眠り
私は、誰もいないホームを、一人静かに歩いていた。
廃線。新しい線路を引いたために、今まであった線を断ち切る。
今後のことを考えて行われることではあるが、今まで使われていたものが、その日を境に誰も足を運ばない場所となる。それは、それまでいた人間にとっては、自分の体の一部を無くすかのような感覚だ。
最低限、私にとっては、そうだ。
私は、今日を境に使われなくなる駅に佇んでいた。今まで毎日のように足を運び、一日を過ごした場所。その場所も、今日が最後だ。
私は駅舎の中を歩いてみた。待合に置かれた草臥れた椅子は、長い間現役であったことを、私に静かに物語っている。時刻変更や、連絡を記した黒板。彼もまた、長い年月使われ続けたために、すっかり老練の相を示している。
私はホームへと足を運んだ。数多の人を送り出し、迎え入れた空間。その空間は、一種の世界と言って良いのかもしれない。私は、ホームに人が溢れかえる様を、記憶の中から呼び起こした。かれこれ何十年も前の風景。今では、この駅を使う人の数も数えるほどだ。
私は、自販機で缶コーヒーを買い、木製のベンチへ腰を下ろした。この駅にあって、比較的新しいベンチ。このベンチの先代は、数十年間ここにいた。私よりも、永くこの場所にいたのだ。しかし、今では後継がその場所にいる。この椅子も、他の場所へ移っていくのだろう。私は、椅子を撫でた。
缶コーヒーを飲みながら、私はジャケットのポッケから、煙草を取り出し、火を付けた。煙草の煙は、静かに頭の上へと上っていく。私はその様子を、じっと見つめていた。ここでこうして煙草を吸うのも、最後になる。そう思うと、何とも不思議な感覚だった。電灯が、暗いホームに灯りを投げかけている。
誰もいないホームというのは、なんと幻想的な空間なのだろうか。私は、ゆっくりと目を閉じた。
体の一部を失ったような、そんな気持ち。心に穴が開いた。そう言うのが的を射た言い方なのかもしれない。どちらにせよ、私はこうしてまた一つ、かけがえのないものを失った。
私は、旧友に別れを告げるように、二度と灯りのつかない駅舎に目をやった。
彼はこの日を境に、永い眠りにつく。
お疲れ様。そして、ありがとう。