変わった奴
鳴り響いたチャイムの音で涼護は目を覚ました。
「ふああああ……、今何時だ?」
そう呟き、時計で時間を確認する。
12時50分。陽羽学園では昼休みの時間である。
「起きたね、涼護」
「お前、4時間目途中から爆睡してたな……」
「あのおっさんの授業、つまんなくてなー……」
「おいおい」
などと話しつつ、涼護は鞄から弁当箱を取り出した。
前の空席の机と自分の机とくっつける。
未央、深理、夏木の三人が近場の椅子を借りて、涼護の机の周りに集まった。
「んじゃ、いただきます」
「「「いただきます」」」
未央と深理は弁当を持参しているが、夏木だけはコンビニのパンである。
事前にコンビニで買っているようだが、たまに昼休み前に食べてしまっている時がある。
「……相変わらず二人とも美味そうだよなー、弁当。手作りだっけ?」
「ああ。作ってくれる人もいないし、いちいちパンやらを買うのも面倒くさい。自作だな」
「私はまあ、料理好きだしね」
「理解できねぇわ、その感情……。んで涼護はなんで手作り持参?」
「深理と同じで買うのがめんどい。つかコンビニとか購買だとワンパターンだろ」
「あー、なるほど」
納得し、夏木は買ったパンを食べる。
綺麗に作っている弁当を丁寧に食べつつ、深理は涼護を見た。
「昨日は活躍したらしいな、涼護」
「何が?」
「バスケ部の紅白試合の助っ人」
「ああ……」
そう言われて、涼護は昨日の『依頼』を思い出した。
思い出しはしたがすぐに頭の隅に追いやり、涼護は弁当を食べることに戻った。
「で、それがどうした?」
「話題として振っただけだが。どこかに入部するつもりは……ないんだろうな」
「入ってくれって『依頼』はあるけどな。断ってる」
「……その運動神経、スポーツで活かしたら?」
女子らしい可愛らしい弁当をつつきながら、未央がそう言った。
そんな未央を見返して、涼護は箸を持っている方の手で頭を掻いた。
「それお前が言うかァ? お前だって運動神経いいし、どっかに入る気ないのかよ」
未央は勉強はもちろんのこと、運動神経もいいのでよく助っ人などを頼まれている。
「いや、私は家を手伝わないといけないし……、それに、こんな時期に入っても迷惑じゃない?」
「それ俺にも言えることだろが」
そう言って、涼護は残った弁当を掻き込んだ。
「ごちそうさん。深理、今のうちにやっちまうから宿題見せてくれ」
「へぇ、ちゃんと覚えてたんだな」
心底意外そうな顔でそう言う深理に、涼護は眉を寄せた。
「お前は俺をなんだと……まあいいや。いいから貸してくれ」
「ああ。ちょっと待て」
そう言って、深理は既にほとんど食べていた弁当の残りを掻き込んだ。
「ごちそうさま、と。ほら」
机の中から英語のワークを取り出して、該当ページを開いた。
「おー、サンキュ。んじゃ、写すか」
「……あのさ、涼護。自分でやろうとか思わない?」
「思ってたらやってる」
筆記用具を取り出し自分のワークに回答を写していく。
「あーもー、本当に……」
「まあまあ、言いっこなしだろ。あ、深理。後で俺にも見せてくんね?」
「……お前もか、夏木」
なんというか、自由人ばかりだった。
未央と深理の常識人コンビは揃って呆れていた。
***
放課後。
涼護は一応申し訳程度に出していた教科書やノートを仕舞うと立ち上がった。
「涼護、今日はどうするの?」
「適当に時間潰してから帰る」
「そう。じゃあ私、家手伝わないといけないから。あ、お腹減ったら、食べに来てもいいわよ?」
「考えとく。じゃあな」
「うん、バイバイ」
そう言って手を振り、未央は教室から若干小走りで出て行った。
それを見送った涼護は、視線を帰り支度をしている深理に向けた。
「深理。夏木は?」
「部活だろう。俺もこれからバイトだ」
「そうかい」
帰り支度を済ませた深理は涼護に向き直り口を開いた。
「お前はどうするんだ?」
「もう少し居残る」
「そうか。それじゃあな」
「おう」
深理はそう言って教室を出た。
それをひらひらと手を振って見送って、涼護も教室を出た。
屋上を目指して廊下を歩いていると数人の生徒からの視線が突き刺さる。
が、涼護はそれを無視してただ歩みを進める。
教室棟は一階が一年生、二階が二年生、三階が三年生だ。
三階にたどりつき、そのまま屋上への階段を上がる。
上がり切ると鍵を取り出し、屋上の扉を開けた。
「ぶあ」
開いた扉から風が吹き込んだ。
涼護はとっさに腕で目を覆って、風が止むのを確認してから腕を下ろした。
「さて、と」
屋上に入ると、鞄を枕にして涼護はベンチに寝ころんだ。
相変わらず太陽が眩しいが、無視して目を閉じる。
そして数秒もしないうちに、ベンチから寝息が聞こえ始めた。
○
次に涼護が目を覚ますと、もう日は沈み始めていた。
「……今何時だ?」
携帯を見る。
18時。部活もそろそろ終わっている時間だ。居残り練習している奴らはいるかもしれないが。
「……帰るか」
そう言って起き上がり、涼護は枕にしていた鞄を持った。
背伸びをするとポキ、と音がした。
「先公に見つかる前に、と」
屋上の扉を開け、校舎に戻った。
○
平穏に学校を出れた涼護は、まっすぐに家への道を歩いていた。
