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風が鳴いてるね  作者: 伊井下 弦
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街路

赤煉瓦の街路と金褐色のイルミネーションに彩られた街路樹、それらの下にはもうすでに、落葉の残骸はなくただ投げ捨てられた吸い殻と空き缶が、きらきらと光るきらめきの中にその屍を放置していた。クリスマスを数日後に控え、街を行き来する人波も何もかもが、イルミネーションと共にラッピングされたかのように華やかであった。


街路に連なるテナントビルの一角にあるストリードサイドの低料金コーヒー店の丸椅子に腰掛けて、まだ冷め切らないエスプレッソコーヒとホットドッグを目の前に、街路を流れてれいく人波に眼をやる若者がいた。関谷修治である。頬杖を付きながら先ほどからこんな言葉を繰り返していた、「こんな時にクリスマスなんて。何も俺がこんな気持ちのときにわざわざクリスマスがやって来るなんて・・・。二度と神様なんて信じてなんかあげねぇんだから」彼は、こんな独り言を先程から何度も繰り返しながら、夕べ寝床で考えたクリスマスのアルゴリズムを思い出し、街路の先にある高層ホテルを見上げていた。


彼のアルゴリズムでは、数日後の午後7時、彼はあのシティホテルの最上階のステーキ

ハウスのビュウサイトのテーブルに、居るはずである。通路はすべて赤いビロードのようなジュウタンで埋め尽くされ、淡いピンクのパステルカラーのテーブルクロスに純白のテーブルクロスがクロスされ、テーブルには銀の一輪挿しに、早咲きの桜、アネモネやらが挿され、前に置かれたキャンドルが、花の早春を照らし出している。まず彼がこう切り出す。


「夜景が、本当素敵だね!俺、この手の店に、来るのって生まれて初めてなんだ・・・。」


はっきり言って、彼はこの手の店はバージンではなかった。


けれども彼はそんなことは、すべて忘れたことにして、ウィンドウの遥か彼方に連ねられるテールランプとヘッドライトの縦列を眺めながら、こう続ける。


「今日は本当に、ビックリしちゃった。突然会社に電話を、掛けて来るから。ここのとこ何度か電話したけど、会議や接待で、忙しそうだったから、『今年も独りきりのクリスマスか、なんて』って諦めていたいたんだ。」


ここで一度、キャンドル越しに相手の目を少し上目使いに見る、いつも修治が甘える時には、こういう仕草をするのが常だった。


「でもこんな日に、俺なんかとこんなことしていていいの? 奥さんや、子供さん達が待っているんじゃないの?クリスマスケーキなんか用意して。こんなことして本当に悪いパパさんだよ、雅博さんは。」


ここまで来ればもうお解りだろうが、彼は所謂アブノーマルな世界に生きる者であり、キャンドルの向こうに座っている人物はアブノーマルとノーマルの狭間に生きる中年男性である。(とは言っても、今の世の中では、たしてアブノーマルと呼べるものが存在するのかどうかさえ疑わしいが?)


このとき初めて、もう一人の登場人物は、限りない優しい瞳で修治を、包みながらこう言う。

「馬鹿だな、修ちゃんは、俺がお前のこと忘れる筈がないだろ。『このところ少し淋しい思いをさせたな・・・。』っていつも気にかけていたんだよ。本当、ごめんな。」


暫く視つめ合う二人。そこへウェイターがやって来て、クロスの上にワインのボトルを斜にして、年配の者にラベルを見せる。ただ黙って少しうなずく紳士、暫くしてワインのコルクが引き抜かれ、少量のワインが紳士のグラスに注ぎ込まれる。色を観て、緩やかにグラス舞をわし、香りを味わい口に含む。再び紳士がうなずいて、初めて二つのグラスに程よく注ぎ込まれるワイン。ディナーの前菜が来るまで暫くの間再び見つめ合うだけの二人、キャンドルの炎が、微かに揺らぎ雅弘の頬を少し赤く照らし出す。グラスを互いに持ち上げ、「乾杯!」紳士が小箱を、クロスの上に差し出す。修治もアタッシュケースから長細いboxを、取り出しクロスの上に差し出す。「似合えばいいけど・・・」ここまでが、夕べ考えたアルゴリズムだった。


