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風が鳴いてるね  作者: 伊井下 弦
2/15


扉を開けると、がらんとした店内でひとりの客とマスターが、カウンター越し取るに足らない噂話に花を咲かせていた。扉に付けられているカウベルのが鳴ると、二人が同時に反応し修治の方を見た。その瞬間マスターは、いつものとは違った言葉を漏らした。


「どうしたの?修ちゃん、目が真っ赤よ。いったい何があったの?」彼がそう言ったのも無理はなかった。何せ修治は、ただ俯き加減に立ち尽くしていたのだから。


それでもマスターは、コースターとおしぼりを用意しながら、修治が落ち着くべく席を指図した。修治は。やっとこさ与えられたその居場所に座り込むと、体の全てをカウンターにうつ伏せながら、頭を両腕に埋め込でてしまった。 別に泣きじゃくることはしなかったが、ただ暫くは、そのままの姿勢を崩さなかった。マスターが、いつものボトルを用意して、修治にこう確認した。「いつものでいいでしょ?」 修治はようやく頭を持ち上げ「うん、」とだけ言った。 マスターは必要もない忙しさを装いながら、グラスに入る大きさに氷をピックで割り、水割りの用意をしてボトルと供に修治の前に出した。もう一度問いかけた「どうしたの、何があったの?」「ううん、別に。」修治はこうとだけ言って、おしぼりで手を拭い、差し出されたグラスを口にした。


暫く店内の全てを、沈黙が包んだ。思い出したように、マスターが有線で電源をONにした。スピーカーからラブソングが流れだした、今はやりの曲である。マスター流しのほうに振り返り、水割り用の氷を、別にその必要もなかったが割り始めた。修治は、サイドボードのガラスを、只ぼんやりと眺めている。もう一人の客が、「まずいんじゃないの?」と小声でマスター聞いた。「何が?」何を言っているのか見当もつかないふうに答えるマスター。「いや、何がって、これこれ、だからさ~。」と言った直後だったスピーカーから、『愛されていたはずだったのに~あんなにも』と言う今はやりの女性ボーカルの声が、店全体を包みこんだ。それと同時に、修治の瞳から涙が零れ出し、「ウウ・・。」と言う声にならないうめきごえを履きながら一気に泣き崩れた。「だから言ってだろう。本当に馬鹿なんだから。」「ああっ」と慌ててチャンネルを変えるマスター。修治に向かって、「ごめんね、ごめんね。」と繰り返すマスター、今度はスピーカーから、ド演歌が流れ出した。あきれたように大きくため息をつく客。


そのときだった、再びカウベルが鳴り響き、扉が開かれた「一体、いつからここは、演歌バーになったんだ、えーっ。」大柄な体格をトラッドに装い、経済新聞を三つ折りにして、窮屈そうな丸椅子に腰掛けながら、「とりあえず、ビールでも貰おうかな。」と言ったのは、河原太である。まだ彼は、この店の置かれた状況に気が付かない。マスターは、また慌てながら有線のチャンネルを選択し、おしぼりを差し出した。


太は、差し出されたおしぼりで、顔を拭いながら「どうしたの、そんなに浮かない顔をして、何かあったの?」と言った。その時、ふと隣で震えている背中に、視線を落とした。「げっ!」と一言言うと、太はマスターを見た。小さくうなずくマスターを見て、再び修治の方を見た。別にこの手の店では、そう珍しい光景でもなかったが、でもこういう状況に出くわすと少なからず驚くものである。修治は、二杯目の水割りを自分で注いでいる。


それぞれが、それぞれのグラスを回しながら少しの間、時が流れた。しかしこういう状況に一番馴染めない太が、とうとう痺れを切らせて、こう切り出した。「そうそう、今度のクリスマスさ!こないだのマー坊と、ちょっとした食事でもしようと思うんだけど、マスター良いとこ知らない?」答えたのは、マスターではなく、修治のほうだった。「それなら、それだったら・・・」と言ったところで、修治は、先が続けられなくなってしまった。言葉を続けようとする代わりに、彼の瞳は再び涙で一杯になってしまった。3杯目の水割りを、一気に飲みほす修治、そのとき初めて、マスターが会話に加わった。


