近所のお姉さん。
>近所のお姉さん。
この後、親近相姦上等な姉とか麻薬中毒なクラスメイトとかカニバリズムな先生みたいなのが出てきて、少年とイチャイチャするわけですね。わかります。
朝だった。産休中のはずの先生が僕らの教室にやってきた。みんなは喜んだ。僕も喜んだ。
各々と挨拶を済ませた先生はいきなり語り出した。
「みなさん、この世で一番美味しい食べ物はなんだと思いますか? はい、安田さん」
「はい、天然のキャビアです」
「んー、食べたことないけど、きっと一番じゃないわ。じゃあ次は、高田くん」
安田さんは不服そうに座った。先生に名前を呼ばれた高田くんは少し緊張した様子で立った。ただでさえ猫顔の彼が借りてきた猫のような姿になったのは面白かった。
助けを求めるように彼は周りを見たけど、みんな好き勝手にいろいろいうので、彼は困った顔をした。後ろの席の安田さんは三ツ星レストランの料理名をしきりに彼に囁いてたけど、彼には届かなかったみたいだった。
「えっと、あの、お母さんの作ってくれる餃子が一番美味しいです」
「んー、いいわねえ。生ビールが恋しくなっちゃう。でも、それも一番じゃないわ」
教室がざわめいた。何が一番美味しいだろうとみんな相談したりして考えた。
先生はニコニコしたまま言った。
「人のお肉です」
ざわめきが収まった。
「赤ちゃんの肉は特に美味しいですよ。脂肪の部分がぷるんとしていて、濃厚なコーヒーゼリーみたいな味がします。太もものお肉は歯ざわりが良くて、骨なんかも柔らかいですから、鳥の軟骨みたいにガリガリ食べられますよ。背骨周りと首の肉は独特な味がするので、苦手な人もいるかもしれないですけど、先生は」
誰かが先生の服に血がついていると囁いた。ウソウソ、あ、本当だ、包丁持ってる。
みんな顔が強張らせて思った。先生、自分の子供食べたんだって。
「大人の肉はあまり美味しくないですね。不純物が多いからなんでしょうか? タバコを吸ってる男性なんて特にダメです。育児にも参加しない、帰ってきても寝るだけで相談にも応じない。妻がノイローゼになりかけても、甘えで済ませる。だからお肉が臭いんですね。心構えが肉の味に反映しています」
泣き出す女子も出てきた。僕を含めた大半の生徒は恐怖心から固まっていた。全く動じなかったのは柳川さんと安田さんくらいなもので、安田さんに限っては真面目に先生の話しを聞いているみたいだった。きっと彼女はろくな大人にならない。
先生の話しが脳みと目玉のスープという具体的なものになったあたりから、教室の中を酸っぱい匂いが充満し始めた。
「しばらくして、警察の人が突入してきて先生が包丁を振り回して、大暴れしたって話しをしようと思ったんだけど、何してるの?」
「……いや、これは出来心って奴なの。出来心は親心から来るものってことで仏心でまるぅく収まらない?」
正座で申し訳なさそうに僕の前に座るのは僕の姉である。申し訳なさそうというのは表情筋を観察したものではなくて、肩がガックリ落ちているからだった。顔は伺うことができない。何故なら、僕の下着を顔に被っているからだ。
「ならない」
「だけどぉ?」
「だけど、許す! なんてならねえよ! このクソ姉が!」
僕は姉の被った下着を剥がそうと引っ張った。でも姉はそれを掴んで拒否する。ちょっとどころかいろいろおかしい。
「毒で! 空気中の毒で死んじゃう! マスクが必要なの!」
「お前はもうとっくに脳みそまで毒がまわっとるわ! 心の病という病原菌が!」
ゲシゲシと足蹴にするも、なぜか彼女は頬を赤らめた。
僕の周りには殴れば殴るほど喜ぶ人間しかいないので、僕が異端なんじゃないかと不安になる。
「これからは洋服棚には鍵をつけないと」
「開けることができたら、あなたにプレゼントってことね! 任せて、お姉ちゃんそういうの得意!」
