演劇。
シリアスを所望とのことだったので。
休みを利用した買い物も終盤だった。白んだ光の中、香織は典子とファミレスで休むことにした。
香織は季節の食材を使ったパスタを注文。典子は同じパスタにスープとサラダをつけた。
「お腹空いちゃって」
少しムズがるように笑う典子の仕草に、香織は心の底から可愛いなと思った。容姿だけではなくて、そういう仕草が男子に人気な理由なのだろうと納得する。
思えば典子に気を許したのもそういう仕草があったからだった。
香織の溺愛する弟が公園で泣いていたのを見かねた典子は、香織の家まで弟を送り、典子が帰ってくるまで弟と遊んでくれていたのだった。
――あ、勝手に入ってごめんなさい。この子が泣いてて、可哀想に思っちゃって。
そういった印象もあってか、そこから彼女が自分と同じ演劇部の人間で、同じ新入生だということを知るのは早かった。
「何、にやにやしてるの? あ、分かった。弟くんのこと考えてるんでしょ、ほんと香織は弟くんのこと好きね」
「違うわよ、典子のこと可愛いなって思ってたの」
ありがとうと少し照れたように典子は笑った。
「それで、さっきの続きなんだけどさ」
「えっと、なんだっけ?」
「私の考えてる脚本の話しよ」
ああ、と言って香織は思い出した。典子は暖めている物語を今度、部長に申請して演じてみたいと言っていたのだった。
香織の反応にため息をついて典子はもう一度、最初から説明した。
時は現代。少女はある日、自分が怪物であることに気づく。姿形は他の人間と変わらないが明らかにうちに秘めているものが、他人と違った。価値観が、あるいは善悪の判断が違う。他者と自分の違いに苦しむも、情動が抑えられない。その情動とは殺意と嗜虐心だった。他人を捻り潰し、せせら笑いたい気持ちを持ったまま生まれてしまったのだ。特別な環境に生まれたわけでもないのに、自分の持つ異常さは何なのか、善悪とは誰が決め、誰が求めるものなのかと少女は人殺しをしながら考えていく。ある時、少女は大切な友人ができる。彼女とは何でも話せる間柄で、その弟には淡い恋心すら浮かんでしまう。彼女はしばらく、己が怪物であることを忘れて幸せの時を過ごすが、ある日、彼女の弟を誘拐する。理由は分からなかった。ただ思うままに、陵辱し、切り刻み、拷問を加え、その肉を“いつものように”貪った。血にまみれた怪物は高らかに笑う。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。他人を捻り潰し、自分の幸福すら捻り潰し、怪物として生きている不気味な自分が嬉しくて仕方がない、という話し。
「って感じ。分かってると思うけど、私と香織の関係をベースにした話しね」
「……エグいよね」
それだけの感想で、香織は特に何も思わなかった。
内心、こんな物語を部長が許すはずがないと思っていたし、他人にこういったことを典子は見せれるような人間ではないことを彼女は重々承知していた。言うなればこれは自分の内面を見せ合うという形式的な行事なのだろうと香織は考える。親友同士が秘密を打ち明け合うそれなのだ。
グロテスクな話しに確かに驚きはしたが、自分も昔そういうものが好きだったことを思い出すと、気にならなくなった。
「いいじゃない、グロくたって。どうせ演技なんだし」
「最後まで完成してないんだっけ?」
「あとちょっとなんだけどね。このあと、どうしようかなって。やっぱり怪物は逮捕されるのが自然だなって思うけど、それって陳腐じゃない?」
「うーん、どうだろうね。でも、怪物は姉をどう思ってるんだろってのはちょっと気になるかも。警察に捕まったら、怪物は友達である姉にどういう反応をするんだろうって」
「やっぱり、顔では泣いて謝って、心ではせせら笑うんじゃないのかな? これ、怪物が人間をやめるお話しだし」