「太、あんたそんな事、ばっかりやっているんじゃないわよ。何人あんたのお陰で、この店で泣いたと思っているのよ。どうせあんたは遊びのつもりなのかもしれないけれど、相手にとっちゃそうじゃない場合だって、あるんだからね。2回や3回のデートだけで。また新しい子が目に入ると、そっちに声かけ、あっちに声かけ、いい加減にしないと、きっとあんた大火傷するわよ、そのうちにね。」「げっ!とんだとばっちり食らった見たいだなこりゃ・・」


「別に俺は泣かしてなんかいないよ、俺の前では誰一人だって泣いたことないよ。綺麗に遊んでやっているだけだよ、なー、君を泣かしたのはこの俺か、えー。」と言って修治の方を見た。


「いやべつに、まー」 修治はそうとだけ答え、4杯目のグラスを傾けている。


「マスターは、ここで泣いた子は、全部俺が、泣かしたなんて思っているんじゃないのか。相手だって、最初から遊びだって解ってやっているんだよ。」 そう言って、最後のビールを飲み干した。


「まぁそんなこととどうでもいいや。ボトル出してよ、ボトル。」といいながら少し腹立たしげに最後のグラスをテーブルに置く太。水割りの用意をして、太の前に置くマスター。


そのとき太は、―言つけ加えた。「グラスをもう二つもらえます?いつも俺の尻拭いを、させているお礼と、この泣き虫な彼のためにね!」 三つのグラスに水割りが仕立てられ、それぞれの前に配置された。まずマスターが、グラスを持ち上げ、太のグラスに乾杯した。「いただきます。」もうすでに営業用の顔である。


太は自分のグラスを、修治のグラスへと近づけた。「まー、兎に角乾杯。」太の水割りの入ったコップを目の前にした、修治は反応した。「あ、あすみません。いただきます。」修治がグラスに口を付けるのを待って、太はこう切り出した「さてと、これできっかけはできたわけだ、君さえよければ、少し話してもいいですかね。」太は、そう言うと修治の俯き加減の頭を、覗き込んだ。「えー、まぁー、いいですよ。」「それで、どうした今日は、別に話したくなければ違う話題を選ぶけど。今の我々の共通の話題は、君のその涙だからね!」


「いや別に話すほどのことは、ないんだけど。良くある話ですよ、そうそう、あなたの場合と立場が反対になっただけ。」「なかなか言ってくれるじゃん。俺の場合は、そんなふうに泣かせたりなんかしないよ、全部マスターの作り話なんだぜ本当。だいたいが、俺が、もて遊ばれてるだけでね。」「そうかなぁ?いや俺は別に、遊ばれたとかどうかじゃないけど、唯々。あんな終わり方ないんじゃないかって、何もあんなふうにしなくっても。」と修治が言うと。「と言うと。」と太は、優しい目つきで修治の方を、ちらっと覗き込んだ。


「いや別にもうどうでもいいんですよ。俺が、ひとりでその気になっていただけないんだから、きっときっと・・・」


「その様子じゃ、今晩はフリーということか? そうかどうだい、俺で良かったら、遊んでみないか? 君がその気なら、口説いてやってもいいんだぜ。」少し微笑みながら答え出す修治、


