甘い甘いチョコレートの魔法。
そういえば母親系の話しってあんまり想像したことないです。
彼は物心ついた時から母親と二人だった。気の抜けた性格でよく苦労をさせられるが、彼は母親を心の底では慕っていたし、感謝していた。
少なくとも自分がその年まで生きてこれたのは母のおかげなのだ。
「母さん、だからさ外で抱きつくの止めてくれよ。しかも、他所のうちに俺のこと言うなっていってるよな! クラスの女子がこの前の卵焼きのこと言っててすげー恥ずかしかったんだけど」
「ごめんねえ、タクちゃんが作ってくれたのが、ママ嬉しくて嬉しくて自慢したくなっちゃったんだもの」
「な、泣くなよ。すぐそうやって泣く!」
めそめそと泣き出す母親は母親というよりも歳の離れた姉のようで、このまま怒り続けるのは気が引けた。事実、彼女は若かった。正しい年齢を知っているわけではなかったが、彼は自分が生まれた時、彼女がまだ十代も半ばだっただろうということに気づいていた。それはイコールで悪いイメージを喚起させた。すなわち、犯罪のようなことが母の身にあったのではないだろうかと。
そう考えれば、やけに幼い母の性格に合点がいった。合点がいくのと同時にとても嫌な気持ちになった。
「もういいよ、俺も言い過ぎた」
「タクちゃあああああん、やさしいいいいいいいいいいいいいいいい!」
「抱き締めるなって、暑苦しい」
縋るように自分を愛してくれるのは、そういうことが関係しているからなのかと思うと暗い気持ちになった。母を幸せにしてやりたいと思った。そんなことは口が裂けても言えないと分かりながら。
きっとそれを口すれば、感涙とともに母の口からご近所に伝わってしまうからだ。それも三割増しにというのがいつものパターンだった。
それもいいかもと少し思って彼は首を振る。自分は確かにマザコンの気があるけれど、そこまで堕ちた覚えはない。
「ほら、これやるからあっち行ってろ」
「ほえー、なにこれ? 誕生日プレゼント? もらったの?」
彼女は不思議そうな顔で包みを受け取った。青い包だ。金色のリボンが巻かれている。
本当に中身が分からないらしく、彼女は時折、振ったり、匂いを嗅いだりして、中身を探ろうとした。
それをまるで犬のようだとほほ笑みながら、彼は言葉を続ける。
「チョコ。プレゼント。俺からの。知らねえのかよ、今日バレンタインデーだぜ。あ、あのな、外国だとな、男から上げたりするもんなんだってよ。だからさ、なんつうか、俺が老後までしっかり面倒みるからさ、その、他の男のことなんてどうでもいいだろ。俺も父親とか別にいいし、働ける歳になったら母さんと一緒にさ」
「やったあああ! チョコだチョコーーー! ん、父親? 男って何?」
くるくると踊っていた母親はまたきょとんとした顔で彼を見つめた。
彼は隠すことはないと話しを続ける。母親の日記に書かれたこの家庭にも父親が必要なのではないかという一文を見てしまったこと。最近よく訪ねてくる中年の男の姿。夜、何かを思い悩んでいる姿を知っているということを続けた。
自分が今まで以上に支えていくから、何かあるなら自分にも背負わせてほしい。そう彼は続けた。
静かに聞いていた彼女は嬉しそうに笑うと、強く彼に抱きついた。頬ずりしてケラケラと笑う。
「なーんだ。そんなことタクちゃん、心配してたの? あれはタクちゃんが考えてることと全然違うから大丈夫よ! でもママ嬉しい! タクちゃんがママとずっと一緒にいてくれるってことだもん!」
「おい、離れ……じゃなくて、じゃああの男はなんだよ。母さんとなんか、親しげに話してるだろ!?」
「やだー、タクちゃん嫉妬ぉ?」
「馬鹿言うな!」
つんつんと自分を指先で押して笑う母に彼は顔を赤くして声を荒げた。
「あれはね、刑事さん」
「え?」
「リョウ兄さんが死んだ時ね、ママね、凄く悲しかったわ。確かに他の馬鹿女に現を抜かしてたのは今思い出しても腹が立つけど、でも、殺したりはしてないもん。あの位置からだと確かにママが押したように思えるかもしれないけど、でもママじゃないから大丈夫よ」
「おい、何の話しを……」
「あれはリョウ兄さんがママから逃げようとして勝手に車に引かれたの。だから、ママも悲しかったのよ。愛した人はもういないんだって。もうこの世界に存在しないんだって。だからね、ママ、死体から精子を抜き取ってね、人工妊娠したの。リョウ兄さんをもう一度、この世に甦すために」
「……」
「あっ、間違ってもママは犯罪行為はしてないわよ? 人工妊娠も法律的に問題ないからね。それでリョウ兄さんそっくりにタクちゃんが育ってくれて嬉しかったわ。刑事さんはまた何かしでかすんじゃないかってママのこと疑ってるみたいだけどねえ。そもそもあの時のことだってまだ疑ってるみたいなの! ひどいよねー?」
何を言っているのか彼は理解できなかった。思考もうまくまとまらない。ただ自分を抱きしめた母の重さがやけに気持ち悪かった。
「でもよかった。タクちゃんもママのこと大好きみたいなんだもん。よかったあ。この前、他の女の子と一緒だったからね、ママ、リョウ兄さんの誕生日前なのに早く“父親”にしちゃおうかと思っちゃった! でもあれってチョコ買うためだったんでしょう? ありがとねえ」
「誕生日……」
やっと出た言葉がそれだった。疑問とも断定とも取れる一つの言葉が抜け落ちるように口からこぼれた。
「そう、誕生日。リョウ兄さんの誕生日。バンタインデーの今日」
「か、かあ――」
「これからも、いつまでも一緒にいようね」
彼はいつまでもその言葉に返事を返せなかった。




