ファンタジックラブ
こういう頭おかしい人大好きです。
夜の道を白いバンが流れていく。パトカーが対向車線を通り過ぎたことに女の肩とメガネの奥が揺れる。飲酒運転だから、というのだけが理由ではなかった。
後ろには少年が乗っていた。先ほどの酒が効いているのか、薬が効いたのか時折、浅いイビキをかいた。
「起きたらビックリするかなあ」
間延びした自分の声が妙におかしくて、彼女は笑った。
たまたま覗いたSNSだった。ショーウィンドウに並ぶ、ケーキの画像。そのショーウィンドウに彼が反射して写っていた。一目惚れだった。そこから彼のアカウントを複数のアカウント――どれも彼女が演じたものだった――で囲むと、オフ会を匂わせ、参加しなければいけない空気を作って、彼を誘い出した。彼はリアルで会うことに難色を示したが空気に負けて、今日の下見に出てきたのだった。
後は、酒を飲ませ、薬を飲ませ、レンタカーで運ぶだけだった。一人では持て余し気味の彼女の実家へと。
「ひ、酷いことするけど、許してね」
昔見ていたアニメの歌を口ずさむ。そのアニメの二枚目キャラが彼女のお気に入りで、少年はどこか似ていた。
「あ、そっか。だからかなあ」
だからこそ好きになったのかもしれない。そう彼女は少し納得する。
何枚も何枚も書くほど脳に焼き付いているのだ。それも当然だろうと。
「あ、あのさあ」
あまり音のしない空間というのが耐え切れなくて、彼女は独り言をいった。
「あたし、あのキャラ好きでね。いっぱい絵描いたんだよ。周りもみんな上手って褒めてくれて。あたし、それが嬉しくて、もっともっと描いてたら、アニメ終わっちゃってさ、原作なんてもっと前に終わってて、ほんと沈んだんだあ。だからその頃描いた絵って、すごくグチャグチャなんだよね。だからその頃の絵って腕とか目とかないの。友達は気持ち悪いっていってあたしをいじめるから、余計にあたしもグチャグチャで、友達もグチャグチャにしちゃったら、病院に閉じ込められてね。お母さんにも怒られてね、お医者さんは忘れなさいっていうから、あたしも忘れてたんだけどね、君の顔みたら思い出しちゃった。昔の懐かしい気持ち」
助手席を無意識に彼女は見た。座席の上には工具店で買ったハンマーやノコギリが白いビニールに包まれていた。それらは道路のおうとつに合わせて、かちゃかちゃと揺れた。
「だからさ、今日はね、君に酷いことするかもしれないよ。でも許してくれるよね? アニメでは君、誰にでも優しかったし、あたしにも優しいよね?」
少年は答えなかった。特に誰も答えなかった。ただ工具がカチャカチャと笑い、車のエンジンが低く唸った。
「き、君も誰にも必要とされてないって悲しんでたし、じゃあいいよね? 必要としてあげるし、必要とされてないなら、誰も悲しまないよね? あ、あたし頭いいでしょ? 大丈夫、痛くないようにしてあげるから。何度も頭の中で繰り返したから、手順は分かってる。その前には素敵なことしてあげるから、じゃあいいよね?」
誰も何も答えない。それが面白いのか彼女は喉を引きつかせるように笑った。
「昔、近所に友達が住んでてね。その友達がよく人を殺してたんだ。オタクなあたしのこと、ついていけないっていって突き放したんだけど、酷いよね。あたしのことこき使っておいて、ついていけないとかさ、ついていけないのはあたしの方だって話しなのに。典子、今、どうしてるかな」
先ほどの“ナイナイする”が効いたのか、少年の足取りは不確かだった。泣きべそかきながら、出口をこじ開けようとするも、どこの扉も窓も、強く溶接されていて、開かない。そもそも暗すぎて、そこが出口なのかすら、怪しかった。
ろうそくの光が、ギシギシと床の軋む音が、ゴリゴリと何を引きずる音がこちらに近づいてくるのを感じて、少年は口を抑えて、身を縮ませた。あわよくばこのまま怪物が自分の側を通り過ぎてくれますようにと。
「そ、そりゃ、あたしは典子に比べたら、て、手際も悪いし、ブスだし、馬鹿かもしれないけど、生まれた頃から人殺ししてる典子と一緒にしないでよって感じだよね。あ、あたしは万引きを見られて、否が応なしに手伝わされてただけなんだし。ね、根っからの悪人じゃないもん、できなくて当然だよね。ねえ?」
肩から覗くように少年を見下ろして、彼女は言った。歪んだメガネのフレームがやけにシュールだった。
「どうして逃げるの?」
少年は何かを言った。酷く常識的な口上だった。
しかし、彼女には伝わらない。
「どうして逃げるの?」
アニメの彼はどんな苦難にも逃げ出さなかった。いつも明るく、こんなに卑屈ではなかった。そう思うと、残念でならなかった。
「残念だなあ。お母さんとお父さんと一緒だ。残念、そう、残念なんだよね。典子は最高だから殺してたけど、あたしは残念だからナイナイしちゃうんだよね。ああ、そう考えるとあたしってすごい人間っぽい」
少年は死を悟って、口をつぐんだ。
女は無言でバットを振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。振り下ろして、飽きた。
「ああ、残念だなあ。また探さないと」