理想の彼女
若くしてとある企業の部長にまで上り詰めたS氏が街中でデートしていると、腕を組んで隣を歩いていた彼女が咎める視線を向けてきた。
「今すれ違った女の人を見ていたでしょ」
「いや、別に……」
とっさに出た否定の言葉に彼女は納得してくれなかった。足を止め、無言で見つめてくる彼女にS氏は冷や汗をかきながら弁明する。
「……ちょっと髪型が気になったんだ。もちろん美しいのは君の方だよ。ただ、たまにはああいう髪型もいいなと、少し思っただけなんだ。許してくれるかい?」
「許すも何も、初めから怒ってなんていないわ。あなたがどうして今の女の人を気にしたのか。その理由が知りたかったの」
「知ってどうするんだ?」
「次のデートの参考にするのよ。そういうわけだから、次回はあの髪型にしてみるわ。私に似合うといいのだけれど……」
「ああ、きっと似合うさ。なんたって君は美しいし、僕は君を心底愛してるんだからね」
「似合うかどうかの理由になってないわよ、それ」
そう言って頬を膨らませつつも、穏やかな笑みを見せる彼女がS氏にはたまらなく愛おしかった。
彼女は誰もが振り向くほどの美人で、まさにS氏の理想の女性だ。
容姿はもちろんのこと、声・仕草・髪型・体型・性格に至るまで。何もかもが彼の理想として思い描いてきた女性だったのだ。
当然、S氏は彼女に一目惚れした。何度もしつこく誘うS氏に彼女も折れ、そうして何度か会う内に互いに惹かれあっていった。出会ってから半年、ようやくこうして腕を組んで歩くまでになれたのだ。
次のデートの時にはこんなことがあった。
ショーウィンドウに飾られた服がS氏の目にとまり、ぜひ着て見せてほしいと頼んだ。
試着室で着替え、鏡に映った自分を眺めた彼女も思いのほかその服が気に入ったのか。何度も鏡の前でくるくる回った。
「よし、君も気に入ったみたいだし買ってしまおう。ここは最初に頼んだ僕に出させてくれ」
そういって財布を引っ張り出すS氏を彼女がやんわりと止めた。
「いいえ、待って。最初に勧めたのは貴方だけれど、着てみて私も気に入ったのよ。それに、買ったらこの服は私の物なのだから、私が出すのが自然だわ。」
「しかし、こうして君が物を欲しがるのは稀なんだ。ここは男の僕を立てると思って出させてくれないか?」
「ダメよ。私だってちゃんと仕事をしてお給金をもらってるんですから、こういう時でないと使う機会がないわ。それにお金を出してもらわなくても私は十分貴方に感謝しているのよ。こうして私とちゃんとお付き合いしてくれているんだもの」
「そう言ってくれるのは大変嬉しいのだけれど、付き合っているからこそ男としての矜持があるんだよ」
向かい合って互いに譲らない二人だったが、ふいに彼女がくすりと笑んだ。それにつられてS氏も頬を緩ませる。
「なんだかおかしいわ。服一着買うだけなのに私たちは何をやっているのかしら」
「そうだね。僕も矜持などともっともらしい単語を出してみたけれど、くだらない言葉だった。恋人である君に対して見栄を張っても仕方がないのにね」
「ここはお互い半分ずつ出しましょう。それでどうかしら?」
「ああ、僕もそれがいいと思う。これからも色々なものを二人で分かち合っていくんだから」
そうして二人は仲好く手をつなぎ、微笑みながらレジに向かった。
また次の時には彼女がS氏のために弁当を作ってきてくれた。
「どうかしら、お口に合うといいのだけれど……」
公園のベンチに腰掛けた二人。包みを解いた弁当を差し出した彼女がS氏を上目づかいで見つめる。その小動物を思わせる視線にS氏の心臓は高鳴った。
箸で持ち上げたおかずを口に含むと予想とは違った味が口内に広がる。
「どうかしら?」
「……ちょっと塩気が強すぎるかな」
お世辞にもおいしいとは言い難い味に言葉を詰まらせるS氏。その様子を不思議がって彼女もおかずを拾い上げて口に放り込んだ。
「たしかに、ちょっと塩分が多いわね。ちゃんと味見はしたんだけど、どうも私は味覚が鈍いみたいで。ごめんなさい、無理して食べなくてもいいわよ」
そう言って弁当を下げようとする手をS氏は慌てて止めた。
「ちょっと待ってくれ。食べられないことはないんだし、君が作ってくれたというだけで僕は嬉しいんだ。このまま捨ててしまうなんて勿体ないことはしないでくれ」
「でもおいしくないでしょう?」
