、だいぶ迷惑かけたみたいで。」分厚い肩にバスタオルをかけ、トランクス姿の太が、カーテンを開けながら、

「あれは、帰らなかたじゃなくって、帰れなかったのが正解だね。」と言った。


眩しすぎる朝の日差しで修治は、目をほそめた。

「シャワー浴びるかい?」

「はい、あのその前に、お水を一杯頂けますか?」修治がそう言うと、太は、ソファーの前にある小さなガラスの丸テーブルに目をやり「ほら、そこ。」と言った。そこには、グラスに注がれた水とアスピリンが置いてあった。

「あっ、どうもありがとう、ところで今何時ですか?」と、修治が聞くと「今か、7時をちょっとまわったところかな。」と太は答えた。


修治は、錠剤と水を一気に飲み干すと、「シャワー借ります。」と言って、重い頭を気遣いながら、風呂場へ行く為、ゆっくりと体を持ちあげた。


太は、煙草に火を付けながら、「風呂場は、その扉を出て二つ目のドア、棚の上にあるタオルは、洗濯してあるから、どれ使ってもいいよ。」と言って新聞紙を開き始めた。


修治は、風呂に入り、少し熱めのシャワーで髪を洗い、眼を覚ました。

拝借した固形石鹸は、国産ではないらしく少し油の匂いがきつかった。バスタオルを手に取り体を拭った。トランクスを身につけ、髪を拭いながら風呂から上がると、太が、リビングのテーブル一杯に広げられた新聞紙に、見入っている。太の頭上を、柔らかな煙の輪が幾重にも重なるのに目をやった。修治は、朝の厳しい寒さと、眩しい程の光の空間に、ふと透明な時間を見い出しながら少しの間、動作を静止し、その光景を見入った。その静を打ち破ったのは、やはり後頭部を支配している痛みと朝の寒気だった。「痛いっ。」バスタオルでまだ乾き切らない髪を拭いながら、風呂場に戻り、昨日着ていた服を身に付けた。


先程に比べると少しは納まったかと思える頭の痛みを、抱えながら再び眩しい空間へと戻ったとき、既に太の身支度は整いかけていた。


「どこかで朝飯食って行こうか?君は会社大丈夫?」

「ええ、俺の会社フレックスだから、飯食う時間ありますが、でも一寸この体じゃ何にも喉通らないかも?」

「おお、これは失敬、ではお茶でも一杯どうかね?」

「はい、御供させて頂きます。」


「おや、夕べに比べると焼けに、素直だね。夕べ押し倒すのにあれ程までに、てこずったのが、まるで嘘みたいだ。」

「てこずったのが、嘘みたいじゃなくて、そんな話全部嘘です、そんなはずありません。身持ちが堅いので通っていますから、太さんと違ってね!」

「それじゃ夕べの出来事は、全て胸の奥深くにしまって置くことにするよ。一生忘れることのない思い出としてね。」

「一生忘れることのない思い出に?いったいどんな思い出なんでしょうかね。」「そりゃ君にも秘密だよ。」


そういうと太は、ひげを蓄えた口を僅かに歪め、テーブルの上の新聞を丸め、コートのポケットに詰め込んだ。修治は、椅子に掛けてあった自分のネクタイを取り、急ぎ速に首に巻きつけた。太は、煙草に火を付けかけた手を止め、火の付いていない煙草を灰皿にねじ伏せた。そして、上着を羽織っている修治の肩に手を回し、扉へと導いた。


マンションを出ると透き通った冷たい大気と、澄みわたった高く青い空が二人を包んだ。ラッシュのピークは過ぎてはいたが、それでも自身の体を、詰め込むのにやっとの電車に揺られながら、二人は高層ビルの街へと向かった。それでも9時過ぎには、高層ビル街のとあるホテルのティーラウンジの椅子に、二人とも腰を据える事ができた。くわえた煙草に火を付け終えると、思い付いたかのように太は、自分の名刺とペンを取り出し、名刺の裏に自分の部屋の電話番号を書き添え、修治に手渡した。「俺の名前は、河原太。ビルなんかの図面の線を引いている。昼間は、この事務所に居るはず。どうせ俺独りだから、いつでも電話してきていいよ。こう見えても、俺は、一様会社の社長様なんだぜ。社長兼従業員のたった一人の会社だけれど、人は俺のこと単なるフリータだと言っているけどもね。」太は、自分の髭をなぜながら、僅かに笑みを浮かべた。


「あ、どうも。」そう言いながら、自身も名刺を取り出そうと内ポケットからパスケースを捜したが、修治は名刺を切らせていたのに気がつくと、今度は手帳を取り出しその最後のページを破りペンで自分の電話番号を走り書きした。

「ごめんなさい、名刺切らしているみたいで。俺、関谷修治って言います。見ての通りのサラリーマンです。それも、石を投げれば必ず当たるって言うくらいありふれた技術職。俺も独り暮らしだから、電話は大丈夫ですけど。」と修治が言うと、

太が「大丈夫ですけど?って、たまにはまずいときもあるのかな?」と言うと、修治が

「いや、別に太さんとは違いますから。」

「いちいち余計だよ、俺を引き合いに出すのは。」と太が答えると

「ごめんなさい、けど夕べ逢ったとこなのに、こんな事いていいのかな~って思って。」と言った。

「別に気にすることないよ。そんなこと、一様は信用してもいい男だと思って、間違いないと言える。」


そういいながら、太はティーカップを口元に運んだ。「ま~、君の体まで安全だとは、言い切れないけどね。夕べみたいに。」「太さんも、くだらないことばっかり繰り返すの、やめて下さい。」「ごめん・ごめん悪かった。ところで、君いや修治君は、今度の金曜日開いているのかな。もし良かったら飯でも付き合わないかこの俺と。うん?」


太は、再びティーカップ持ち上げながら、瞳に猥褻な笑みを含みながら、修治を見つめた。修治は、その眼差しを逃しはしなかったが、わざと逃れるように、ウィンドウの向こうに、視線を写した。ウィンドウの向こうを流れる人並みを追いながら、

「ええ、いいですけど、今度の金曜日って、忙しいんじゃないんですか?俺は、空いていますけどね。」と修治は言った。

「良かったそれじゃ、今週末の金曜日。軽く食事して、それからチョット飲みにでも行こう。」

「ええっ、そうですけどね、独でいても落ち込みそうだから、この際、太さんの意見を尊重しようと想います。でも本当にいいんですか?」そう言いながら、持ち上げたティーカップ越しに、太の方に視線を戻した。そこには、先程と変わりのない柔らかな眼差しで修治を、見つめている太が居た。


「それじゃ、決まった、金曜日7時、このホテルのラウンジで、いいね。」

「はい、あっ。そろそろ行かなくちゃ。」そう言うと。

修治は腰を持ち上げ最後に、頭を下げて礼をすると、

「どうも夕べは、ご迷惑をかけました。」と礼の言葉を言った。太も腰を持ち上げ、灰皿にあった煙草をかき消し、二人はラウンジを後にした。


ホテルを出ると、太は先程の確認を行った。

「それじゃ、今週の金曜日7時、このホテルのラウンジで。」そう言って、太は右手を差し出し修治に、握手を求めてきた。修治は、その肉厚の掌を握り締め再度頭を下げたのち、伏し目がちに、太を見つめた。最後に、僅かの笑みと共に軽く頭を下げ、修治は人の流れの中へ少し足早に消え去った。太は、くわえ煙草の煙に目をほそめながら、修治の陰が見えなくなっても、暫くその場に立ち止まっていた。日差しは、もう大分高くなっている。


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伊井下弦 風が鳴いてる

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