「でも俺は、ちょっと違うんだよな、あなたのその乗りもそうだけど。俺、デブ専っていうわけでも無いし。」


「・・・そうっすか。君のタイプじゃないか?こりゃ残念だなぁ?まぁいっか。今回は見逃してあげることにしよう。」


「太さんって、自信家なんだ。」太は少し自慢げに、こう言った。


「いや別に、それほどでもないけどね。この世界は、強引な方が、成功率が高いものだからさ。」修治が続けた。


「そんな事言っているから。やっぱ、マスターの言っている事が、正しいみたいだね。」

「もうあんなババアのことは、言っこなしだよ。」


突然マスターが会話に割り込んできた。

「何か言った。太! この上私の悪口でも言ったら、お出入り禁止よ!」

「おぉ怖ゎ。」おどけて見せる太。


「まぁそんな事どうでもいいや。君、確か修ちゃんとか呼ばれていたよね。」

「前にも話したことあるはずですよ。この酔っ払いの記憶によるとね。太さんのことは、自己紹介不要だよ。いろいろ聞いているから。」


「げっ!俺ってそんなに有名かな~。もてないこともないから、無理はないか。」

「自惚れないほうが、後で恥じかかないで良いと思います。それともその言い回しって、照れ隠しですか?いい歳をして。」

「いい歳は余計だね。男はこの位の年になって、魅力が出てくるものだよ。ほら、俺のおごりだから、飲めよ、もっと飲め。」太は、自分のボトルを、修治のグラスへと近づけ、ウィスキーを注いだ。カウンターの角から、マスターが眉をしかめて、太を諭したが、太はお構いなしに、修治に注ぎ続けた。


ほんの小一時間ほど経つと、この小さな店のカウンターは、全て客で埋まった。その頃にはもうすっかり修治は、出来上がっていた。それを楽しむかのように、いつにもまして太は上機嫌だった。そんな太を見て、マスターは、先陣の客にあきれたように、こう言った。「いったい何、考えているだろうね?太は」上機嫌の太は、ますます上機嫌で、酒を勧めている。


「ところで君、今までに何人ぐらいと付き合ったことあるの?」


「俺、俺ですか?人並みですよ。でもその今度は、今回は真剣だったって言うか。別に今までが遊びだったって訳じゃないけど。きっと愛されているんだって思えたって言うか?でも違った、違っていた。でその彼にふられたって訳。たった今さっきね。」


「で、バージンを上げたのか?それとも童貞を失ったのか。その彼に?」

「ほんと下品な人だな。太さんは、そんなことどうだっていいでしょう。ただ、本当真剣に付き合っているんだって。自分は彼のこと本当に好きだって、思っていられるっていうのか?」そう言うと、殆ど眼が座りかけている修治は、極めの一杯を、一気に飲みほした。


修治は、グラスを口元から外して、テーブルに置いた。そしてもう何杯目か分からない、新しい水割りを作りながら、微かに笑みを浮かべ、


「太さんってやっぱ、そういう乗りなんだ。やっぱだからマスターに大目玉食らうんですよ。」

「真剣だったんだ君は、まぁよくある話だよな?」と言って太が修治を見ると、修治はカウンターの上で、鼾をかき初めている。

「おっとイッチョ出来上がりか。こりゃ。」

「こんなに飲ませちゃって、どうするのよ、本当に。修ちゃん大丈夫。」マスターは、修治を気遣いながらも、それでもこの少しばかりやっかいなできごとの責任を問い詰めよるように、太に迫った。太は、相も変わらず上機嫌で、自分のグラスを傾けている。

「今日はやけに、機嫌がいいのね。何がそんなに楽しいのかしらね?本当に・・・」 マスターがあきれ顔でそう言うと、太は一言こう言った。

「いや別に、ただちょっと似ているなって思ってね、その・・」それだけ言うと、太は、優しげな眼差しを高鼾の修治の方に、傾けた。それを見て、マスターは、大きなため息を一つ着いて、自分の定位置に戻ろうとした。


そのとき、再びカウベルが鳴り、一組のカップルが扉を開いた。それと太が行動を起こすのとは、さほどの時間は掛らなかった。「マスターチェック。」そう言って、修治の背中を指さして、人差し指で輪を書いた。


「おい。行くぞ。ほら起きろ。ちょっと情けないぞ。ほら」優しく修治の耳元に話かける太。修治の背中を抱きかかえながら、片手を自分の肩に掛け、抱えるように修治を導いた。

「マスター、俺送って行っていくよ。彼、横浜方面だっけ?」

「えっま、そうだけど、大丈夫? 申しし訳ありませんね。でも半分自業自得か?」




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伊井下弦 風が鳴いてる

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