「ははあん、典子ってそういうタイプなんだあ。あたしの弟に酷いことして、笑ってるんだあ」
運ばれてきた料理に手を伸ばしながら、香織は意地悪く笑った。典子は顔の前で手を振りながら、大きく笑った。
「違う、違う。私の話しじゃないんだからさ。これは空想なの。そんなこと思ってるわけないじゃない」
「典子でもあたしの弟に手を出したら許さないからね」
携帯の画面をつけて、自慢の弟を香織は見せつけた。はいはいと典子は手慣れた扱いだった。
「でも、ほんと怪物はどうやってこれから生きていくつもりなのかな? 流石に刹那的すぎるよね」
「なにそれ? どういうこと?」
香織は死刑で終わり。そう考えていた。
くるくると上品にフォークを回しながら、当然のように典子は言った。
「だってきっと怪物ってこのまま死刑になるとは思えないじゃない? きっと心の病気を理由にすぐ釈放されるんじゃないかな」
「えー、そんなことってあるかな? 普通、そこまでしたら死刑じゃない?」
「そういう理由で釈放になるって聞いたことあるよ。そう考えると、この話しって最悪しかないよね」
まるでB級ホラーの次回予告みたいと典子は笑った。
「じゃあ、第二部は釈放された典子とあたしの復讐劇ってことだね」
香織はまた意地悪く笑った。
「それもいいね」
ウェイトレスの注ぐグラスの水に反射した光が眩しくて、香織は典子の表情が分からなかった。
傍聴席で母は早々に気を失った。父はあまりの状況に吐き気を覚え、泣きながら退出した。
香織は喪服姿のまま、彼女の横顔を睨み続けた。
「被告人、この検察の証言に間違いありませんか?」
「間違いありません」
背中をまっすぐ伸ばした姿は数ヶ月前に見た典子の姿と全く変わらない。問題は場所と行為だった。
「被告人の行いは常軌を逸しています! 被害者は一人や二人じゃないんですよ!? 分かっているだけで、五人! 五人ですよ? それを未成年だとか、心身の理由で片付けられますかね、裁判長? 検察は死刑を求刑します!」
神経質そうな男が身振り手振りで強く、声を放った。香織は母が泣きながら男の手を握って頭を下げていたのを思い出す。
――大丈夫ですよ、お母さん。あんな怪物、野放しにはさせません。
白髪の男は手を上げた。テレビで見た顔だった。死刑反対派の重鎮で、未成年の保護に力を入れている男だった。
「えー、被告は未成年でもあり、幼少の頃に受けた両親の虐待が原因であることは明らかで……」
「そんな事実、あんたらが作ったものだろ! 被告が悪意を持ってやったことは明らかです! 原告の姉の証言にもあるじゃないかっ!」
野次を飛ばす検察官に同調するように香織は頷いた。
そうだ、彼女は私に語ったのだ。自分の生きざまと心のうちを。
あの時を思い出すと涙が出た。あの頃から彼女は自分をせせら笑っていたのだと思うと悔しかった。
「それに関しては、確固たる証拠がないものとし……」
「そっちこそ証拠なんてないじゃないか!」
裁判長が検察を注意しようとした瞬間だった。典子は立ち上がると香織を見つめて口を開いた。予想外のことに駆け寄る警察官に掴まれながらも彼女は言った。
「人を食べたとか、悪意をもってやったとか、私がそんなことするわけないじゃない。香織は分かってるでしょ? 私達、親友じゃない。あれは過ちなの。後悔してるのよ」
嘘だ。香織は叫んだ。
「本当よ、心の底から謝りたいの。外に出たら真っ先に謝りに行くわ、だから待ってて」
心の病気を理由にすぐ釈放されるんじゃないかな。そんな言葉が脳裏に浮かび、香織は狂ったように叫んだ。
「殺してやる! 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる! あんたがあたしを殺しにこようとしても、あたしは絶対にあんたを殺し返してやる!」
「それもいいね」
香織が強制的に退出される中、小さく、小さく彼女は笑った。