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おもちゃばこ  作者:
6/23

絶望ハイキングその1

 彼女はたどり着いた先の公園のベンチで古ぼけた携帯電話を見つけた。手に取った瞬間、耳障りな音が電子音が喧騒(けんそう)を割った。

 恐る恐る彼女は耳に当てて、通話のボタンを押す。

「もしもし……」

「こんにちは」

 無理やり愛想を効かせたような女の声だった。彼女は本能的に爬虫類のような、そんな冷たさを相手に覚えた。

「私のボディーガードをどこかにやってしまったのはあなたの仕業ですね」

「あら、養殖にしては意外と頭がいいのね。言葉も流暢だし。そうよ、デジタルに頼ってる奴は弱いわね」

 小さなノイズの後、声が男のものに変わり、戻る。なるほど、これなら無線を混乱させることもできるだろうと彼女は納得した。

「何が目的ですか? お姉さまを狙っているのですか?」

 お姉さまと答えて、胸の奥が熱くなるのを彼女は感じた。自分を紛争地帯から救ってくれた女神。

 雨が濡らす瓦礫(がれき)の中で、寒さと飢えといつまた降り注ぐか分からない爆弾に怯えていたあの時、上から差し伸べられた暖かな白い手と一切のパン。何も言わず、微笑んだあの顔を彼女は一日足りとも忘れたことがなかった。

 教育を与え、居住食を与えてくれた母のような存在。大富豪の娘だというのに、偉ぶるわけでもなく、恩着せがましくするでもなく、ただひたすらに貧者を救う姿をマスコミは“日本のマリア”と(たた)えた。

 彼女も同じ宿舎に住む友人たちもみな当然のように慕っていた。

 しかし、いくらマスコミが騒ぐからといって戦争孤児の自分にボディーガードはやっぱりやりすぎだと彼女は少し笑う。

「お姉さまの敵は非常に多いと聞きます。マスコミか、それともお姉さまの偉業を妬んでいる人か知りませんけど、私は何も話しませんし、あなた達に屈しませんよ」

「はあ? なに勘違いしてんの? あたしはあの“美食家”から、あんたを助けて上げようと思ったんだけど。あはは、良い教育してるわ。まるで奴隷が自分の鎖と首輪のデキを誇ってるみたい。ああ、家畜に奴隷は言い過ぎか」

「家畜? 何ですか、あなた。不愉快です」

 彼女は携帯電話を耳につけながら、あたりを見回す。ボディーガードの姿は相変わらず見えない。自分に危害を加えようとする人間の気配も感じられない。近くで子供が走り回っているくらいの平穏さ。

 通話を切ろうかと迷う。狂人に付き合ってる暇はなかった。クリスマスパーティの買い物を続けなくはならないのだ。しかし、狂人にしてはやり方が巧妙すぎると彼女は考える。

「思った以上に賢いじゃない。通話を切らないってことはいろいろ考えてるんでしょ? あたしがただの気狂いか、危険を秘めた相手かどうかってさ」

「あなたのお名前は?」

「名前? 好きに呼べばいいわ。図書館の魔女とかガニメデの巨人とか灰色の魔法使いとかフィッシュアンドチップスとか。ああ、あんたなかなか賢いわね。無駄な会話を続けて、こっちの情報を引き出そうとしてるんでしょ? ほんと忠実な家畜ね。嫌になっちゃう」

「……別に、そんなことは」

「いいわ、単刀直入にいきましょ。あんたのお姉さまは美食家だって知ってる?」

「ええ、もちろん。飲み水にしても南極の氷を溶かした水以外の飲料水は口にしないほどですから」

 お姉さまという言葉に嘲笑が含まれていたことに少し苛立ったが、彼女は落ち着いた声色のまま、言葉を進めた。

「あんたのお姉さまね、人肉が大好物なんだって」

「はぁ?」

「あら、一部の変態好事家の間じゃ、有名なのよ。あたしも一回、食事会に招かれたことあるし。ほら、あんたの家のパーティルームあるじゃない? あそこに大きいオーブン置いてね」