「たしかに今はそうだけれど、その分これから上達していく楽しみがあるじゃないか。その上達の様を僕にも見せてくれよ」
「なんだかそう言われると恥ずかしいけれど、それと同じぐらい嬉しいわ」
やや頬を染めてうつむく彼女にS氏は言う。
「君は美しく気立てが良い。欠点らしい欠点はないと思っていたのだけれど、これでますます君が好きになったよ」
「やだ、やめてよ。恥ずかしいわ」
胸を張って言うS氏とは対照的に彼女はより顔を伏せた。その恥ずかしがっている様もS氏は好きであったが、しかし彼女の愛らしい表情が見えないのは残念だった。
なんて言って顔を上げさせようかと悩んでいると聞き覚えのある企業名が聞こえてきた。
視線を上げると街灯の上の中空に投影された映像が道行く人々にしきりにその企業を宣伝していた。
「ほら、君の勤めている会社の宣伝が流れているぞ」
軽快な音楽で吉井エンタープライズと繰り返す宣伝を見上げながらS氏が話しかけた。
「あ、今映ったロボットの部品を私も造ってるのよ」
隣から聞こえた声に振り向くと、いつの間にか彼女も顔を上げていた。
「私、あまり手先が器用じゃないから繊細な外装じゃなくて内部の機械担当なんだけどね」
「それでも凄いことだよ。あんな大企業の社員なんて誇らしい事じゃないか」
「そうだけど、でも貴方の仕事も素敵だわ。きっといつか私の会社に負けないぐらい会社を大きくしてくれるわ。そうでしょ?」
「ああ、そうだ。まったく君は最高だよ。こうして話をしているだけで仕事だけでなく色々なことへの活気が湧き上がってくるんだ。僕は君と出会えて本当に幸せ者だよ」
S氏は本心からそう言った。そして一つ。かねてより考えていた提案をしてみることにする。
「実はずっと前から考えていたんだが、中々切り出す勇気を持てなかった。それを今ここで言ってもいいかい?」
「なにかしら」
「僕らも出会ってからもう半年以上経つ。お互いのことを結構知れたと思うし、こうして月に数度しか会えないのは僕にとっては大変な苦痛なんだ。どうだろう。そろそろ一緒に暮らしてみないか?」
緊張して唾を飲み込むS氏に彼女は手をとり柔らかく微笑んだ。
「嬉しいわ。実は私もいつそう言われるかと考えていたの。その提案喜んで受けるわ」
そうして彼らの同棲が決まったのだった。
その夜、彼女が吉井エンタープライズの社員寮に戻ると、玄関横の寮監室を訪ねた。
「こんばんは、寮監さん」
「あら、こんな時間に尋ねてくるとは珍しい。デートで何かあったのかい?」
中年女性の寮監は夜更けであるにも関わらず気さくに応じてくれた。
「はい。今日のデートでのことなんですけど、ついに彼が一緒に住もうと言ってくれまして」
「あら、それはおめでとう。それでいつここを出るんだい?」
「あまり急なのもお互い準備が間に合わないだろうということで一か月後になりました」
「それがいいわね。それで、会社の方はどうするんだい? 辞めてしまうのかしら」
「いえ、仕事はまだ続けようと思います。彼の家からでもここには通える距離ですし」
「わかった。それじゃあここの退寮手続きだけで十分だね」
「ええ、よろしくお願いします」
頭を下げて慎ましやかに退室する彼女を見送り、寮監は棚から一冊のファイルを取り出した。
「えーっと、あったあった」
そう言って広げた書類には今さっき見送った彼女の名前。だが、不思議なことに性別の欄には男・女のどちらにも丸がついていなかった。
吉井エンタープライズは最近、化学・電子工業で飛躍的に成長した大企業である。高品質で高性能なロボットを造りだし、海外からも多大な評価を得ている。
主な製品は人型のロボットである。それも人間と見分けのつかないほどリアルな外装、違和感を感じさせない応答のできるAIが売りだ。このことから愛玩用、セクサロイドとして運用されることが多い。販売・流通用の量産品はもちろん、オーダーメイドも受けつけている。
また、この企業は客の様々な要望に応えられるよう、各種サービスが充実している。中には凝った客向けのマニアックなものもあった。
外見や中身がリアルなだけでは物足りない。せっかく恋人になるというのにいきなり自宅で一緒に暮らすのは風情がないという、コアな要望により始められたサービス。
それは、購入されたロボットに仕事と住む場所を与えるというサービスである。