(夕飯は……なんか残ってたし、適当に済まそう)
流石にこの時間帯だと辺りは暗い。
怖いわけではないが、腹も減ってきたしさっさと帰ろうと涼護は足を速めた。
その途中で、路地裏に入る道を見つけた。
「……こっちのほうが速いか」
そう言って、涼護は路地裏に入る。
路地裏なだけあり散らかっていたが、涼護は慣れた足取りで進んでいく。
アパート近くの道まで着いた涼護の視界の端に二人の男の姿が映った。
いや、正確には三人だ。二人の男が一人に絡んでいる。
涼護の位置からだと帽子を深く被っているのでわかりづらいが、服装から見て女性、それも男たちの様子を見る限り、容姿も悪くないのだろう。
そこまで考え、涼護ははぁ、と溜息をつき、その三人に近づいた。
女性の腕を掴んでいた男の肩を掴む。
「おい」
「あ、何お前……うげっ!」
肩を掴まれた男はこちらを見ると、驚いた後に怯えた顔をした。もう片方の男も同様だ。
「乙梨涼護……!」
「俺のことを知っているなら話は早い。……とっとと失せろ」
涼護がドスの効いた声で脅しながら睨むと、二人の男は泡を食ったように逃げ出した。
その情けない姿に涼護は阿呆が、と毒づくと女性に声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
「あ、はい」
女性の顔を見て、涼護は何故かデジャヴを感じた。
怪訝に思って女性の顔をよく見る。
帽子と眼鏡に隠れている顔とは絶対に初対面だ。なのに涼護の既視感は消えない。
「……なァ、あんた……」
「あの、ありがとうございました。じゃあ私はこれで」
そう言って歩き出そうとした女性の腕を、涼護はとっさに掴んだ。
女性は驚いたらしく、振り返った。
「……何か?」
「またああいう手合いに絡まれるぞ。つーか、道わかるのか? 迷ってるんだろ。この街に来て日も浅いだろうし」
はっきりとそう言い切った。
そんな涼護の様子に、女性は訝しげな顔をした。
「……どうして、そう思うんですか?」
「まず、この街の人間ならこんな時間に裏路地に女一人で来ない。ここはさっきみたいなガラの悪い人間の住処だ。夜ならなおさらな」
「……貴方みたいに?」
「否定はしない。話戻すが、この街の人間ならそんなの常識だ。だからお前はこの街の住人じゃないか、来て間もない人間だ」
そこまで言って一度言葉を切り、涼護は掴んでいる腕を見た。
手からの感触でわかる。あまり筋肉のついていない、細い腕だ。
「喧嘩の腕持ってるなら別だが、そうじゃないのはさっきのやり取り見てりゃわかる。だからあんたは、この街の人間じゃないって思ったんだよ」
「……迷ってるというのは?」
「それは勘。でも間違いじゃないだろ?」
「……ええ、まあ」
女性は観念したのか、そう認めた。
涼護はふっと息を吐き、相好を崩した。
「まあ、もう一つ根拠を言うなら、俺を知らなかったからな」
「はい?」
「さっきの連中の反応見りゃわかるだろうが、それなりにこの街じゃ名前と顔が知られてる。俺を知らないってことは、この街の人間じゃない証拠だ」
自信たっぷりにそう言い切った。
そんな涼護に女性は一瞬ぽかんとしていたが、次の瞬間には吹き出していた。
「すごい自信……! あはははは!」
「笑うことか? ……あ、手離すの忘れてた」
ぱっと手を離した。
女性はしばらく笑っていたが、ようやく発作が治まってきたらしい。
じっ、と涼護を見上げている。
そこで彼女が女性としては背が高いことに気づいた。
180センチ近くある涼護と視線がそこまで変わらない。
「……貴方の言ってること、大正解。この街に引っ越してきたばかりなんだけど、道に迷ってこんなところに来ちゃった」
「だろうな」
そんなところだろうと思っていた。
そして関わってしまった以上、今さら放置するのは後味が悪い。
「表まで送る。どうせ帰り道の途中だ」
「いいの?」
ああ、と涼護は頷いた。
「着いてこい」
「うん」
涼護が歩き始めると、その女性も着いてきた。
そしてやはり背が高いなと思う。
いつもより少し遅く歩いているとはいえ、涼護にさして苦も無さそうに着いてくる。
これが未央なら「速い。もっとスピート落として」とか言われるのだが。
そうしているうちに、あっという間に表通りに出た。
「この辺でいいか?」
「うん」
表通りなだけあり、さっきの裏路地と比べると通行人がそれなりにいた。
これなら先ほどのようガラの悪い莫迦に絡まれることもないだろう。
「じゃあ、俺はこれで」
「うん。……ありがとう」
その言葉が聞こえるのとほぼ同時に、涼護の頬はチュッ、という軽いリップ音と一緒に柔らかな感触を感じた。
「……あ?」
「お礼。じゃあね」
そう言って、女性は手を振って駆けていった。涼護が何か言う暇もなかった。
「……変わった奴」
こんな不良面に、お礼とはいえキスするか普通。
などと思いながら涼護は頬をぬぐう。
まだあの暖かく柔らかい感触が、そこに残っているような気がした。
「……阿呆らしい。帰るか」
気を取り直し、涼護は家路についた。
しかしいくら気にしないようにしていても、あの柔らかい感触がまだ残っているようで、落ち着かなかった。
(……ガキか俺)
今晩寝つけるかどうか、少し心配になった。