「死んでしまえ」
「姉が弟の下着を被ることの何が問題っていうのよ!? 弟の精通チェックもできないだなんて、何が楽しくて姉をやってるのよ! いい? 子供を作れる準備が整ったことはね、すなわち即お姉ちゃんと」
僕の肩を掴んでガクガクやる姉のみぞおちを叩く。背中を丸めて、苦悶に歪む姉の顔を思い切り回し蹴りして、タクシーを呼んで、姉を病院に連れて行った。心の病院に。
「素敵なお姉さんだね。将来は仲良くやっていけそう!」
病院の帰りに会った痴漢のお姉さんが僕の尻に手を伸ばしながら言ったけど、無視するし、腕は捻る。
しかし電車で一時間の距離だというのになぜ、ここにいるのだろう。神出鬼没すぎる。
「あたたたた。ギブギブ! あ、思い出したけど、その先生ね、あたしの恩師かも。顎のところにホクロがある人でしょ? あ、やっぱりそうなんだ。あたしの時も面白い先生だったよー。クラスの男子を三回くらい襲いかけて、あげく転校に追い込んだりとか、生徒に馬鹿にされてその生徒を車で跳ね飛ばしたりとか」
「うわあ、そういう先生だったんだ……。っていうか何で辞めさせないんだろう」
行政の事なかれ主義に僕は憤った。どう見ても爆発寸前の爆弾ではないか。公務員ってすごいな。
というかこの痴漢の恩師だったのか。この人の頭がおかしいのも納得である。教育ってその後の人格形成にすごく影響があるんだなあ。
「私はその先生からいろんなことを教わったよ。欲望は我慢しなくていいんだっていうこととか、わりと無茶やっても世間は許してくれるんだっていうこととか」
「おい」
「日頃、遠くから小学生を視姦するだけだったけど、これからは積極的に触れていこうって決心したのもその先生のおかげ」
「ああ、あなたは先天的に歪んでたんですね。これを恐れずに何を恐れるのかと僕は世間に訴えたい」
そして議論の後、こういう人を隔離する施設の建設と、児童の安全保護を強くしたい。
「先生、元気かなあ」
「育児ノイローゼにしては元気でしたよ。警察五人ががりで抑えなきゃいけないくらいでしたし」
「あはは、ん? あー! 智恵!」
彼女は誰かを見つけて、その子に向かって走った。
メガネの暗い感じの女の子だった。おどおどした印象が更に暗い印象を強くしてる。
「あっ、典子さ……ちゃん。ひ、久しぶり」
「久しぶり。本屋の帰り? わざわざあんな遠くからこっちに出てきたんだあ。本一つ買うにしても、田舎暮らしは大変だねえ」
「う、うん。あっち、何にもないから大変……」
転校した元同級生なのだと痴漢のお姉さんは僕にメガネの人を紹介した。
急に落ち着いた雰囲気で説明されたので内心、驚いた。もしかしたら普段の彼女はもっとまともなのだろうか。
「えっと、そ、その子は?」
「未来のダーリン」
僕は彼女の足を踏みつけて、ちゃんと自己紹介をした。メガネの人は困ったような、憐れむような複雑な顔をした。彼女の性癖を知ってのことかもしれない。確かに僕も彼女の側だったら相手を憐れむだろう。憐れんで、罪悪感から警察を呼ぶ。
「あ、あ、あたし、そろそろ門限だから。ご、ごめんね」
「またね」
「う、うん、じゃ、バイバイ」
「……」
「ん、ダーリン、なんでそんなに見つめてるの? いやん、火照っちゃう」
とりあえず、足を踏んだ。
変な話だけど普通に話すと普通に見える。ある意味、それが普通なのだけど、普通であるということに僕はなぜか酷く驚いた。そして同時に思う。人間とは多面的なのだと。
彼女が別の場所では普通であり、僕の前では異常であるように、人間はその場その場でキャラクターが違うのだと知る。僕もそんな場面があるのだろうか。どうなんだろう。ちょっと不思議だ。
鼻歌を奏でる彼女を見上げて、僕はそんなことを思った。