「馬鹿なことを言わないで下さい! 酷い侮辱だわ!」

 怒りのあまり通話を切るということすら忘れて、彼女は携帯電話を握りしめた。祖国の言葉で相手を罵ろうと思ったが、日本語でなんと訳すべきか分からなかった。

「最後まで聞きなさいよ。それでね、その大きなオーブンに眠らせた子供を入れるの。お腹いっぱい香辛料と木の実を食べさせた子供。オーブンから首だけ出してね。それで、首の血管に特別なソースを注入すんのよ。ああ、そういえばこの前の子はプレートにはミシェルって書いてあったけど、知ってる子? あの髪の長い子」

 携帯電話を地面に叩きつけようとして彼女は凍った。最近、ある女の子を宿舎で見なくなっていたのだ。彼女の本当の名前をミシェルと知っているのは自分とお姉さまだけだった。

 異教徒というだけで酷い目に遭うから。そんな馬鹿みたいな理由で本当の名前を隠していたの少女の姿を思い出す。確かにミシェルはいなくなる数日前から一人だけ食事が違ったのだ。理由は病気ということになっていた。

「まあ、それで火をつけて、“ミュージック”をみんなで聞いたあと、切り分けて、食べて、オシマイ。でも、ここからが面白いのよ」

「……もう、そんな馬鹿な話しはやめて下さい」

 何故か電話を切ることができなかった。嗚咽とともに汗が止まらない。悪夢だと信じたい。

 淡々と切り捨てていく女の言葉が恐ろしくて仕方がなかった。

「あの女、定期的に食事会を開くっていうじゃない。誰かが肉の調達はどうするのかって言ったのよ。あたしにそんな趣味ないから味の違いなんて分からないけど、出てきた肉は間違いなくベジタリアンのものだってどっかのオヤジが言ってたわ。ベジタリアンの肉は特別貴重で特別美味しいんだってね。そしたらあの女、得意顔でこういったのよ」

 ――この民族は肉を食べるという文化がありませんからご心配なく。家畜達は従順ですし、疑うことを知りません。永遠にこの牧場で暮らし、育ち、増え、最後まで自分たちは幸福なのだと信じて、私たちの口に入るのです。そうでないとお金をかけた意味が無いので困りますけどね。うふふ。

 そこでみんなどっと笑い出してさ。そう女は続けるが、彼女の耳には入らなかった。ただ青い芝生の上に昼食を吐き出すのみ。

 質の悪い冗談であってほしいと彼女は祈った。しかし、彼女がジャンクフードや日本の食べ物を食べることを強く禁じていたことが何度も脳裏をかすめる。

 ――こういうものは体に悪いのよ。不純物が体内にどんどん溜まっていってしまうわ。薬草やココナッツを食べなさい。健康になるし、体の香りもよくなって一石二鳥よ。

 不純物、体の香り。その単語の意味を考えて、また彼女は吐いた。

「あんたの故郷で宗教戦争を起こしたのも彼女なんだってね。ちょろかったって笑ってたわよ。片方に金を与えるだけで、勝手に武器を買って、勝手に争い出すからって。そんな面倒なことしなくても、合法的に留学とかさせればいいのにって言ったら、あの女なんて言ったと思う? サケは産卵の季節になると川を登る。登る力のあるサケは登る力のないサケよりも味に天と地ほどの差がある、だって」

「やめろやめろやめろ! もうやめて! あなたが正しい証拠なんてこれっぽっちもないわ! ミシェルは、きっと何か理由があって!」

「それならそれでいいわ。でも何かあったら、もう一度、この番号に連絡して。お金と引き換えに助けてあげる」

「お金なんて、ないわ! あったら私は! 私達は!」

 ヒステリックに彼女は叫んだ。乱雑な日本語になりつつあったが気にしなかった。

「ある。あんたは知らないかもしれないけど、あんたは書類上、あの女の家族ってことになってて、あんたの友人や仲間はあんたの血縁者ってことになってる。入国管理局を騙すためよね。内戦中のゴタゴタ中にいろいろ手を回したんでしょ」

「だから何!? それが何!?」

「あの女が死ねば、あんたに財産がすべて転がり込んでくる。だから、それでいいわ」

 それでいいわ。そんな言葉で女は片付けると、通話を切った。

 言いかけて、彼女は口ごもる。ふと目をやると遠くで自分を探すボディーガードの姿が見えた。

 何故か妙に心細かった。


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