そしてもうすでに長細いboxは、アタッシュケースの中に入っていた。今日の昼休み、あれやこれやとウィンドショッピングして買い求めたネクタイが、彼のアタッシュケースの中に在った。それを思い出したとき、修治は再び大きなため息をついた。「あーぁ、とんでもねぇーや、まさかここまで打ちのめされるなんて。誰が、考え付くんだよ、ほんと大馬鹿だよ、修治は。」暫く気持ちを落ち着けた後、ほとんど手のつけられなかったホットドックと、飲みほさしたコーヒカップを残し、修治は店を出た。


再び街路に出て、少し俯き加減に肩を落とし、人波みに沿って歩き出した。歩いているうちに、先程この街路であった屈辱的な出来事が、再び修治の脳裏を過った。「何もあんなふうにしなくてもいいのに、何もあんなふうに。失礼だよ、絶対失礼だよ。俺はいったい何だったんだよ、何だったんだよ、彼にとって。」そんなふうに独り言を繰り返しているうちに、悔しさが込み上げて、気が付くと彼の瞳は、もうすっかり涙で一杯になっていた。


今日定時を迎え仕事を済ませ、とっとと帰り支度をして、会社を後にした。そして数日後のディナーに、胸弾ませながらこの街路に出て駅までの街路を、大方半分ぐらい歩いたところで中年の男性の後ろ姿を見つけた。彼にとって、例えそれが夕日に照らされたシルエットだけであったとしても、はっきりと見分けられるものであった。修治は、その後ろ姿に歩み寄った。そして男性に肩に手を掛けた。驚いたように振り替える雅博、

「久しぶりです!ほんと一月ぶりだっけ、逢いたかったんだ!」そこまで言って、修治は思いっきり幸せそうな笑顔を雅弘に投げかけた。けれど、そのときの雅弘の反応は、修治が期待したものとは、遥かに掛け離れたものだった。

「ああ~君か?」そうとだけ言って、また俯いたまま歩き出す雅博。修治の方を振り返ろうともしない。暫くして、とぎれとぎれにこう言った。

「ぼ・・僕、忙しいんだよ、だからこれで。」そう言って修治を、掌で遮った。


修治はこの屈辱的な扱いに、すくなからず面食らって、ただ呆然と立ち尽くすままだった。暫くして、また雅弘を追いかけた。そして再び遮られた掌を掴みながら、今の自分の置かれた状況を理解し難いかのように、こう言った。

「あの~・・あの~・・雅弘さんもしかしてそれって・・・」迷惑そうにその手を振り切る雅弘、修治の方を振り向こうともしない。何も言わずにただ俯いて歩き続ける雅弘、修治はもうそれ以上彼を、追いかけられなかった。ただ唖然として立ち尽くした。


あれ程までに優しかったのに、どうして・・・。愛されていると思っていたのは、自分の勘違い。結局ところ彼にとって自分は、唯の遊び相手でしか過ぎなかったのか?そんな思いが修治を、人混みの中で金縛りにさせた。修治にとって、初めて付き合った人であった幸せだった。人を好きになること、そして人から愛されるとは、こんなにまで人の心を和らげる。全ての物に対して、自分が優しくなれるような気がしていた。修治は、雅弘に何も望まなかった。彼からの連絡をひたすら待ち続け、呼び出されたときは、どんなことがあっても時間を作った。生演奏のレストランでは、二人を挟んだテーブルの間際で生演奏を聞いているだけで、胸が一杯になり、目に涙を溢れさせたこともあった。雅博もそんな修治を不思議がりながらも、それでも優しかったことには違いなかった。


最初に逢った頃は、週に一度となく二度三度、半袖のシャツが長袖に代わりコートを羽織る頃にはすっかり連絡が途絶えた。1週間2週間と連絡が途絶え、最近では修治のほうから様子を、伺う電話を掛けたこともあった。人波が、修治の愚考を笑うかのように、さき程まで愛し愛されていたはずの人影を遥か遠くに、連れ去ろうとしていた。その場に立ちすくむ修治と人波の間に、何度、接触続いたのだろうか。修治はふと我に返り、我が身を落ち着ける場所に身を預けようと、辺りを見回し、そのストリートサイドのコーヒーショップに、身を落ち着けたのであった。これがつい小一時間前に、彼を襲った悲劇の全てであった。


それからどれくらい歩いただろうか、気がついてみると彼は、二丁目の行きつけ店の前に立って居た。飲み屋街が賑うには、まだ少し早い時間帯、特にこの手の店では尚更である。


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伊井下弦 風が鳴いてる

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